第96話 市場の外
代理人から届いた売り込みは、その週だけで十一件あった。
要は全部、開いた。全部、閉じた。
映像はどれも派手だった。ダンク、ブロック、三本続けて決まる外のシュート。曲が付いているものもあった。編集されている。編集できるということは、もう誰かが売り物にしているということだった。
値段がついている。ついている値段はうちには払えない。
要は十一件を額の安い順に並べ替えた。いちばん下のものでも、うちの一年の人件費の半分を超えていた。並べ替えても、線の下に届くものは、一つもなかった。
「李濬浩のときと、同じですか」
浜口が聞いた。
「同じです」
要は言った。
「売りに出ているものは、買えません。うちが買えるのは、まだ売り場に並んでないものだけです」
浜口はいつもの紙を出した。三つの数字がいつもの順に書いてある。
実績、三千。損益分岐、三千五百。昇格の基準、四千。
「今季の見込みです。動員は、まだ伸びます。分岐も、まだ上がります」
浜口は一番下の行を指で押さえた。
「差、五百人ぶん。……この一年、要さんの財布が、一試合ずつ埋めてきた分です」
「はい」
「去年の暮れに言いました。今季をいっぱいまで戦えば、ぎりぎり、と」
浜口は顔を上げた。
「その今季です」
要はうなずいた。うなずいた以上のことは、言わなかった。言えば、浜口が計算を始める。その計算の答えを、要はもう知っていた。差の五百に、これから買う一枚の年俸が乗る。乗れば、ぎりぎりは、ぎりぎりでなくなる。
要は旅費の見積りを出した。乗り継ぎ二回、七日間、通訳込み。数字を書いた紙は一枚だった。
浜口は数字を見て、少しだけ黙った。
「クラブの経費では、通しません」
「分かってます」
「……通せない、じゃありません。通しません。要さんの金で行くなら、俺は口を出さない。それだけです」
要はうなずいた。この一年半で、この男が覚えた線引きだった。クラブの金と、要の金を、浜口は決して混ぜなかった。混ぜないことがこの男の筋だった。要の金でクラブのものを買うときは、要からの借りとして、別の帳簿に置く。クラブの帳簿には払った分が載り、別の帳簿には、要にまだ返せていない分が載る。分けて置くことで、浜口は、要の私財がいつ尽きるかをいつも正確に数えていられた。
行き先は東欧の二部リーグだった。
要が選んだ理由は単純だった。そのリーグは、放映もされず、まとまった記録も残らない。数字が外に出ない場所は、値段もつかない。値段がつかないから、うちにも手が届く。
李濬浩を獲ったときと、同じ考え方だった。ただし今度は映像では足りなかった。膝と足首の使い方は、画面越しには見えない。跳ぶ前の半歩の位置取り。相手より先にそこへ立つ速さ。それは、その場に立って、同じ床の上で、同じ照明の下で見るしかない。
一回しか飛べなかった。二回目の旅費は、要の口座にも無かった。だから、一度で見極める選手を、行く前に決めておく必要があった。要は、映像で残った三人のうち、二人を行く前に捨てた。
出発の朝、事務室の鍵を閉めていると、練習場のほうから音がした。
ボールが床を打つ音が二つ。オフのはずだった。
覗くと、志水玲央と、宇野匠がいた。二人ともまだ若い。誰にも言われずに来て、誰にも見られずに打っている。境目の線を、二人とも踏んで走っていた。踏んでいることに、気づいてもいなかった。
去年まで、この体育館に、オフの日に来る若手はいなかった。来ても意味がないと思われていた。二年で切られる場所に、余分な一日を使う者はいない。
要は、声をかけなかった。声をかければ、二人が見られていたことを知る。知れば、明日から来にくくなるかもしれない。
要は、鍵をそのまま持っていった。
夕方の便だった。
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