砂中 sideラグナ(Part7)
「ねぇねぇ、ママ! このえほん、読んで!」
「ラグナは本当にこれが好きねぇ。いいわよ、ほら、一緒にベッドに行こうね」
「またお母さんに読んでもらうのか? いいなぁ、僕も混ぜてほしいよ」
「えへへ、パパはおるすばん! おやすみなさい!」
「あはは、手厳しいな。お休み。僕の可愛いラグナ」
私と同じ鮮やかな赤毛を持つ、大好きな母親に手を引かれ、新調してもらったばかりの自分の部屋へと向かう。
木造の温かみがある部屋の中には、小さなベッドに勉強机、お気に入りのが詰まった本棚に、縫いぐるみの入ったおもちゃ箱。質素でありながらも、小さな女の子らしいあどけなさがそこここに残されていた。
床には、真っ赤なリンゴがモチーフの愛らしいラグが敷かれている。
本棚を埋め尽くす色彩豊かな背表紙の数々は、部屋の主がどれほど多様な童話に胸を躍らせてきたかを雄弁に物語っていた。『ケット・シーの大冒険譚』『サヨナラを言わない機械人形』『巨人の想い人』――彼女の童話好きがよく分かる、夢に満ちたラインナップが揃っている。
最近、ようやく念願の一人部屋をもらえたのだ。ここでいーっぱい勉強して、将来はパパとママと一緒に、リンゴ農園を大きくする。それが私の夢。……できたら、大好きなレミィもずっと一緒に。
壁掛け時計の針は、まもなく夜の十時を回ろうとしていた。
少し眠気にまぶたを落としながらも、ルンルンとした軽やかな足取りで真っ白なシーツのなかに潜り込む。
その後を追うように、母親はベッドの傍らに置かれた丸椅子に腰掛け、私が差し出した絵本を愛おしそうに受け取った。
そして、もう何度目になるか分からないそのお気に入りのページを、優しい手つきでゆっくりと開いていく。
『少女の約束』
―――昔々、あるところに、一人の綺麗な白髪の少女がいました。
少女はとても強くて、一人でなんでもできる、凄い人でした。
ですが少女は、とっても長い間、たった一人で果てしない旅をしていました。
寂しい旅を続けていた少女は、やがて自分が心から安心していられる「家」を探し始めます。
けれど、世界のどこを歩いても見つかりません。
旅にすっかり疲れてしまった女の子は、ある素敵なことを思いつきました。
『探しても誰もいないなら、自分でみんなが住める温かい大地を作ろう』と。
『そこでいっぱい、友達を作ろう』と。
何でもできる少女は、まずはみんながたくさん暮らせるように、果てしない水を生み出し、その上に豊かな大地を浮かべました。
次にその大地の上に、瑞々しい緑を作り上げました。
そして、自分の姿によく似た「人間」を作りました。
ですが、人間だけでは少し物足りなかった女の子は、次に大地に生まれ出ていた獣たちを、人に近い姿へと変えました。
そののちに魚や、気高いドラゴン、新緑に芽吹いた自然までも同じように姿を変えて、より友達として深く繋がろうとしました。
またそれらとは別の様々な種族を次々に作り上げ、最後には自分の化身として、二種類の不思議な『自我』を作り上げました。
少女はその作り上げた者たちと共に大きな家や、みんなが仲良く暮らせるように街を作り上げ、またより水や自然を豊かにしました。
ある時、少女はみんなを集めて言いました。
『生きとし生けるもの達よ、皆は私が生み出した子たちであり、大事な友達だ。ずーっと仲良く暮らしてほしい』
そう言い残した少女は、ある日突然、贈り物を残して光の中に消えてしまいました。
みんなは慌てて探しましたが、世界中のどこにもいませんでした。
ですがみんなは、少女との約束通り、仲良く平和に暮らし続けました。
少女からもらった命と絆を、その胸に強く抱いて。
いつか、その少女との再会を願って。
――物語が終わりを迎える頃には、私の意識はすっかり微睡の海の底へと沈みかけていた。
けれど、大好きなママが私のために紡いでくれるこの時間が、私はたまらなく愛おしかった。
できることなら一文字だって聞き逃したくないと、少女特有の猛烈な眠気に必死で抗い続けていたのだ。
「ふふ、そんなに頑張って最後まで聞きたかったの?」
「うん……。私も、大きく、なったら……いーっぱい、友達をつくりたい、なぁ……。みんな、たのし、く……」
「ええ、あなたならきっと素敵な出会いがたくさんあるわ。……おやすみなさい、ラグナ」
「おや、す、み……」
スゥスゥと可愛い寝息を立て始めた愛娘の額に、母親はそっと愛おしそうに口づけを落とした。
あの、どこまでも優しく温かかった、瑞々しいリンゴの香りがする記憶――。
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「う……っ」
「ラグナっ! お、おきたーっ! しんぱいしたぞーっ!」
引き裂かれるような鋭い頭痛と共に、強制的に意識が覚醒する。
まだ頭の芯がグワングワンと不快に揺れており、まともに思考がまとまらない。そんな私に、ポポロが半べそをかきながら全力で抱き着いてきた。
「……っ、痛い、ちょっと離れて……っ」
悪いけれど、今は少し一人にしてほしかった。口の中や服の隙間のあちこちに細かい砂粒が容赦なく入り込んでおり、肌にまとわりつく感触が猛烈に気持ち悪かったのだ。
私は、容赦なくしがみついてくる獣人の身体を無理やり引き剥がした。
後ろにきつく結び直してあった赤髪を乱暴に揺らし、毛先に絡みついた不快な砂を払う。
(夢、か……。何が友達、よ。今更、なんであんな……)
乾いた奥歯を噛み締め、口内の砂をペッと不快そうに地面に吐き捨てる。
あのみずみずしい緑に囲まれた幸福な過去は、今の私にとっては、もう二度と戻らないただの幻影だ。
私は目の前で涙目をしているポポロを見ながら、内心で苦々しく毒づいた。
「どこよ、ここ……」
重い頭を動かし、ようやく視界が開けて周囲の状況が見え始めると、砂漠地帯のあの容赦ない太陽の光はどこにもなかった。
そこに広がっていたのは、圧倒されるほど広大な『砂の空洞』。
その巨大な空間は、崩壊を免れた謎の古代の堅牢な遺跡によって形成されていた。
見上げれば、天井の亀裂の所々から、細い砂の滝がさらさらと黄金色の粒子のように美しく降り注いでいる。どういう大地の理屈でこの巨大な空間が保たれているのかは分からないが、少なくとも、圧倒的な砂の質量によって生き埋めになり、圧死することだけは免れたらしい。
また、あの地表の割れ目からどれほどの深さまで墜ちてきたのかは皆目見当もつかないが、床一面に深く降り積もっている柔らかな砂が、絶好のクッションになってくれたのだろう。
全身が痛むものの、今すぐ動けないほどではない。目立った外傷がないのは、奇跡に近い幸運だった。
それに、地表のあの地獄のような熱気に比べて、幾ばくか涼しくさえ感じられた。少なくとも今いる地下深くまでは、あの殺人的な日射しの暑さは伝播してきていないようだ。心なしか、砂漠の小動物たちがちょこちょこと視界の端で素早く動いているのさえ見えた。
「ポポロ……あなたは無事なの?」
「おう! ラグナがかばってくれたから、ぶじ!」
(かばった……? 私が、他人を……?)
正直、全く記憶にない。というより、墜落の衝撃の瞬間の記憶が綺麗に飛んでいるといった方が正しいのかもしれない。
確かに、落ちる途中までは「見殺しにするわけにもいかない」と思い、強引にその身体を抱え込みはしたが……。
どこか感傷的になってしまっているのかもしれない。
あくまで彼らは、目的地へ辿り着くための利害が一致しただけの“協力者”に過ぎないというのに。
「……あなたが無事なら良かったわ、ノエは? 彼女も近くに?」
曖昧な記憶の端を手繰り寄せる。確か彼女は、私たちが奈落へ落ちていくとき、自らあの砂の滝へと飛び降りてきたのが見えていた。ディロックスの命令があるとはいえ、同情する。
もし私が彼女の立場なら、雇い主の指示がどうあれ絶対にそんな無茶はしないだろう。彼女もつくづくお人好しすぎる。
「おう、ノエはまわりのようす、みにいってるぞ」
「……こんな奈落に落ちてすぐに偵察に行けるなんて、やっぱりあの女、頑丈過ぎない?」
「そんなことないですよ。私も着地に失敗して、少々体が痛いです」
不意に背後から響いた声に、思わず心臓がびくりと跳ねる。身体が反射的に警戒態勢を取ろうとしたが、まだあちこちの筋肉が痛んで悲鳴を上げた。
いつの間にか戻っていたノエが、平然とした声で姿を現した。どこかを痛めるどころか、埃一つついていないような涼しい顔をしてピンピンしている。本当に羨ましいほどの生命力だ。
「お二人とも、ご無事そうで何よりです。……動けますか? 向こうに風が通っている道を見つけました。上手くいけば外に出られるかもしれません」
「何とかね……」
「もしよければ、地上まで背負いましょうか?」
「そこまでしてもらわなくても大丈夫だから!?」
ノエの淡々とした、けれど的確すぎる気遣いに過剰に反応してしまう。やはりこの二人と話していると、どうにも調子が狂って仕方がなかった。
「なぁ、ここはどこなんだ? なんかふるい、いせきっぽいが……」
ポポロが短い首を傾げながら周囲を見渡す。
「……正直、私にも完全な判別はつきかねます。ですが、推測でいいのなら」
「おしえてくれー」
「私もかつて噂で耳にした程度の情報なので、確信はありません。……ですがおそらくここは、千年以上前に数多の種族が共に暮らしていたという、失われた大都市の跡地の一部ではないかと」
『!?』
ここが? こんな砂だらけの奈落の底に、かつて国家が存在していたとでも言うのだろうか。
意味が分からない。確かに規模的にはそこそこ広く感じるが、昔の人たちはこんな暗い場所に住んでいたというのか。
「古い文献で読んだことがあります。この砂漠地帯も、昔は緑と水が溢れる大地であり、そこで数多の種族がここに住んでいた、と。何があったのかまでは残されてはいませんでしたが、滅んだのでしょうね」
「この、なにもない、とちが?」
「えぇ、獣人領やドライアド領が隣接しているでしょう。その自然と同様に昔はそうであったと…」
「じゃあこんな砂地に沈んでるのは?」
「大きな流砂に巻き込まれたか…もしくは何者かの意志で隠されたのか…」
周囲を見渡せば、基本はレンガ造りの古い建物たちが並んでいる。だが、すでにその歴史的な役目を終えたかのように、どれもこれもが無残にボロボロに倒壊し、朽ち果てていた。中には柱しか残っていないような構造物もあり、その柱さえも耐えかねたように斜めに大きく傾いている。
その広大な廃墟群の真ん中に、ひと際大きくそびえ立つ神殿のような建物が鎮座していた。
それを見つめた瞬間、私の胸に奇妙な引っかかりが生まれる。
(……どこかで、見たことあるような気がする。どこだっけ……?)
まだ落下の衝撃の残滓が燻っているのか、頭痛が邪魔をしてうまく記憶の引き出しが開かない。
「うお~っ! あそこ、いってみるぞ~っ!」
私の静止よりも早く、ポポロが神殿らしき建物へと勢いよく駆け出していった。先ほどまでは暑さと私の看病で精一杯だったのだろうが、その枷が外れた今の彼を止められる者はいなかった。
未知なる冒険への旺盛な好奇心が、ノエの言葉によって完全に爆発してしまったのだろう。残された二人が制止する間もなく、小さな獣人はあっという間に小さくなっていく。
「……さすがに、何が潜んでいるか分からないこの場所に、彼一人を行かせるには不安ですね。ラグナ、動けますか?」
「……はぁ。こっちは一刻も早くこんなところから出たいのに」
まだ身体が重く感じられたが、ノエが優しく手を差し伸べてくる。……少しだけ躊躇ったが、その好意に甘えて手を貸してもらい、身体を引き起こした。流石に、あのトラブルメーカーを放置して置いていくわけにはいかないだろう。
私たちは、柔らかな砂の上に残された小さな獣人の足跡を追いかけるように歩き出した。
「うおぉおおぉぉおっ! たすけてぇぇえ!!」
――案の定、戻ってくるのが早すぎた。
四つ足の猛スピードで文字通り脱兎のごとく戻ってくるポポロ。その顔は必死の形相だった。
彼の後ろからは、先ほどまで私たちが騎乗していた個体よりも遥かに巨大で獰猛な、野生のトカゲの群れが地響きを立てて迫っていた。奴らは奇声を上げながら、怒り狂ったように駆け足で首周りの襟巻きを荒々しく逆立てている。目は完全に血走り、太い尻尾を鞭のように激しくはためかせていた。
「もう、何やってんのよ……!」
「近くの棲み処に、自ら迷い込んでしまったのですか……」
深いため息をつく私と、どこか楽しそうに目を細めるノエ。二人は呼吸を合わせるように、一瞬でそれぞれの得物へと手を伸ばした。
ガチャン! と武骨な金属音が空間に鳴り響く。ノエが背負っていた巨大な盾が、滑らかな機構の駆動によって、大きな丸みを帯びた円状の「大斧」へとその形状を瞬時に変形させた。
「行くわよ」
「ええ、合わせます」
二人同時に、凄まじい脚力で真っ直ぐに跳躍。足場であった砂場が爆風のように爆ぜる。
逃げてくるポポロと空中ですれ違うようにして前線へと駆け抜け、二人同時に狂暴なトカゲの群れへと切りかかった。
ノエはその巨体と常軌を逸した怪力を存分に活かし、勢いのままに先頭の一体を真っ二つに一刀両断する。その一撃の余波は凄まじく、空間の空気を裂いて後方へと一直線に伸びていく。まるで巨大な真空の斬撃が飛んだかのような衝撃波が吹き荒れ、辺り一面に猛烈な砂埃が舞い上がった。
大斧を振り下ろした動線上は、トカゲの肉体はおろか、その背後にあった古代遺跡の強固な石柱や建物までもが綺麗な断面を晒して切り裂かれていた。
ーー歴史学者が見たら、白目を剥いて倒れるのではないか。
その破壊の衝撃と爆風のような勢いだけで、後続のトカゲたちは一網打尽にされ、地面から強引に剥ぎ取られて宙へと吹き飛ばされる。
「ふっ……!」
私はトップスピードを維持したまま、ノエの爆風によって宙へと舞い上がった遺跡の瓦礫とトカゲたちの渦の中へと迷いなく突っ込んだ。
視界を覆う激しい砂塵の中、ノエの凄まじい一撃の範囲から紙一重で逃れていた個体群をターゲットに定める。持ち前の驚異的な機動力を最大限に活かし、瓦礫を足場にして跳躍。
トカゲ達は空中で虚しく足をバタつかせながらも、私に向けて火球を放ってくる。それを空中を踊るようにかわしながら、鮮烈な軌跡を描き、細剣でトカゲたちの急所を冷徹に切り裂いていく。
先ほどまでの全身の痛みなど、引き絞られた集中力の前には完全に消失していた。私はただの、一振りの凶器と化して、獲物を冷酷に切り伏せていった。
「はぁ……、はぁ……」
舞い上がった砂塵がゆっくりと落ち着きを取り戻す頃には、すべてのトカゲが物言わぬ肉塊となって砂の上に転がり、辺りは再び静寂に包まれていた。
(……また、砂だらけ。最悪)
私はトカゲの死骸の真ん中に立ち尽くし、自分の服についた汚れを嫌そうに見つめた。幸い返り血などはほとんど無かった。
私の姿を見て、ノエは感心したように細い目をさらに細める。
「いい身体捌きですね。かなりの高さを落下した直後とは思えないほどの、素晴らしいキレです」
「お~っ! ラグナ、さすがだぞー!」
ポポロが歓声を上げ、ノエはガチャンと再び小気味よい音を立てて、大斧を使い慣れた円形の盾の形状へと戻しながら近づいてきた。
私は、事の元凶である小さな獣人をギロリと冷たく睨みつける。その声には、隠しきれない怒気が孕んでいた。
「ポポロ。あんた、自分が誰のせいでこんな目に遭ったか、分かって言ってるの?」
「う……、わ、わるかったぞ……」
「いいではありませんか。結果として何事もなかったのですから」
「ノエ、あんたえらくポポロに甘くない?」
冷たい視線を私よりも大きい竜人族の女性に向ける。
「子供の頃なんて、皆こんなものです。 周りへの迷惑など何も考えず、それくらいやんちゃな方がちょうどいいものですよ。……あなたも、昔はそうだったのでしょう?」
「……っ。そう、かもね」
私はそれ以上の追及を諦め、ぶっきらぼうに愛刀を鞘へと納めた。これ以上、過去の自分を抉られるような話題に付き合うつもりはない。私は強引に話題を切り替えることにした。
「で……さっきノエが言ってた、風の通る道はどこ? 早くここを出て行きましょう」
「まあ、私は構いませんが……」
ノエはそう言って、ポポロの方をチラリと視線で見やった。
案の定、ポポロは名残惜しそうに、先ほど行くと言い張っていた中央の神殿と、私の顔を交互に何度も見つめている。どうやら、あの大聖堂へと辿り着く手前の巣穴に突っ込んでしまったのがよっぽど悔しいらしい。
少しだけ反省の色を見せつつも、物欲しげな、期待を込めた潤んだ瞳でこちらをじっと見上げてきている。
私は、本日何度目になるか分からない大きなため息を、深く一つ吐き出した。
「……分かったわよ。でも、ちょっとだけだからね」
その言葉を聞いた瞬間、ポポロの表情がぱあっと文字通りに明るくなった。彼はその場で嬉しそうにジャンプして尻尾をフリフリしながらはしゃぎ回る。
「ありがとうラグナ! ぜんはいそげだ~っ!」
またもや一目散に駆けていくポポロ。まったく、一喜一憂が激しくて、見ていて本当に退屈しない奴だ。
その後を追うように、私とノエはゆっくりと歩を進める。
向かう先は、あの不気味に鎮座する、見覚えのある神殿もどきだ。あまりにも巨大な建造物ゆえに、ここからであれば道に迷う心配だけはなさそうだった。
「ちょっとポポロ! 遺跡は逃げたりしないから…。それに善でもないでしょ!」
「ふふ、甘いのは、あなたも同じですね」
「……っ、うるさい。ここは珍しい場所なんでしょ? だから、少しくらいの寄り道なら……別に、大丈夫よね?」
我ながらノエのいう通りだと思った。
どうして私も、彼をつい甘やかしてしまうのだろう。
……なんとなく、察しは着くが今は目下の問題だ。
私の胸の奥には、急激な不安が黒い霧のように広がっていた。
ついつい流されてあの神殿に向かう事になったのはいいが、ここは深さすら未知数の、砂中に埋もれた死の遺跡なのだ。
いつ天井の砂が自重に耐えかねて崩落してくるかも分からないし、先ほど以上の凶悪な魔物が潜んでいる可能性だって大いにある。なんなら、私たちをここに叩き落としたあの超巨大生物が、今度はここに突っ込んで空間ごとすべてを押しつぶす可能性すら否定できないのだ。
そもそも、ノエが見つけてきたというあの道で、本当に確実に地上へ脱出できるのだろうか。こんな奈落の底で、私たちはこんなに呑気に寄り道なんてしていていいのだろうか。
こうしている間にも、地上の魔人たちは、次の残虐な行動に移っている可能性だってあるというのに。
ジャッ、ジャッ、と乾いた砂を踏みしめる度に、胸の内で少しずつ、だが確かな焦燥と後悔が形を成していく。
歩きながら、私は無言のままひたすらに悪い想像ばかりを考え込んでいた。
すると突然、私の右肩をトントン、と呼ばれた。
「なにゅ……!?」
驚いて隣を歩くノエの方へと顔を向けると、肉薄していた彼女の指先が、私の頬をぷすりと優しく突いた。
……え。こんな時に、そんな子供騙しのベタな悪戯をしてくるの?けど、意外と指柔らかいのね…。
「不安になる気持ちも、先を急ぎたい気持ちも分かりますが、そこまで一人で考え込む必要はないでしょう。少しリラックスしてください。あまりあなたが思い詰めたところで、事態は何も変わりませんよ」
「……」
「ラグナ、あなたは一人でいる時間が長すぎた。……いえ、一人にならざるを得なかったのでしょうね。だから、そのようにすべてのリスクを自分だけで抱え込み、思考の泥沼にハマる癖が身に染み付いてしまっています。ですが、今は私たちがいます。もう少し、周りを頼るということを覚えてください」
「……そう、ね」
頼る、か。
そんな温かい感覚なんて、私の磨り減った心にはもう一欠片も残っていない気がする。
なぜなら私は――そのような心の拠り所を、これまでの人生で二度も、無慈悲に失ってきたのだから。
一度目は、本当の親や、温かい故郷のすべてを魔人に奪い去られた、あの9年前のあの日。
二度目は、絶望の淵から私を拾い上げ、親代わりとして剣を教えてくれた唯一の師匠が、私の前から突然姿を消した、あの4年前の日。
もう、誰かを信じて裏切られるのも、大切なものを目の前で失うのも、嫌なのだ。
それが、今の私にとっては、世界中のどんな魔物よりも、とてつもなく怖かった。
ノエは、一歩先を歩き始めたラグナの小さな後ろ姿を、ただ静かに見つめていた。
乾いた砂漠の遺跡を進む、その細い背中は――あまりにも寂しげで。
到底、激動を生き抜いてきた18歳の戦士の背中には見えなかった。
それはまるで、あの幸福だった9年前のあの日から、一歩も前に進めずに立ち尽くしている、迷子の子供の背中に、見えた気がした。
皆さま、本日も読んでいただき、誠にありがとうございました。
みゃ~むらでございます。
最近めっきりあつくなってまいりました。
まだ6月になっていないというのに既に半袖を着ております。
今半袖着てたら、夏本番は一体何を着ればいいのか。水着でも着ればいいのか?
冗談はさておき、今回もどうでしたでしょうか。感想、お聞かせください。
ではでは




