開門 sideラグナ(part9)
神殿の内部は、外観の印象と変わらず、緻密に切り出された白色のレンガが隙間なくびっちりと床や壁に敷き詰められていた。
カツ、カツ、と、私のブーツやノエの重い足音だけが、異様なほどクリアに反響して長い一本道の廊下に響き渡る。
「くらいぞ~こわいぞ~」
口ではそう言いつつも、ポポロは上機嫌に尻尾を振って、ライトを照らし足早に前進し続けている。
ノエがポーチから取り出して点火した発煙筒は、確かに頼もしい光量で辺りを赤く照らし、ひと時の安心感を与えてくれた。けれど、その強い灯りが極端な明暗を生み出すせいで、光の届かない周囲の闇を一層濃く、深く際立たせ、かえってこちらの恐怖心を煽ってくるようだ。
しかも奇妙なことに、神殿の周囲は見渡す限りの砂地であるというのに、この建物内の空気はどこか肌にまとわりつくように湿っぽかった。冷たく湿った微かな空気の揺らぎが、嫌な手触りで首筋を撫でていく。
時折、暗闇のどこか奥深くから「……ピチャン」と水滴の落ちる音が聞こえるたびに、ビクッと心臓が跳ね上がり、寿命が縮むような心地がした。
(早く終わらないかな…)
故郷の仇を討つため、復讐の旅を続けているはずの私が、どうしてこんな質の悪いホラー体験をさせられているのだろうか。
幸いなことに、この長い廊下の中で不意の奇襲に遭うことはなかったが、それすらもかえって不気味に思えてくる。いっそ派手に襲ってきてくれた方が戦闘に意識を集中させられる分、余計な恐怖を考えずに済むというのに。
「……行き止まり、ですか」
そんなとりとめもない思考を巡らせながら長い廊下を歩き続けていると、唐突に視界が開けた。
学校の講堂か、あるいは劇場の広場か。上から見れば綺麗な円形をした、巨大な踊り場のような空間へと辿り着く。どうやらここが、この一本道の終着点――ゴールのようだった。
広場の奥、ぽつんと鎮座しているのは、一つの古びた石の台座のみ。
だが、その台座の後ろにそびえ立つ壁面だけが、明らかに異常だった。なんとも言えない複雑な幾何学模様が、幾重にも重なり合うようにして抽象的なデザインの壁を形成している。神殿らしい厳格な石造りの外壁や柱に囲まれている中で、その壁だけが、まるで別の世界からそこへ無理やり移植してきたかのような、強烈な異質さを放っていた。
壁のあちこちには、往時に松明を挿していたのだろう、青銅製らしき細長い籠のような器具がそのまま残されている。
ポポロとノエはその広場に着くや否や、興味深そうに右往左往しながらあちこちを見て回り始めた。
こういう遺跡の類に興味を示すのは、先ほどから目を輝かせながら周囲の匂いを嗅いだり壁に触れたりしているポポロだけかと思っていたのだが。私はテキトーに壁にもたれ、二人の様子を眺める。
「意外ね。あんたまでこういうのに興味あるなんて」
私は、ポポロと同じように壁画を観察しているノエに声をかけた。
「そうですか? ……確かに、最初は全く興味はありませんでしたが」
「……じゃあ、なんで?」
「私は竜人種という長命に分類されるモノですから、時間だけはたっぷりとあります。それに、あちこちの世界を巡る傭兵稼業ですからね。色々なものを『見られる時間』が、自分にはたくさんあるのだと気づいただけですよ」
「ふーん……」
そう言うものだろうか。少なくとも私にはわからない感覚だ。
「あなたも、この復讐の旅が終わるまでに、生きる理由が見つかればいいですね」
「……っ、余計なお世話よ」
思わず声を荒らげ、冷たく突き放してしまう。
そんなもの、私は望んでいない。それに、この血塗られた復讐の旅がそう簡単に終わるとは思えなかった。
そもそも、目的を果たす前に、道半ばで無残に野垂れ死ぬことだって十分にあり得る。
――いや。もしかしたら、そんな結末をどこかで望んでいる自分すら、確かにそこにいた。
私だけが、あの故郷から生きて残ってしまったのだ。生きて、一人だけでのうのうと息をしているくらいなら。
一刻も早くこの復讐の業火に身を焼き尽くされ、死んだみんなの元へ逝きたいとすら、心のどこかで願っているのかもしれない。
しかし先ほど神殿の外まで響いた、あの地響きのような鳴き声は一体何だったのだろうか。
これほど静まり返っている空間を見れば、やはりたまたま気流の悪戯で、吹き込んだ風が偶発的に生き物の咆哮のように聞こえただけなのだろうか。
それとも……あの高い天井の闇のどこかで、蜘蛛のように潜んだ何かが、私たちという獲物三人を上からじっと品定めしているのだろうか。
疑心暗鬼に駆られながら、私は恐る恐る、手に持った明かりを頭上へと掲げてみた。
当然のように、そこには物静かな石畳の天井が敷き詰められている――かに見えた。
「……なに、あれ?」
私の漏らした呟きに、ノエとポポロが同時に足を止め、振り返った。
二人は不思議そうな眼差しをこちらに向けたあと、上を仰ぎ見ている私の視線を追うようにして、それぞれのライトの光を天井へと向けた。
天井はなだらかなドーム状になっており、全体的に緩やかな放物線を描いて巨大な空間を包み込んでいる。
だからこそ、たった三人分のささやかな灯りでは、到底その全体像を捉えきれない。なんならポポロの低い身長ではあまり灯りは届いておらず実質二人分の灯りしかない。私たちは各々、手元の光をゆっくりと動かしながら、闇の奥に隠された天井の肌をなぞるように照らし出した。
光の中に浮かび上がったのは、巨大な「天井画」だった。
「これは……天井画、ですか?」
「うわぁ、おっきいな〜!」
「にしても……どういう状況、これ? 何を描いてるの?」
そこに描かれていた絵は、なんとも言えない、異様なまでの熱量と不気味さを孕んだものだった。私に芸術の教養がないだけかもしれないが、それでもゾッとするような迫力があった。
ドームの真ん中、もっとも高い場所には、神聖な後光を背負った、白髪の人間族らしき少女が描かれている。彼女は静かに目を瞑り、胸の前で深く祈るようなポーズをしていた。
そして、その少女を中心にして、周囲を取り囲むように多種多様な生き物や種族が配置されている。
ある者は熱狂的に食事を貪り、ある者は奇妙な踊りを捧げ、ある者はその少女を神のように崇め奉っている。灯りを当てて隅々まで観察してみようと試みるが、所々が禿げており全貌は見えない。
いったい、これは何を表した歴史、あるいは神話なのだろう。
何より、少女を取り囲む有象無象は、決して人間だけではなかった。ドライアドや獣人のような多種族の姿はもちろん、そこには魚、鳥、ヤギ、馬、オオカミ、さらには白いクジラや青いドラゴンといったメジャーな生き物からおよそこの世の物とは思えない異形の生き物や、悍ましい化け物の姿がいくつも、生々しい色彩で描かれていた。
「……これは。いえ、まさか。本当にここは、かつて……?」
ノエは何か重大な仮説に行き着いたのか、珍しく声を戦慄かせ、言葉を詰まらせていた。
「すごいことだけは、おれにもわかるぞ!」
対照的に、ポポロはただそのスケールに純粋な感嘆の声を上げている。
「…………」
三者三様のリアクションの中、私はただ一人、金縛りに遭ったようにその場から動けなくなっていた。
湧き上がる奇妙な既視感に、心臓がドクドクと嫌な脈動を刻み始める。
真ん中で静かに祈りを捧げる、あの白髪の少女の姿。
……私は、確かにこれに見覚えがあった。
かつて、ノースハーバーの静かな自室で、何度も何度も飽きずにページをめくっていた、あのお気に入りだった絵本の一冊。
(あの……『少女の約束』の絵本に出てくる女の子に、そっくり……? でも、あれはお伽話じゃなかったの?)
あまりの衝撃に、私は手元の灯りを握る指先が、小さく震え始めるのを止められなかった。
あの絵本は、この世界に広く流通している、ごく一般的なただの童話のはずだ。……いや、あるいは神話に近いものだろうか。
これがただの偶然で片付けられるものなのか、私の頭では到底処理しきれなかった。
「ねぇ、ノエ…。あの真ん中の女の子…『少女の約束』に、似てない?」
「『少女の約束』…?確かに…!」
合点が言ったように反応をする。
「なんだ、それ?」
「知らない?結構みんな知ってそうなよくある童話よ?」
「よんだことないな」
意外に絵本は読んだことないのだろうか。一番読むのが似合ってそうだし、渡したらそれこそ尻尾を振って喜んで呼んでそうなものだ。
「なぁなぁ、それより」
足元にまで近づいてきていたポポロに声を掛けられる。
あまりあの絵には興味がわかなかったのだろうか。なんでも興味を持つ彼が何か珍しい様な気がする。
「ど、どうしたの?」
「そのけん、かしてくれ」
意味が分からない。急になんで私の剣を?あなたの身長じゃ持ち上げるのは無理じゃない?
怪訝そうな目でポポロを見下ろすと、彼はその視線に気づいたのか、自分の言葉足らずを補うように慌てて言葉を重ねてきた。
「あのだいざ、よくみるとへんなくぼみが、ある」
「……くぼみ?」
「ラグナのけん、ためしてみたい。おれのけんは、ぴったりじゃなかった」
すでに自分の武器は試していたらしい。まあ、それくらいなら断る理由もない。
ノエもその会話を聞きつけてか、いつの間にか台座のすぐそばへと一足早く移動していた。彼女は細い顎に手を当て、台座と私を交互に見やった。正確に言えば、私の腰に差してある、この白銀の細剣を。
「確かに……きれいに嵌まるかもしれませんね」
「何? そんなに細い穴なわけ?」
「少なくとも私の大斧は入りませんね」
ノエの冗談を軽くスルーして、ポポロと共に台座へと歩み寄る。
なるほど、確かに小さく細いくつろぎの溝――くぼみがあった。
私は腰の鞘から、静かに自身の細剣を抜いた。そして、ゆっくりと狙いを定めるようにして、刃の先端をそのくぼみへと差し込んでいく。
――カチリ、と。
驚くほど滑らかに、細剣は吸い込まれるようにして、完璧にくぼみへと嵌まり込んだ。
そっと手を離してみる。剣は元よりそこにあったかのように、直立不動のまま堂々と台座に鎮座している。むしろ私の腰に刺さっているよりも、似合っているように感じるほどに。
その瞬間。
ずっとこの神殿に足を踏み入れてから、脳裏の片隅にこびりついていた言い知れぬ違和感の正体が、鮮烈に弾けた。
思い出した、と言った方が正しい。
(この神殿の造り……私が、人間領にあった神殿からこの剣を盗み出した時の建物と――全く一緒だ……!?)
その戦慄の事実に気づいた、まさに次の刹那だった。
眩いばかりの青白い光が、台座からブワッと溢れ出す。
その光の奔流は、台座の後ろの床を這うようにして伸び、例の異質な幾何学模様の壁面へと到達すると、まるで血管に血が通うように真ん中を天井に向かってきれいに駆け上がっていった。
その壁は、ただの壁などではなかった。
あまりに巨大な、隠し扉だったのだ。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
重苦しく地を震わせる音が神殿内に響き渡り、ゆっくりと、だが確実に扉が左右へと開き始める。神殿全体が大きな地響きを起こしたかのように激しく建物が震え、千年の眠りから覚めた砂塵が豪快に舞い踊った。
ゆったりと、しかし圧倒的な威容をもって、その荘厳な扉が完全に開かれていく。
一体、その暗黒の奥には何が待ち受けているのか。私たちは息を呑み、神妙な面持ちのまま、扉が完全に開き切るその瞬間をじっと見つめていた。




