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上を向いて歩こう。-3

 あれ以来、ボクは外出できていない。

 サイテンも姉さんも外に出ないことに何も言わない。

 ただただ、あるがままを受け入れてくれる。

 暖かい場所。

 嬉しかった。

 あのとき、日が傾き始めてアパートに帰ろうとして、でもバスや電車を嫌がるそぶりから、サイテンはすぐにタクシーへと切り替えてくれた。ボクは、怖かった。怯えていた。人と会いたくなかった。だからこそ、けれども、サイテンがとなりにいることで、すごく安心できた。この人なら大丈夫。そう思わせる、暖かさがあった。

 戻っても、何もする気力にならなかった。サイテンが出前を取ろうとしてくれて、ようやく、もうこんな時間なんだな、と思えたぐらい。何も、手につかなかった。呆然と、壁に寄りかかって座ることしか、ボクにはできなかった。でも。のろのろと、緩慢な動作で、シャワーだけは浴びた。気持ちが悪かった。触られた場所だけは、念入りに洗った。覚えているのはそこまでだった。

 けれども時間は過ぎていく。ボクは、ゆっくりとした生活をはじめた。

 そんな中、休養中のボクに、サイテンの上司さんから手紙が届いた。

 人に会えないボクに気を使ってもらって、なんだか申し訳ない。

 ボクは手紙を読んだ。



花形薫さんへ



 いつもお世話になっております。才能受渡(株) 天使課 係長 斉田です。この度は、アクシデントのために、このような形でのご挨拶とさせていただきます。サイテンとの共同生活、ご苦労かと思います。大変申し訳ありませんが、ご理解とご協力のほど、よろしくお願いいたします。

 さて。

 サイテンに「係長ぉぉぉ! お願いしますぅぅぅぅっ! 助げでぐだざいーー!」と鼻水垂らしながら泣きつかれたので、少し、お話をさせていただきます。彼はおそらく、あなたの前では格好をつけているでしょうから、まずは、情けないお話を一つ。

 先日、あなたのお作りになられたお弁当を彼は私に自慢しました。「どうです、係長。私は最高に幸せ者ですよ。なんて愛に溢れたお弁当でしょうか。係長のお弁当はどうなんです? またコンビニですか? なんとまぁ。長い付き合いですが、奥さんのお弁当、見たことありませんよ。どうされたんですか?」と。一字一句、はっきりと、全て正しく覚えています。この野郎、と彼のお弁当を一口食べると、彼は泣きました。あなたのお弁当がよほど大切らしいです。

 また、写真を撮ってそのデータを保存しておりました。少し悔しくなってしまった私は、彼のパソコンのフォルダを覗き見してしまいました。すると、どうでしょうか。仕事用のパソコンにも関わらず、あなたのお弁当の全ての画像が保存されているではありませんか。その上、彼のデスクトップの画像は、あなたのパンチラと、あなたの胸チラです。これには呆れて何も言えませんでした。そして、手が勝手に全ての画像を削除してしまいました。けれども翌日には何もかも元通りに戻っていました。どこに謝ればいいのかわかりませんが、本当にすみません。

 さらに、彼は猫が苦手なことをご存知でしょうか。なぜなら、外で共に昼食を食べようとしたとき、あなたのお弁当を少し食べられた経験があるからです。「あんなにも楽しみにしていたのに!」彼は叫びながら、猫を泣きながら追い払っていました。お弁当の画像をデジカメに保存することに時間を割いていたので、その隙を狙われたのでしょう。自業自得です。

 けれども、そんな彼ですが。根はとても真面目な男です。

 彼の初めての仕事。私も同席していたのですが、当時、彼はすごく悩んでいました。これが正しいことなのだろうか、と。そうです。ご存知のとおり、私どもの行っている仕事は、人に対しての影響力が大きいです。下手をすれば、世界に影響を与えてしまうほどです。しかし、全世界中、こうしたことは行われています。まるで人の弱みに付け込んでいると考えてしまった彼は、葛藤しておりました。成績は上がらず、それどころか一件も契約することができていませんでした。彼は、今時珍しいほど真っ直ぐな男です。

 しかし彼は、見てしまいました。男性から暴行を受け、泣いている少女の姿を。彼女は自害しようとしておりました。彼は見捨てることができずに、自分にできることを一生懸命探しました。そして、見つけました。契約を、つまり自分自身を騙す才能を渡したのです。彼女は、彼女自身を騙すことで、記憶に蓋をすることができました。彼女は前を向いて歩き出しました。彼の初めての契約でした。そうして、彼も、自分の仕事に誇りを抱くことができたのです。

 そのような男ですから、あなたに渡した才能も意味があります。私の口からというのも、彼に失礼かもしれませんが、しかしそれを伝えていない彼には責任があります。そして、彼の上司である私にも。ということで、ここでお伝えします。詳細の知らない私の推測ですが、おそらく、こういうことを見越して、女性専用車両の利用を勧めようとしていたのでしょう。アクシデントの予防になります。このようなことも起きないでしょう。しかし、起こってしまいました。

 契約の解除は可能です。

 その際は、私宛に、引き出しへ手紙を出していただければ、対応いたします。

 それでは、失礼いたします。

 あなたに幸運を。



  才能受渡株式会社 天使課

        係長 斉田 




 あぁ、そうか。

 そういうことだったんだ。

 気遣ってくれてありがとう、サイテン。

 でもボクは。

 本当はもう、大丈夫なんだ。

 手紙が来る少し前から。

 歩くことができるようになっていたんだよ。

 ちょっと勇気が足りなかっただけで。

 けど、サイテンがそれをくれた。

 胸にこみ上げてきた熱い何かを抱えて。

 ボクは、扉を開けた。




 

 




  

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