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すべての生きとし生けるもの達へ  作者: みゃ~むら
オニカド編

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12/33

幕間:密約/独白 sideラグナ

ポポロは夜空を見上げていた。


迷いの森は鬱蒼とした茂みが頭上を覆い、普段なら空を仰ぐことすら難しい場所だ。

だが、ハイドアウトが身を潜める廃屋の周囲だけは違っていた。廃屋を丸ごと飲み込もうとしている一本の巨大な古木を除けば、不思議と遮る木々がなく、そこだけぽっかりと円形に夜空が顔を覗かせている。


二階の崩れかけの屋根に器用に座り込み、ポポロはぽかんと口を開けて空を眺めていた。その小さな手には、彼が片時も離さず大切にしている一冊の日記帳が握られている。

その日の終わりに日記をつけることが、ポポロの日課であり、彼にとって引き裂かれた世界と自分を繋ぎ止めるための、欠かせない習慣だった。


今夜は月明かりが一際こうこうと輝いており、青白い光に照らされた廃屋は、昼間の寂れた姿とは打って変わって、どこか神秘的な佇まいを醸し出している。

さらに廃屋の周囲には、昼間は緑に隠れていた様々な色の花々が咲き誇り、冷たい月光を浴びてまるでそれ自体が淡く発光しているかのように、色とりどりにきらめいていた。その幻想的な光景が、この場所の静けさと神秘さにいっそう拍車をかけている。


「おい、ちび助。そんなところで何やってんだ。足元を滑らせて落ちても知らねぇぞ?」

「お、ディロックス!」


空を眺めていると、下から声をかけられる。

いつの間にか、廃屋のすぐ近くまで接近していたようだ。ポケットに手を突っ込んで、こちらを見上げている。赤褐色の羽毛が鮮やかにきらめく一羽のホークが静かに羽を休めていた。

しかしポポロが夜空に夢中になっていたとはいえ、その足音に全く気づけなかったのは、偏にディロックスの情報屋としての卓越した隠密技術ゆえだろう。


ポポロは持ち前の驚異的な身体能力を活かして、ひょい、ひょいと軽い身のこなしで二階の割れた屋根から地上へと降り立った。

その小さな身体からは想像もつかない俊敏で無駄のない着地に、ディロックスは感心したように口笛を吹く。


「いい運動神経だなぁ。ノエといいお前といい、他種族の身体能力ってやつはつくづくら羨ましいねぇ」

「おまえはちがうのか?」

「人間の運動神経なんて、他の種族に比べたら赤ん坊も同然さ。……ま、一部に例外はいるけどな」


ディロックスは咥え煙草の煙を吐き出しながら、かつて人間領ヒューメブルグで共に戦った、燃えるようなオレンジ色の髪を持つ元戦友の姿を脳裏に過らせていた。

そして、今日あのバーにやってきた、ラグナの姿も。

にわかに信じがたいが、バーの近くに出現したという化け物もこの獣人のガキンチョと共に戦い、それを撃退したという。

まさか、あの鬼のクソジジィが連れてきたあの時のひよっこが、たった数年でここまで化けるとは想像すらしていなかった。明らかに人間の枠を壊し、その先へと踏み込もうとしている。

(もしかしたら、いつか本当に……あの魔人どもを、全滅させる日が来るのかもな)

ディロックスは少ししゃがみ込み、ポポロの頭を大きな手でわしゃわしゃと優しく撫でた。するとポポロは気持ちよさそうに目を細め、ぴょこんと生えた耳を嬉しそうに垂らして、尻尾をパタパタと左右に振った。


「で、あんなところで何してやがったんだ?…そりゃ、日記か?」

「おう、いつかこのにっきで、じでんをかきたい」

「そりゃ、いい。いつか読ませろよ」

「おう、まかせろ」


にこっと屈託なくポポロは笑う。

他人の悪意を知らない純粋な目だった。そんな彼にディロックスは疑問に思った。


「そういや、なんでお前みたいなガキンチョがこんな危険な森に来たんだ? 何か目的があったんだろ?」

「あぁ、ひとをさがしてる。だけど、ここにはいなかった」

「へぇ、そりゃまた誰をだ? 試しに名前を聞いてみてもいいか?」

「そういえば、おまえ、じょーほーやだったな。――シルヴェだ」


その名を聞いた瞬間、ディロックスはわずかに眉をひそめ、灰色の前髪の奥で目を細めた。

流石の広大な網羅知識を持つ彼でも、その名前には全く心当たりがないようだった。


「悪い。今の俺じゃ役に立てそうにねぇな。ちなみに、そいつは何もんだ?」

「おれたちの、つぎのぞくちょうになるよていだった。だけど、せんそーにまきこまれて、ちりぢりになっちゃったんだ」

「……そういえばお前たち獣人種は、精霊種と昔っから折り合いが悪かったよな。昔は戦争やってて最近は落ち着いてて…。でも、急にまた大規模な戦闘行為が始まったって話だろ?」

「あぁ、とつぜんだ。だからみんなちりぢりになって、ゆくえふめい。まよいのもりは、くにざかいのいちぶ。ぎゃくにかくれるには、うってつけ」

「なるほどなぁ。だけどその推測は外れ、ここには手がかりもなかった、と」

「あぁ。それに……」

「それに?」


少し言葉を詰まらせ、小さな肩を落とすポポロ。ディロックスは、その小さな背中から漂うただならぬ不安と恐怖を察し、急かさずに次の言葉を静かに待った。


「……あいつら、まじんと『いっしょ』にたたかってた」

「なに……!?それは本当か?」


ディロックスの目が鋭く見開かれ、咥えていた煙草の灰がボタ、と地面に落ちた。

あの利己的かつ傲慢の塊のような魔人が、他種族と手を組み「共闘」するなど、これまでの常識ではおよそ聞いたことがない。


ディロックスの頭のなかに、瞬時にして最悪な過去の記憶がフラッシュバックする。

かつて人間領の戦術指揮官として、侵攻してくる魔人を迎え撃ったあの日々。

幾重もの緻密な罠を張り、あの時できるすべてを用いた戦術を構築して挑みながらも、圧倒的な個の暴力の前にまるで太刀打ちできず、ただいたずらに部下たちの命をすり潰していった、あの凄惨な地獄絵図――。


あの無慈悲で一方的な蹂躙が、今度は形を変えて、獣人たちの豊かな故郷の目の前にも広がったのだろう。しかも今度は、異種族との結託という未知の不気味さを伴って。

(明らかに何か計画性のある侵略なのか……。オニカドへの侵攻といい、確実に裏で、何かが大がかりに動いてやがる。一体何が目的だよ)

しばしの逡巡の後、ディロックスは静かに煙草を足元で踏み消すと、いつもの軽薄な笑みをその顔に作り直してポポロへと視線を戻した


「……よし、わかった。そのシルヴェって奴の捜索、俺も協力してやる」

「ほんとうか!? やっぱりおまえ、いいやつ!」


さっきまでの暗い表情は一転。月明かりをそのまま反射したような、パッと明るい弾けるような笑顔が返ってくる。本当に分かりやすいガキだ。ディロックスは思わず苦笑する。


「ただし、一つ交換条件があるが、いいか?」

「あぁ、なんでもいえ!」

「ラグナの旅に、着いていってやってくれねぇか。……あいつ、一人じゃいつの間にか無茶して無駄死にしそうで、心配でな」

「ん? そんなことでいいのか…?おまえのほーしゅーは、たかいんじゃないのか?」

「信用ならねぇならもう一個追加してやる。お前の日記、いつか見せてくれよ。それだけじゃなくても、あいつは見ての通り、結構面倒くさくて頑固だぞ~?」

「かまわない」

「お前が怖がってる魔人と、十中八九戦闘になるぜ?」

「う……がんばる……。けど、どうしておまえが、そんなにラグナにかたいれする?」


ポポロの純粋な疑問に、ディロックスは自嘲気味にフッと鼻で笑った。


「ま、これも大人の仕事ってやつでね。あいつの師匠から、直々に頼まれてんだよ」


数年前、ディロックスの元に急に送られてきた、とんでもない額の大金と一通の手紙。

それは、あのクソジジィがもうじき自分は消息を断つこと、そして『これからはお前が少しだけでもいいから、あの馬鹿弟子の面倒を見てやってくれ』という、あまりにも一方的な彼からの最後の依頼だった。


「そうなのか。わかった、おれがラグナをまもる!」

「よし、交渉成立だな」

「おう!」


月明かりの下、年の離れた二人の男は、互いの信頼を交わすように、静かに、けれど固く拳を突き合わせるのであった。


*************************************


「ふぅ…」

結局、私はバーの横にある部屋の一室をマスターから借りて、そこで一晩を過ごさせてもらうことにした。

なぜかポポロまでが同じ部屋に泊まることになっていたが、今はもう床に丸くなって寝息を立てている。


私は、寝返りを打つたびにキィキィと耳障りな音を立てる錆びだらけのボロいベッドに横になっていた。雨風を凌げる天井があり、地べたに引いたマント以外で寝るのなんて一体いつぶりだろうか。


しかし、久しぶりにあんなにお腹いっぱいに食べた。

正直、ガツガツと見苦しいほどに頬張りすぎてしまったせいで、眠っていた胃がびっくりしているのか、それともただの食べ過ぎか、お腹が若干ジンジンと痛む。

いつもは旅の道中、生きるための最低限の栄養補給しかしない質素極まりない食生活だったため、先ほどの手料理には「食への感動」すら覚えたほどだ。

肉や野菜などの食料を調達することはそんなに難しくはない。

普通に商人から買えばいいし、指名手配されていない街なら探せばいくらでもあるだろう。

最悪、野盗の真似事をして畑から勝手に拝借することだってできた。


それでもどこか、気乗りしなかったのが本音だった。

かつての私にとって、食事とは大切な人たちと温かい時間を共有する、何よりもきらきらとした時間だったから。

それをあの悍ましい奴らに根こそぎ奪われた時から、私の時間はあの日、あの場所で止まったままなのかもしれない。


肉が欲しければ狩りをして、野生動物の息の根を止めればいい。旅をしながら生き延びる術として、師匠からは一通り教わった。

だが――正直に言えば、私は狩りすらもあまりする気にはなれなかった。

突如として故郷を襲ってきた魔人たちと、自分が生き延びるために無抵抗な獲物の命を奪う行為とが、どうしても脳裏で重なって見えてしまうからだ。

どちらも、自分たちの都合で他者の命を切り取る行為には変わりない。


この復讐の旅だって、きっとそうだ。

結局は自分が復讐したいから。あの化け物どもを、どうしても許せないから。

私もまた、自らの都合で命を奪おうとしている。


(……今夜もまた、あの夢を見るのだろうか)


瞼を閉じればすぐに裏側にこびりついて離れない、あの紅蓮に燃える景色の残像。みんなの悲鳴。

「……っ」


じっとしていられなくなり、私はベッドから身体を起こした。

少し思い出しただけで、肌にべっとりと嫌な汗が滲んでいる。

顔でも洗って、この熱を落ち着かそう。


音を立てないように静かに洗面台に近寄り、錆びかけた蛇口を軽くひねる。

冷たい水で肌を叩くように洗い、タオルでぬぐった後の自分の輪郭が、埃を被った鏡越しにぼんやりと浮かび上がった。


(確かに……ひどい顔かもね)


バーでディロックスにあれほど不愛想だと、薄汚いツラだと揶揄されたが、それも納得の顔つきをしているかもしれない。

鏡のなかの少女は、およそ年相応の瑞々しさとはかけ離れた、酷く険しい顔をしていた。

薄暗い蛍光灯の、心許ない灯りのなか。

私はそのひどい顔の、左頬にある歪な傷跡を、指先でゆっくりと撫ぜた。

あの日、私が確かにあの地獄にいたという、世界で唯一の証拠。


いつか診てもらった医者には「綺麗に傷跡を消すこともできる」と言われたが、幼い私は強く首を横に振った。

もし、この傷まで綺麗に消し去ってしまったら。


あの街でみんなと生きていた、愛おしい記憶。

魔人への、激しい反吐が出るような恨み。

何もできなかった己の無力さや、悔しさ。


そのすべてが、元から無かったかのように消えて失くなってしまう気がして、無性に怖かったのだ。

私の手元には、もう思い出しか残されていない。

そしてその思い出さえも、流れゆく残酷な時のなかで摩耗し、いつかは消えてしまうかもしれない。


であれば、目に見える確かな何かが欲しかった。

暗闇のなかで、溺れないように縋れる何かが欲しかった。


それが私にとっては、「復讐」という名の呪いなのかもしれない。

もはやそれは、人として生きていると言えるのだろうか。

もしかしたら、とうの昔に私は死んでいて、復讐という黒い感情にただ生かされているだけの人形なのではないか。

その問いの答えを、今の私は持ち合わせてはいなかった。


ゆっくりと足元へ戻り、再度ベッドに横になって薄い布団を頭まで被り込む。

シーツのなかでぎゅっと足を抱え込み、ただの小さな塊のように丸くなった。


最近はあえて考え込まないように、無理やり思考を麻痺させていた。

けれど、一度決壊してしまった感情は、とめどなく溢れ出して止まらない。

せっかく冷たい水で顔を洗って、熱を引かせたというのに。

また、私の顔は情けなく、少しずつくしゃくしゃに歪んでいく。


「おとうさん……おかあさん……レミィ……」


静まり返った寝室に、声を押し殺すような、小さな、けれど酷く寂しい嗚咽が、ただ静かにこだました。

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