↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7億円で、潰れかけのクラブを買いました ~数字しか見えない俺は、誰も数えない選手を集める~  作者: 猫の飼い主
第八章 市場 ―― 全員、降りてます

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
98/166

第98話 攫われる

電話が来たのは十日後の夜だった。


要はまだ事務室にいた。窓の外は暗かった。机の上に、二週間後に正式に、と書いた紙が置いてある。その紙を、要は一日に一度見ていた。


代理人の声は事務的だった。悪びれてもいなかった。別のクラブが条件を出した。要の提示の二倍だった。


「日本の、B.ONEのクラブです」


代理人は言った。


「上位の。……あなたのところより、ずっと、上の」


要はしばらく黙っていた。受話器を持ったまま、机の紙を見ていた。


なぜ知られたのか、は聞かなかった。聞くまでもなかった。


日本のクラブが東欧の二部まで見に来ている。その情報そのものが、値段になったのだった。二百人しか客のいない体育館に、極東から人が来る。理由は一つしかない。あの選手には値がつく。


要が値をつけたから、値がついた。


一年前、要は同じことを逆の側から見ていた。安いものを見つけて、拾ってくる側だった。今は見つけたものを上から攫われる側にいた。同じ目利きが、立つ場所を変えると、こうなる。


要は受話器を置いた。置いてから、机の紙を引き出しにしまった。


「あと、いくらなら」


浜口が、翌朝、そう聞いた。珍しく、先に金の話を持ち出したのは浜口のほうだった。この男が金の話を先にするのは、勝ち目があると思ったときだけだった。


「二倍は、無理です」


「知ってます。……一割五分、乗せる余地はあります。今季の遠征の等級を一つ落とせば」


「落としません」


要は言った。


「宮里さんが、二年かけて作った数字です。それを崩して一枚獲っても、来年、脚が折れます」


浜口はそれ以上言わなかった。ペンを一度だけ机で回した。回して、置いた。勝ち目は無いということだった。


ノヴァクとは、通訳を挟んで、一度だけ話した。国際電話は、声が半拍、遅れて届いた。相手の言葉が終わってから、通訳の声がかぶさる。そのずれの中で、要はこの選手の声の調子だけを聞いていた。


彼は言い訳をしなかった。謝りもしなかった。


「母親が、去年、倒れた」


それだけを言った。


それから、少し考えて、こう続けた。


「あなたの言った額のほうが、たぶん、俺の値段としては、正しい」


「……」


「でも俺は、正しい値段では、生きられない」


要は引き止めなかった。引き止める言葉を、要は持っていなかった。持っていたとしても、それは金でしか言えない言葉だった。この選手が要より上のクラブを選ぶのは、実力の話ではなかった。母親の薬の話だった。要にはそこに出せる札が無かった。


電話を切る前に頭を下げた。相手には見えない。それでも、下げた。


「うちで出せなくて、すみません」


通訳がその言葉を訳した。ノヴァクは、少しの間、何も言わなかった。回線の遠い音だけが聞こえていた。


最後に彼はこう言った。


「日本に行く。あなたのクラブとも、当たる。……その日に、俺がどこに立ってるか、見てくれ」


旅費は戻らなかった。七日ぶんの航空券と、宿と、通訳の日当。要の口座から出て、何も残らなかった。手元に残ったのは、六十分ぶんの正の字の紙だけだった。その紙はもうどこのクラブでも使えない紙になっていた。


事務室に郷田が入ってきた。要は伝えた。


郷田は怒らなかった。舌打ちもしなかった。ただ、椅子の背に手をかけて、しばらく立っていた。


「……いくら、上乗せされた」


「倍です」


「そうか」


郷田は、それだけ言ってコーチ室へ戻った。


三本立てた指の一本が、そこで消えた。二つになった。そのことを、二人とも口にしなかった。口にしなくても、机の上の六十行が、それを言っていた。


その夜、要は誰にも会わずに帰った。目利きは、金を持っている人間に上から真似される。それだけのことだった。それだけのことだと、要は自分に一度、言い聞かせた。

――最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

続きが気になったら、ブックマークしていただけると嬉しいです。

ページ下の★評価も、続きを書く力になります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。