Another6 神の世界
目が覚めても景色は変わっていなかった。どこまでも続く、白くて平坦な地面。見慣れた光景のなかに女神だけがいない。そこにいるのは俺一人。そのはずなのに、どこからともなく声がする。
(私の声が聞こえてるかい?)
「ああ、ばっちり聞こえてるよ」
(初めまして。神です)
「会いたかったよ、神」
会いたかった。会って顔を見てみたかった。一発ぶん殴ってやりたかった。
しかし、その姿はここにはない。声だけが脳内に響く。その声はイメージしていたよりずっと若々しい。
(どうだい? 転生ライフを楽しんでいるかい?)
「おかげさまで」
最大限の皮肉を込めたつもりだったが、神は「はっはっは」と笑っている。
(別に悪意はないんだ、私は君のことを大切に思っている。これは本当さ)
「少なくとも善意ではないよな?」
(まあまあ、言いたいことがあるのはわかるよ。でも先に要件を伝えさせてくれ)
「なんだよ?」
オホン、と咳払いをする神。咳払いだけは神っぽい。
(海川翔悟、君は今までたくさんの世界を見てきた)
ほぼ全て早死にだったけどな。主にお前のせいで。
(その訪れた世界の数は、この世界を含めて999999998カ所となった)
「待て、俺そんなに行ってないぞ?」
そんなに死んだ覚えも、そんなにいろんな世界を見た覚えもない。俺が行ったのはせいぜい十数カ所だ。
(そこにいる君だけじゃないよ。全ての世界の君を合わせると999999998になるのさ)
「俺にそんな記憶はないぞ?」
(そうだろうね。だから後で統合するよ)
「統合……?」
(全ての世界の君を、君に統合する。その記憶、経験も全てね)
「意味がわからん。俺は、俺一人だろ?」
(うーん、なんて言えばいいのかな。別の世界線の君、と言えばいいのかな)
別の世界線……。ふつうなら信じられないが、俺は一度、魔王と勇者という形で別の世界線の俺と会ってしまっている。
正無限角柱、といつか林さんが言っていた。その各面にいる俺は、どうやら俺とは別に異世界旅をしていたらしい。
(なかなか凄いことなんだよ。ここまで転生し続けるのは。たいていみんなどっかで嫌気がさして自殺しちゃうからね)
褒められてもあまり嬉しくない。俺には自殺をする勇気がなかっただけなのかもしれない。
(それに君の場合は他の人と違ってちょっと特別だし……)
「何がだよ?」
(いや、なんでもない)
この期に及んでまだもったいぶるか。
(それでね、1000000000回転生したら、記念に君にご褒美をあげようかなーと思って)
「なんだよ、ご褒美って?」
(それはお楽しみ。まあ敢えて言うなら"特別昇進"ってところかな)
「なんだそれ?」
(ランクアップ、レベルアップ、いや、クラスチェンジみたいなものかな)
「ますますわからん」
(まあ、その時になったらわかるよ)
「お前のことだから、どうせろくなもんじゃないんだろ?」
(そんなことないさ、君ならきっと気にいるだろう)
どう考えても胡散臭い。
(ご褒美が渡されるのは、1000000000回目の世界で君が死んだ時ね。その前に、小さなご褒美と言ってはなんだけど、あと2回の転生は君の要望を叶えてあげるよ)
「いや、いいよ。どうせ早死にするんだろ?」
(それは君次第さ。何か行ってみたい異世界とか、やり残したこととかないの?)
やり残したこと、か。思い当たることがあるにはある。他の俺がどんな世界を旅してきたかはわからないが、おそらく誰も行っていない場所。戻っていない場所と言うべきか。
あれっきりアイに会えていない。それに池内や教授に別れの挨拶もしてない。そして、この"研究成果"を発表していない。それに……何かを忘れてしまっている。
(君の願いは受け取ったよ)
「え、俺はまだ何も言ってないけど」
(君の考えを読み取ったよ。神だからね)
「頼むから、不幸な終わり方だけはやめてくれよ!」
(わかってるよ、私は君を気に入っているんだ。下手なことはしない)
その声は低くて重く、それでいて優しかった。あの神から出る言葉とは思えない。幻聴のようにも聞こえた。
ーーー
(じゃあ、あまり時間もないし最後に海川翔悟を統合することにしようか)
「統合って具体的には何やるんだ? 痛いのか?」
(痛くはないよ、ただし辛いかもしれないけどね)
「俺はどうなっちまうんだ?」
(安心して。消えたりするわけじゃないから。リラックス、リラックス。)
そう言った後、神からの声はしなくなった。その代わり、なにやらペンで走り書きしている音が聞こえてくる。その音は止まることなく鳴り響く。
……自然に瞼が閉じた。意識は失っていないが、目が開かない。
そして、瞼の裏に写真が映され始めた。それはスライドショーのように、一枚、また一枚と瞼の裏のスクリーンに流れてくる。
その写真は様々だった。
仲間と悪に立ち向かう勇者、どこかの国の貴族、おぞましい魔物、心を持つロボット、天才の魔法使い、落ちこぼれの騎士、巣を守るドラゴン、のんびり農家、江戸時代の武士、未来都市の住人、遠い星の宇宙人、悪役令嬢、普通の村人、大航海時代の海賊、女子高生……
写真と共に、その中のエピソードが脳にダウンロードされていく。
「うっ……ぐっ……ああっ……」
その一つ一つが壮絶だった。身近な人の死から裏切りまで、理不尽で不合理なものばかりだ。これらすべてが俺の経験。これらすべてが俺の研究。これらすべてが俺の人生。
「あああぁぁぁぁぁああああ!!」
何百、何千人もの俺の、憎しみと悲しみが一つになる。もうキャパシティオーバーだ。今までに感じたことのないレベルの感情が湧いてくる。
「クソっ、クソっ、クソっがあああぁぁああ!」
悔しい、悲しい、恐ろしい、愛しい、寂しい、楽しい、虚しい、惜しい、嬉しい、恥ずかしい、哀しい、苛だたしい。
憤怒、愉悦、失望、興奮、爽快、絶望、落胆、孤独、屈辱、嫌悪、緊張、不安、嫉妬、後悔、憂鬱、感動、憎悪。
それらが混ざり合って、それでいて一つ一つが形を持って流れ込んでくる。
そして、最後の一枚が流れ込む。
ーー泣きながら笑うショートカットの女の子。
(終わったよ、おつかれさん)
その声を聞いて目を開けた。目の前はさっきとなにも変わらない。
それなのに、さっきまでとは比べ物にならない怒りが込み上げてくる。全ての感情を超越して怒りと憎しみの波が押し寄せる。
ーー世界が憎い、憎い、憎い憎い憎い。
ーー神が憎い、憎い、憎い、憎い憎い憎い。
ーー俺が憎い、憎い、憎い、憎い憎い憎い。
ーー全てが憎い、憎い、憎い、憎い憎い憎い
「おい、てめえ! 今どこにいやがる! 出てきやがれ!」
(あーあー、やっぱ暴走しちゃったか)
「おい! 卑怯者! お前人の命をなんだと思ってやがる!」
(なんとでも言いなよ。私は私のやりたいようにやるだけだ)
「ふざけんな! お前のせいで! お前のせいで……!」
(言いたいことはそれだけかい? もういいだろう?)
「よくねぇ! 俺はお前に言いたいことが山ほどある!」
(言ってどうなる? 君の気が済むだけだろう? 君は君のために怒っているんだろう?)
「じゃあ……じゃあ、俺はこの感情をどこにぶつければいいんだ!」
(そろそろ時間だ。君とはお別れだ)
「あぁぁ……ああぁ……ううっ」
(今楽にしてあげるよ。ちょっと寝て頭を冷やしな)
「うぅ……うぅ………………」
(君に神の加護のあらんことを! まあ、私が神なんだけどね!)
……