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7億円で、潰れかけのクラブを買いました ~数字しか見えない俺は、誰も数えない選手を集める~  作者: 猫の飼い主
第七章 線 ―― 埋める金のほうが、先に尽きる

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第88話 線が、止まった

志水玲央は、後半戦、調子を上げていた。


脛はもう痛まなかった。宮里が止めたあの時期を越えて、稼働率はほぼ百パーセントになっていた。一度も離脱していない。番場に教わったフォームで、志水は少しずつ点を取り始めていた。


その志水を、宮里が毎試合確かめていた。着地の左右差。走行距離。数字はもう逃げていなかった。


「番場さんに教わって。宮里さんに止めてもらって。……俺、運がいいっすね」


志水が言うと、宮里は少しだけ笑った。


「運じゃないです。……止めたときは、あなた怒ってましたよ」


「……忘れてください」


志水は耳を赤くした。



同じころ、平良大和は商店街にいた。


佐伯の企画で、平良が地元の子どものバスケ教室を開くことになっていた。場所は体育館の試合後の空いたコート。子どものかけっこと同じ場所だった。


平良は子どもに囲まれていた。試合にはあまり出ない。それでも子どもたちは、平良を知っていた。町のあちこちで平良に会うからだ。商店街。公園。学校の体育館。


「たいらせんしゅ、しあい、でないの?」


一人の子が聞いた。


平良は少し詰まった。それから、笑って答えた。


「出るよ。……でも、コートに出てない時間も俺の仕事なんだ。こうやって、みんなとバスケするのも」


要はその言葉を離れて聞いていた。


一年前の平良なら、言えなかった言葉だった。コートに出てない時間も、俺の仕事だ。それを、恥ずかしがらずに子どもに言える。準主力であることを、負い目でなく役割として引き受けている。


平良のバスケ教室は、すぐに評判になった。母親たちが子どもを連れてきた。試合の券も一緒に買っていった。平良に習った子が、試合の日平良の名を呼ぶ。その親が屋台で金を使う。また一つ、輪の中に繋ぎ目ができていた。


佐伯がその様子を記事にした。見出しは地味だった。『試合にあまり出ない選手のいちばん忙しい一日』。だが、その記事は静かに読まれた。



事務室で、要は二つの数字を並べていた。


一つは平良の集客への貢献。平良が関わったイベントの動員。平良のグッズの売上。数字はじわりと伸びていた。競技の準主力が、事業の主力になりかけていた。


もう一つは宮里の数字だった。今季の選手の総離脱日数。リーグでいちばん少なかった。桧山を失った相手クラブとの差が、そこにはっきりと出ていた。


どちらも去年は無かった数字だった。



浜口がその二枚を覗き込んだ。


「平良さんも、宮里さんも。……去年なら、どっちも切られてた側ですよね」


「そうです」


要は言った。


「準主力でムラのある選手。金がないのに雇った、トレーナー。……数字だけ見たら、どっちも贅沢です」


「それが、今はうちのいちばんの資産だ」


浜口は言った。


要はペンを置いた。書くことが無かった。



浜口は電卓を引き寄せた。指が少し動いた。


「平良さんの集客で、客が増えました。宮里さんのおかげで、選手が折れない。……折れないってことは、代わりを慌てて獲る金も要らない」


浜口は二枚の数字の隅に小さく書き足した。


「損益分岐が、三千五百のまま止まってます。……宮里さんに、遠征に、金は増えたのに。上がらなかったのは初めてです」


要の手が止まった。


「上がらなかった?」


「平良さんが呼んだ客と、宮里さんが減らした出費が。増えたぶんを、ちょうど相殺しました。……投資が初めて自分の首を絞め返さなかった」


浜口は続けた。


「そのうえ実績が三千に、あと少しのところまで来てます。分岐が止まって、実績が伸びた。……差が初めて縮みました」


要はその数字をしばらく見ていた。


「持ち出しは」


「減りました。開幕は、一試合あたり九百人ぶん、要さんの私財で埋めてました。今は六百人ぶん。……まだ、埋めてます。でも、初めて減った」


増え続けるはずの線が、初めてこちらへ動いていた。


「これ僕がいい手を、打ったからじゃないです」


「わかってます」


浜口は言った。


「平良さんが、ただで町を歩き続けた。宮里さんが、責められても脚を数え続けた。……その二人ぶんが、いま線を押し戻してます」



「浜口さん」


要は言った。


「うちは、他のクラブが切るものを拾ってここまで来ました。番場のときからずっとです」


要は二枚の数字を揃えた。


「一枚ずつは、贅沢に見える。切ったほうが、帳簿はきれいだ。……でも、その贅沢を切らずに拾い続けたら。いつのまにか、回り始めてました」


浜口はその言葉を聞いていた。


「要さん。それ去年の要さんが聞いたら、信じましたかね」


「信じないでしょうね」


要は言った。


「去年は一勝でも欲しかった。目の前の運転資金で、精一杯でした。……集客の顔とか、折れない体とか。そんな贅沢考える余裕がなかった」


「今は、考えてる」


「考えられるように、なりました。……回り始めたからです」


要は二枚の数字を引き出しにしまった。贅沢に見えたものが、いちばんの資産になる。それが分かるまでに一年半かかった。


切っていれば、帳簿はきれいだった。平良も宮里も去年の要なら、たぶん切っていた。切らなかったのは、正しかったからではない。ただ、切れなかっただけだ。金が無くて、拾ったものを、手放せなかった。その貧しさが結果として、いちばんの財産を手元に残していた。



窓の外を要は見た。


冬が終わりかけていた。シーズンも残りわずかだった。


十八勝にはまだ少し足りない。だが、去年の十勝五十敗の潮見とは、もう別のクラブだった。観客は三千を超える日が出てきた。選手は折れなくなった。町は回り始めた。


そして、まだ一度も勝てていない相手がリーグに一つ残っていた。


湊川ガルーダ。


かつて番場と組んでいた綱島が、今も主力を張る格上のクラブだった。


シーズンの最後に。潮見はその壁と初めて当たることになる。

――最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

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