第86話 手の届く距離に、いる
平良大和は三日考えた。
その三日のあいだに、要は平良のことを佐伯涼真に話した。
「平良さんを、集客の顔にしたい」
佐伯は少し笑った。
「いいですね。あの人町の人気、番場さんの次ですよ。若い母親とか、子どもとか。……番場さんは、遠すぎるんです。日本代表まで行った人だから。平良さんは、ちょうどいい。手の届く距離にいる」
佐伯は続けた。
「ただ本人が、嫌がるでしょうね。選手として見てほしい人だから」
「嫌がってます」
要は言った。
その夜、番場剛が平良を飲みに誘った。
番場が若手を飲みに誘うのは、めずらしかった。
「大和。お前集客の顔とかいうの、断るつもりだろ」
平良はビールを置いた。
「……番場さんも聞いたんすか」
「聞いた」
番場は自分の膝をさすった。テーピングの上から。
「俺もな、去年断ろうとした。焼き鳥屋の看板になれって言われて。……ふざけるな、と思った。動けねえのを、笑いものにされてるみたいでな」
平良は黙って聞いていた。
「でもな」
番場は言った。
「やってみて、分かった。……あれは、笑いものじゃねえ。俺が、この町にまだ要る形なんだ」
番場はビールを飲んだ。
「跳べなくなっても、町が俺を憶えてる。……それが、どれだけありがたいか。お前には、まだ分からねえだろうな。跳べるうちは」
平良はコップを握っていた。
「大和。お前は跳べる。跳べるうちに、両方やれ。コートでも戦って、町の顔にもなれ。……俺は跳べなくなってから、片方しかできなかった」
番場は少し黙った。
「俺はな、現役のあいだずっとコートのことしか考えてなかった。町のことなんか、見てなかった。跳べなくなって初めて町が、俺を見ててくれたことに、気づいた。……遅かったよ」
平良はコップを見ていた。
「お前は、両方見えてる。客の顔も覚えてる。……それは、才能だ。跳ぶのと同じくらいの、才能だ。ただ、お前がそれに値をつけてないだけだ」
番場はビールを飲み干した。
「あのオーナーは、そういうのを拾うのが、うまい。俺のときも、そうだった。……乗っかっとけ。損はしねえ」
番場はそれだけ言ってまた膝をさすった。
次のホームゲーム。
平良は試合前にコンコースに立っていた。
いつものように客と喋っていた。C列のおっちゃん。売店の婆ちゃん。だが、その日は、少し違った。佐伯がその様子を撮っていた。記事にするためだった。
平良は子どもに囲まれていた。試合に出るかどうかも分からない、準主力の選手が。だが、子どもたちは、平良の名前を呼んでいた。「たいらせんしゅ」と。
要は二階からそれを見ていた。
得点ランキングには平良の名は無い。だがこの町のいちばん賑やかな輪の真ん中に、平良がいた。
ハーフタイムには、公民館の子たちが踊った。
揃いのTシャツの小学生が、モップの引き上げた床へ走り出てくる。曲は一つ。振りはそろっていたり、いなかったりした。端の一人が途中から左右を間違え、隣を見て一拍遅れで直した。客席がいちばん沸いたのはそこだった。
要は二階から出入口を見ていた。
ハーフタイムは、客がコンコースの屋台へ流れる時間だ。その流れが来なかった。扉の前まで行った客が、曲が始まると引き返してくる。屋台にはこの五分だけ客が行かない。
曲が終わり、十四人がばらばらのお辞儀をした。拍手のあと、思い出したように客が扉へ流れ始めた。
要の手帳に、その日一行だけ増えた。五分、席を立たない。
その下に、要はもう一行、書き足した。
――屋台、五分ぶん、損。
焼き鳥の屋台は、一年、同じ味だった。最初は珍しかった。いまは目当てに並ぶ客と、覗いて素通りする客に、分かれ始めている。ハーフタイムを町に貸すたびに、屋台はその五分を削られる。
誰かが得をした分は、たいてい、誰かの損の上に乗っている。
(……次は、何を並べてもらうか)
その試合、平良は、五分だけ出た。
点は取れなかった。だが、平良がコートに立った五分、客席がいちばん沸いた。「たいら!」の声があちこちから飛んだ。チームで得点上位の一ノ瀬が出たときより、その声は、大きかった。一ノ瀬は強い。だが、平良は、この町のみんなの知り合いだった。
平良はその声を聞いていた。跳べる選手は金で獲れる。だが、この声は、獲れない。二十七年この町にいた、平良にしか、鳴らない声だった。
一ノ瀬がベンチからその光景を見ていた。そして、要のいる二階を一度見上げた。自分にはまだあの声は鳴らない。強いだけでは鳴らない声があることを、一ノ瀬はその日、知ったようだった。
試合後、平良は要のところに来た。
「……やります」
平良は言った。
「集客の顔。やらせてください。……番場さんに、言われました。跳べるうちに、両方やれ、って」
要は、立ち上がって、頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼は、いらないですよ」
平良は少し笑った。今度は目も笑っていた。
「俺たぶん、これずっとただでやってたんで。……値段がつくとは、思ってなかった」
平良はコンコースのほうを見た。まだ、客が少し残っていた。C列のおっちゃんが、帰り際に平良に手を振っていた。平良も振り返した。
「番場さんに、言われたんです。跳べなくなってから気づくより、跳べるうちに気づけって。……俺、跳べなくなる自分を考えたこと、なかったんですよ。でも、いつか、そうなる。番場さんみたいに」
平良は少し笑った。
「そのとき、この町に、俺の居場所が、残ってたら。……それは、たぶん、今日の五分より、長く続くんで」
【B.ONE】潮見ブルーホエールズ 応援スレ Part76
298 名無しの潮見住民
今日のハーフタイム、うちの子が踊った側です
親バカ失礼
よく頑張った
299 名無しの潮見住民
>>298 おつかれ
うちは先月出た組
前の日、眠れないのは親のほうなんだよな
300 名無しの潮見住民
>>299 わかる
ビデオ、手が震えて全部ブレてた
301 名無しの潮見住民
うちはじいちゃんばあちゃんに声かけたら、親戚一同来た
チケット八枚買った
孫の出番は五分、試合は二時間、みんな最後までいた
302 名無しの潮見住民
>>301 それ完全にクラブの思う壺では
303 名無しの潮見住民
思う壺でいいんだよ
孫の晴れ舞台と焼き鳥があれば、冬は越せる
304 名無しの潮見住民
来月は婦人会のフラらしいぞ
うちの母が出る
父が三十年ぶりに体育館へ行くと言い出した
305 名無しの潮見住民
ちびっこが可愛すぎて、飯を買いに行くタイミングを逃したわ
306 名無しの潮見住民
>>305 わかる
買いに出ると、見られないんだよな
焼き鳥屋の親父、客が来ないから入口まで覗きに来てたぞ
――最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
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