プロローグ sideラグナ(part2)
ママの焼いたタルトは生地がサクサクで、りんご本来のみずみずしい甘さが極限まで引き立っていて、とびきり美味しかった。
ラグナにとって、間違いなく一番大好きなママの手料理だ。
「今日も美味しいよ」
「あなたがいつも上等なりんごを獲ってきてくれるおかげよ」
「おいし〜っ!」
「そうかそうか、ラグナも美味しいか。こりゃあまた、お父さんも畑仕事を頑張らないとな」
「あらあらラグナ、ほっぺたに生地がついているわよ」
お母さんはそう言って目を細めると、優しい手つきでナプキンを取り、ラグナの口元をそっと拭った。
ラグナたちの暮らすこの家の一階は、開放的な大型の一間を中心に造られている。
木の温もりが残る素朴な木目の床には、場所ごとに色鮮やかな手織りのラグやカーペットが敷かれ、素朴な粘土と滑らかな石を混ぜ合わせて塗られた壁が、部屋全体をぬくもりで包み込んでいた。
いくつも並んだガラス窓からは、港町特有のやわらかな朝の光が惜しみなく差し込み、観葉植物の青々とした葉をキラキラと照らしている。
奥には手慣れた手つきで料理ができる頑丈な台所があり、中央には家族三人がゆったり囲める使い込まれた木製の長テーブルと、三つの椅子。
廊下の奥にはお風呂や洗面台、トイレといった個室がそれぞれ整然と並び、重厚な木造の玄関からは潮風の匂いがかすかに届いてくるような、生活の優しさと機能性が詰まった広々としたリビングだ。
「ゆっくり食べなさいな。タルトは逃げたりしないわよ」
「うん!」
ラグナは目をキラキラと輝かせながら、ぱくぱくとリズムよくタルトを口に運んでいく。
両親は苦笑いを浮かべつつも、我が子を慈しむような暖かな眼差しで、その微笑ましい姿を見つめていた。
「今日はラグナはどうするの?」
「がっこうがお休みだから、パパのおてつだい!」
「おや、僕のお手伝いをしてくれるのかい?」
「うん、農園いっぱい手伝う〜!」
「……あら、ラグナ。今日はレミィ君と何か約束しているって言っていなかったかしら?」
「あ」
そう言われて、ラグナは「しまった!」という顔をした。
今日は学校の友達やレミィと一緒に海へ遊びに行こうと約束していたのを、スッカリ忘れていたのだ。
「ラグナ、それ何時集合なんだい?」
「……くじ」
「あらま、あと一時間も無いじゃない。ラグナ、急がないと」
「はぁ〜い!」
お母さんは最後の一切れをラグナのお皿に乗せてあげると、パパのお皿にも取り分け、残ったタルトを慣れた手つきで袋へ包んで保冷箱の中にしまっていった。
「タルトはまたいつでも食べられるから朝はそれで最後ね。残りは今日のおやつに出すからちゃんと帰ってくるのよ」
「うん!」
ラグナは少し名残惜しそうにしつつも、ぱくぱくとタルトを食べ進め、一緒にガラスコップの冷たいミルクを一気に飲み干した。
「どこで待ち合わせなんだい?」
「えーっと、灯台!」
「あそこなら、ここから歩いても15分もあれば着く場所だな」
ママに乗せてもらった一切れを夢中で食べ進めるラグナに、パパが優しく到着時間を教えてくれた。
「着替えを準備しておくから、食べ終わったらお皿を下げるのよ。ラグナ、少しだけ急ぎなさいね」
「はーい!」
お母さんは台所で手際よく片付けと着替えの準備を始めた。
一階のリビングには、パパとラグナの使う食器がカチャカチャと心地よく響く音だけが残された。
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「行ってきまーす!」
「気をつけてね〜」
「しっかり楽しんでおいで」
ラグナは麦わら帽子を被り、涼しげな白いワンピースに身を包むと、斜めにかけた小さな荷物籠を揺らしながら勢いよく家を飛び出した。
両親は角を曲がって後ろ姿が見えなくなるまで、愛おしそうにその背中を見送っている。そんなお見送りを最後まで手を振ってきちんとお別れした後、サンダルでカツカツと石畳の下り坂を軽やかに駆け抜けていた。
その顔には満面の笑みが広がっている。今日という日が最高の楽しさに満ちた一日になると、心から確信しているかのような眩しい笑顔だ。
見上げれば、太陽は燦々と黄金色の光を振り撒き、雲ひとつない快晴の青空がどこまでも高く広がっている。
街を覆う樹木の葉からは「チュチュッ、チッチッ」と朝を祝福する小鳥たちの可愛らしい囀りが響き渡り、坂道を下るにつれ、涼やかな潮風がラグナの白いワンピースの裾と麦わら帽子のリボンを優しく心地よく揺らした。
風に押されるように長い坂を下っていくと、風光明媚な港町ノースハーバーの景観が一気に視界が開けていく。古くから佇む重厚な石造りの家々と、潮風でかすかに銀色に燻んだ木製の屋根が段々に重なり合い、その隙間からは輝く海が水平線の彼方まで一望できた。
見渡す限りの青い空と蒼い海。降り注ぐ光に波間がキラキラと銀色の鱗のように跳ね、時折通り過ぎる近所の野良猫が日当たりの良い石垣の上で目を細めている。ノースハーバーは、一年の中でも指折りの美しい快晴の朝に包まれていた。
しかし、その澄み渡る地平線の一角だけに、ふと異質な存在が影を落としている。
「今日も、くろーい……」
活気に溢れ始めたマーケットを通り抜けながら、ラグナは海の上に浮かぶその「点」へ視線を向けた。
どこまでも青い空と海を侵食するように、ぽつんと佇む不気味な孤島のような影。
かつてはるか大昔、世界を脅かした魔人が封印されている島……と大人たちは言っているが、真相は誰にも分からない。
このノースハーバー自体も古い歴史を持つ港町らしいが、生きているうちに本物の魔人に出会った者など一人もいないのだ。ラグナにとっては今もこれからも、お伽話の絵本に出てくる空想上の存在に過ぎなかった。
そんな遠くの黒い島よりも、今はレミィお兄ちゃんと遊べることの方が何倍も重要だ。
今朝お母さんに指摘されるまでは忘れていたけれど、昨日の夜ベッドに入る瞬間までずっと心待ちにしていた大イベントなのだから。
レミィお兄ちゃんは本当の兄ではないけれど、家が近所で昔から妹のように可愛がって遊んでくれたため、すっかりこの呼び方が定着していた。
そういえば、レミィお兄ちゃんには弟もいたはずだ。けれど少し前に、遠い首都ヒューメブルグの学校へ行ってしまったらしい。幼かったこともあり、あまり一緒に遊ぶ機会も持てないまま見送ってしまった、名前も知らない黒髪の男の子。
「今度いつ再会できるかわからないけれど、次に会えたらちゃんとお名前を聞こう」
そんなことをぼんやり思い浮かべているうちに、いつしか足は港の灯台付近へと辿り着いていた。
港の朝は、自然の豊かな息吹と熱気に満ち溢れている。
頭上ではウミネコたちが風に乗って優雅に旋回しながら甲高い声を響かせ、桟橋の杭には小さな海鳥たちが羽を休めている。
水揚げされたばかりの生きのいい魚を威勢よく売り込む漁師たちの濁声、香ばしい焼き魚や塩気を含んだ潮の匂い、そして採れたての野菜を並べる露店から漂う青々とした土の香り。通りを行き交う人々は誰もが晴れやかな顔で挨拶を交わし、港町全体が生き生きとした朝のエネルギーに満ちていた。
「ラグナちゃんじゃないかい! こんなところで一人でどうしたんだい?」
元気な声に振り返ると、そこにはお母さんがいつもお世話になっている八百屋さんのお姉さんが立っていた。
「おはようございまーす!」
女性でありながら男性顔負けの度胸と肝っ玉を持つお姉さんだ。艶やかな髪を後ろで大きなポニーテールにまとめ、おしゃれな柄のヘアバンドと清潔なエプロンを身につけている。いつも屋外で元気に働いているせいか、その肌は健康的で美しい小麦色に焼けていた。ニカッと豪快に笑う表情の眩しさは、間違いなくこの港町で一番だ。詳しい大人の事情はよく分からないけれど、ラグナはこのお姉さんのことも大好きだった。
「えーっとね、レミィお兄ちゃん達と海で泳ぐの〜!」
「そりゃあいいねぇ! ……そうだ、後で私も混ぜてくれるかい?」
「え、お姉さん、お店は?」
ラグナはお姉さんの露店へ目をやった。お母さんと買い出しに来た時と同じように、木箱にはみずみずしく新鮮な野菜や果物が綺麗に並べられている。朝早くから、既に何人ものお客さんが品定めをしている最中だ。
首を大きく傾げて疑問を投げかけるラグナに、お姉さんは「くっくっ」とおかしくなって笑った。
「店なんて旦那に任せておけばいいのよ! そんなことより、ラグナちゃんと海で泳ぐ方がずっと優先事項!。それとも、私がお邪魔したら嫌かい?」
「ん〜ん、嫌じゃないよ! むしろすっごく嬉しい!」
「ありがとねぇ! さっすがラグナちゃんだ!」
お姉さんはぐっと距離を詰めると、その場にしゃがみ込んでラグナをぎゅっと力強く抱きしめた。
力強く、そして温かい、お姉さんらしいパワフルなハグ。9歳のラグナには照れくささなどなく、ただただその暖かさが嬉しかった。
「お、お姉さん、ちょっとだけ苦しいかも……!」
「あ〜ごめんごめん! 嬉しくってついつい力が入っちゃったよ!」
パッと腕を離し、いたずらっぽく笑うお姉さん。相変わらず見ているだけで退屈しない人だな、とラグナは思う。周りのお客さんや通行人が微笑ましそうに視線を向けているが、お姉さんは全く意に介していない様子だった。
「あ、時間そろそろまずいかも……!」
「あれま、引き止めちゃって悪かったね。どこで集まるんだい?」
「灯台!」
ラグナは港の端にそびえ立つ、朝日に白く輝く乳白色の灯台を指差した。もう目と鼻の先だ。
「後で冷たい果物も持っていくから楽しみにしときな!」
「うん! また後でね〜!」
お姉さんに手を振り、ラグナは再び石畳の上を蹴って駆け出した。
眩しい太陽の光と心地よい潮風を全身に浴びながら、大好きなお兄ちゃんたちが待つ灯台を目指して。」
「ありがとねぇ! さっすがラグナちゃんだ!」
お姉さんはぐっと距離を詰めると、その場にしゃがみ込んでラグナをぎゅっと力強く抱きしめた。
力強く、そして温かい、お姉さんらしいパワフルなハグ。9歳のラグナには照れくささなどなく、ただただその暖かさが嬉しかった。
「お、お姉さん、ちょっとだけ苦しいかも……!」
「あ〜ごめんごめん! 嬉しくってついつい力が入っちゃったよ!」
パッと腕を離し、いたずらっぽく笑うお姉さん。相変わらず見ているだけで退屈しない人だな、とラグナは思う。周りのお客さんや通行人が微笑ましそうに視線を向けているが、お姉さんは全く意に介していない様子だった。
「あ、時間そろそろまずいかも……!」
「あれま、引き止めちゃって悪かったね。どこで集まるんだい?」
「灯台!」
ラグナは港の端にそびえ立つ、朝日に白く輝く乳白色の灯台を指差した。もう目と鼻の先だ。
「了解! 後で冷たい果物も持っていくから楽しみにしときな!」
「うん! また後でね〜!」
お姉さんに手を振り、ラグナは再び石畳の上を蹴って駆け出した。
眩しい太陽の光と心地よい潮風を全身に浴びながら、大好きなお兄ちゃんたちが待つ灯台を目指して。
皆さま、どうも&はじめまして!
みゃ〜むら、と申します。
お読み頂きありがとうございました。
感想、レビューお待ちしております。
そろそろ一回投稿ペース見直そうかちょっと悩んでます…。毎日投稿がキツくなってきた。
できるだけ100話までは頑張りたい!




