上を向いて歩こう。-2
その日、ボクは通勤ラッシュの中、来週の土曜日のことで頭がいっぱいだった。いやね、サイテンの上司さんが挨拶しにくるんだよ。部下がいつもお世話になってますって。別にいいのにねぇ。んで、姉さんも彼氏さんのところに外泊するんだって。しかも、日曜日にはそのままデート。いいねぇ。ラブラブだねぇ。そんなわけで、ボクはサイテンと二人で、『おもてなし』をするわけだ。ふふん。流行語、使っちゃったよ。
といっても、実は、メニューはすでに決まってるんだけどね。オレンジページをパラパラとめくって、「これおいしかったねー」とか、「あ、これいいかも」とか、「私はこれが食べたいです」とか二人で会話してたら、自然と決まったんだ。こうして意見してくれると、本当にありがたい。献立を考えるのって、結構難しいんだ。おかげで、ずいぶん助かってるよ。
でも実は。サイテンには内緒で、サプライズも考えてるんだ。旬のゆずを使ったヨーグルトだよ。プレーンのヨーグルトは市販だけど、それにちょこんとのせるゆずジャムは手作りなんだ。果肉と皮と氷砂糖でできるんだけど、まだビンに漬けたばっかりで、試食はしてないよ。試食が楽しみなんだー。
……ヨーグルトかぁ。牛乳で作れて簡単らしいんだけど……。う~ん。いやさ、作り方、調べてはいるんだよ。そう、調べては。でもさ、発酵だってさ。発酵。う~ん……。なんか、ねぇ。でもね、濃厚でおいしいらしいんだよ。話を聞く限り。手作りヨーグルトかぁ。……サイテンに相談してみようかなぁ?
献立のことで頭がいっぱいだった。
あれ買って。これ買って。
なにが冷凍されてて。
なにを作って。
あーだ。こーだ。
考えてた。
ボクは、油断していたのかもしれない。
警戒なんてするはずないのだけれど。
でも。
そうなのかもしれない。
なぜなら。
ボクの。
ぴっちりとしたデニムパンツの。
太ももの、それも内側に。
人の手が。
触れていたから。
手の甲ではなく。
手の平で。
意図的に添えられ。
そっと、舐めるように。
おぞましく動く。
皺のある中年男性の手。
ボクは混乱した。どうして。何が。どうなって。何を考えて。こんなところを。なぜ。触られているのか。わからない。どうして。どうして。どうして。怖い。恐ろしい。足が、震えた。ガクガクと。恐怖で。動けなかった。まるでそれは年老いた蛇だった。這いずるように、太ももをなでる蛇。舌をチロチロと出して、威嚇して。恐怖で縛り付けて、獲物を狙う老獪なイキモノ。それが、ゆっくりと、登っていく。太ももの外を。内を。お尻を。ゆっくりと、撫で回される。
吐き気がした。悪寒がした。気持ちが悪かった。それでも。関係なく。蛇は動く。お尻を。内股を。股間を。身体は震えている。楽しむかのように、撫でられる。ついには、セーターをめくって、下を這い出す。デニムの、ボタン。そして、おへそ。蛇が止まった。恣意的に、止められた。上か。下か。ボクは凍りついた。
「ご乗車、ありがとうございます。まもなく――――」
サッと、手が引かれた。
知らない駅だった。
急いで降りた。
窓に反射していたのは、知らないおじさんの、歪んだ口だった。
ボクは、駅から出て、逃げた。
知らない街を。
一人。
逃げた。
着ていた服が気持ち悪くて。
早く脱ぎたくて仕方なくて。
知らない公園のトイレで『お願い』した。
姿は変わった。
少し、ホッとした。
けれども。
沈んだ気持ちは変わらずに。
膝を抱えて。
震えた。




