鬼熊(アンダルタ)
「掛け替えのない仲間のためなら、危険を回避するために何だってする。今までもそうしてきたと思っていた。でも、今ならわかる。ずっと、守っていたと思いこんでいただけだったんだ」
レオンは一歩後ろに下がった。目をつぶり、胸を広げるように大きく深呼吸。
――本当はずっと守られているだけだったのに。『聖者の騎士』を守れないから、逃げてしまった。また、守れないかもしれない。でも……、
彼は姿勢を正し、大きく一歩を踏み出した。
「僕はもう逃げない。今度こそ、大切な者を僕の力で守るんだ」
レオンは待たされた時間を取り返すべく、光が揺らめく速度で中層を駆け抜ける。
中層から現れるデビルドックを無視しながら、ただひたすら一七層を目指した。
生憎、古い日記帳に書かれていた中層の地図の正規ルートは変わっていなかった。やみくもに走るより何倍も早く一七層に到着できる。
一七層の入口近くまで到達しても、冒険者たちの姿は見られなかった。つまり、多くの冒険者が一七層に到達している。
「大丈夫、大丈夫、大丈夫……」
もう、一七層までの入口がそこまで迫っていた。
レオンは、ぼんやりと光る洞窟の出口に迷いなく突っ込んだ。
薄暗い洞窟から、陽光の下に近しい光量の空間に入る。
反射的に瞼を下ろし、目を細めた。加えて腕を使い、眼元に影を作る。
目が光に慣れ、腕を顔の前からどけていく。
視界の先に、体長二八メートルを超える化け物がいた。
化け物は冒険者ギルドの建物以上に背が高い。
全身が真っ黒な体毛に覆われ、熊の容姿に似ていた。だが、頭部から二本の湾曲した角が生えている。
「お、遅かった……。あれが『鬼熊』」
レオンは安定していた呼吸が荒くなり、顎や唇が震えた。走って熱っていた筋肉が強張り、体が硬直する。
アンダルタが大口を開けるとフレアリザードの咆哮と似ているが、威力が桁違いの攻撃が放たれる。
一七層の地面がスプーンで簡単に掬えるマーガリンのように抉れる。
天井が一六層の時より明らかに高くなっており、別世界だった。
至る所に木々が生え、草原も広がっていた。
「危険な洞窟から抜け、こんな場所にやって来たら、オアシスのようになのに今は……もう」
一七層は化け物が叫ぶたびに空気を振動させ「この場所は俺のものだ」と主張するように攻撃を繰り返す。人がゴキブリや鼠を駆除するときと同じような雰囲気を放っていた。
「あははははははははははっ。凄い凄いっ。本当に出て来たよ。いやぁー、でっかいなぁ」
抉れた大地の中、傷一つ負っていないドリミアが高笑いしながらアンダルタを見つめた。
銀色の鎧の周りに風が舞っているような状態。すでに《魔法》【風鎧】を発動している。
「ドリミアさん、これはどういうことですか。説明してくださいっ」
赤髪のノーリスが体から血を流し、地面に倒れていた。
「大変だぁ~、まさか、一七層でこんな魔物が出てくるなんて、思いもしなかったよ」
ドリミアは上層中層の魔物と思えない異様な雰囲気を放つアンダルタに背を向ける。その表情は余裕そのもの。
「ドリミアさんっ。次の攻撃が来ますっ」
頭部から血を流しているカリーがノーリスの前に立ち、アンダルタの動きに反応して叫んだ。
「あぁ、大丈夫大丈夫。私は死なないから」
ドリミアの背後からアンダルタが巨木を小枝と勘違いしているのかと思うほど容易くへし折りながら張り手を放つ。
ドリミアは紙一重で回避。その瞬間、体に纏っていた風の鎧がかまいたちのようにアンダルタの腕に鋭い傷を作りだす。
だが、アンダルタの腕に着いた傷はすぐに再生した。
アンダルタは反撃してこないドリミアに興味をなくした。砂場で遊ぶ子供のように一七層を破壊する。
喧騒が溢れる中、レオンが近くまで弾き飛ばされてくる変な形に曲がった物体に目をむければ、冒険者の体だった。
救助カードが発動すればまだ生きている。発動しなければ、もう助からない。後者だった。
「ドリミアさん、あの魔物を早く倒してください。このままじゃ、みんなが……」
金髪魔法使いのリンは左手で右肩を押さえ、アンダルタを見上げた。
「おい……、ダルシーはどこだ? パックスもこんな時にどこに行ったんだっ」
ノーリスを抱え、死に物狂いでアンダルタの攻撃から逃げるカリーが回りを見渡す。だが、ダルシーとパックスの姿が見当たらない。
「あの魔物、放っておいたらどうなるんだろう? 気になるなー。地上に出て行ったりするのかな? それはそれで面白いか」
ドリミアは怪我を負っている、又は騒いでいる人間に一切、視線を向けない。
だが、静電気を受けたように身がピクリと跳ねると上半身を前に折り曲げる。
頭上を擦過したのは虎人の女の子、ヴィミのスラッと長い脚から繰り出される強烈な蹴りだった。
「私達を殺そうとしていたのは、お前だな」
ヴィミは噛み殺さんばかりに食いしばり、尻尾の先まで毛を逆立てる。
「はて? 何のことか、さっぱり」
蹴りを躱した瞬間、ドリミアの体に纏われた風の鎧から風の刃が生れ、ヴィミの体に飛ぶ。その間、一秒もない。
彼女は音の速度で迫る風の刃を空中で身を捻り、紙一重で躱す。だが、浅い傷を腕に負った。
「ほんと、今のを躱せるってどうなっているのかな。ほぼゼロ距離だったんだけれど? やっぱりヴィミちゃんは冒険者の才能があるねぇ」
「黙れっ」
ヴィミは着地した瞬間、間髪を容れずにドリミアの顔面に向ってもう一度蹴り掛かった。
だが、ドリミアはフレアリザードを一撃で倒すほど強烈な蹴りを手で軽々と受け止める。
ヴィミは目を見開いた。あまりに威力が出ない状況に表情から血の気が引く。




