第92話 誰も、指名しなかった
その年のドラフトは、一月に終わっていた。
潮見はB.ONEだ。指名権は無い。今年も要は指名から漏れた選手の一覧をめくっていた。一年前、一ノ瀬を見つけたのと同じやり方だった。
その中に、一人、いた。
宇野匠。十八歳。ポイントガード。大型だが線が細い。高校では強豪校の控えだった。上にうまい先輩がいて、最後までレギュラーにはなれなかった。だから、目立つ数字も無い。だから、誰も、指名しなかった。
「線が細くて、当たりに弱い。だから、全チーム、見送った」
要は、映像を見ながら、浜口に言った。
宇野の映像は、一ノ瀬のときと同じで、手ブレした保護者のカメラの一本だった。だが、要の目は、宇野が点を取る場面では止まらなかった。宇野がパスを出す、その一瞬で止まった。味方がまだ走り出す前に、もうパスがそこへ出ている。味方の動きを半歩先に見ている。
「でも、視野が広いんです。黒木さんと、同じ種類の。……三年、うちで体を作れば、化けるかもしれない」
「また、育成契約ですか」
「はい。安いので」
浜口は少し笑った。一年前と同じ会話だった。だが、一年前と違うことが、一つあった。
「今のうちなら、育てられますよ」
浜口は言った。
「番場さんの育成。宮里さんの体づくり。遠征のコンディション。……去年は、拾っても育てる場所が無かった。今は、あります」
要はうなずいた。一年前、要は一ノ瀬を拾った。だが、あのときは、一ノ瀬を番場に預けるしかなかった。育てる仕組みは無かった。番場一人に頼っていた。今は違う。番場だけでなく、宮里も郷田も遠征の宿も、揃っている。宇野は一ノ瀬よりいい環境で育つ。クラブが一年でそこまで育っていた。
宇野が潮見に来た日、一ノ瀬が体育館の入り口で待っていた。
誰にも頼まれていなかった。だが、一ノ瀬はそこにいた。
「一ノ瀬、樹です」
一ノ瀬は言った。
「俺も、去年、拾われたんで。……なんか、心細いだろうと思って」
宇野は少し驚いた顔をした。それから、頭を下げた。
要は二階からそれを見ていた。
宇野を口説いたとき、要は一ノ瀬のときと同じことを言った。うちはまだ下位だ。提示できるのは育成契約で、月給は安い。一年目はたぶん試合に出せない。三年後に化ける確率も五分五分だ。全部、正直に言った。
宇野は聞き終えて、こう言った。
「一ノ瀬さんが、いるクラブですよね」
「ええ」
「あの人も、指名、漏れたんですよね。それで、今、試合に出てる。……なら、俺も、いけるかもしれない」
要はそのとき思った。一ノ瀬が試合に出ている。その事実そのものが、次の子を連れてくる。育成が、次の育成を、呼ぶ。金では買えない、呼び水だった。
去年、一ノ瀬は独りで高校の体育館に残っていた。誰も、教えてくれなかった子だった。
その一ノ瀬が今、拾われたばかりの子を迎えに来ている。
誰も教えなかっただけ。その言葉が、また一つ形を変えて、回っていた。教わらなかった子が教える側に。拾われた子が迎える側に。
「番場さんが、いるから」
一ノ瀬は宇野に言っていた。
「あの人に、教われば、うまくなる。俺が、そうだった。……あと、宮里さんに、体、診てもらえ。無理して、壊すな。壊れたら、終わりだから」
宇野はうなずいていた。
黒木隼人も宇野を迎えた一人だった。三十を過ぎた司令塔が、自分と同じポジションの十八歳を見ていた。いつか、自分の後を継ぐかもしれない子を。
「パス、見えてるらしいな」
黒木は言った。
「……はい。少し」
「体、できてねえと、そのパスも、通らねえぞ。まず、飯を食え。話は、それからだ」
黒木は、それだけ言って、コートへ戻った。ぶっきらぼうだった。だが、宇野を拒んではいなかった。八年、誰にも数えられなかったパスを要に数えられた男が、今度は次のパサーを迎えていた。
要は、その光景を手帳に書かなかった。書くまでも、なかった。
去年、要が一人で拾って一人で育てようとしたものが、今はクラブそのものに根を張り始めていた。番場が教え、宮里が守り、黒木が継ぎ、一ノ瀬が迎える。要が一つずつ拾ってきたものが、次の一枚を育てる側に回っている。
一年前の一ノ瀬は、拾われる側だった。今年の宇野も、拾われる側だ。だが、そのあいだに、一ノ瀬は迎える側に変わっていた。一年で、人はそこまで変われる。要はそれを、この目で見ていた。
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