第84話 値段を決めるのは、うちです
「潮見の造船所の跡地」
財前は言った。
「あれはまだ、大洋のものです」
要の指が膝の上で止まった。
潮見の海沿い。造船所が閉じてそのまま更地になった広い土地。要は子どものころ、父の店からその煙突を見て育った。煙突はもう無い。土地だけが海の風に晒されている。
「広い平らな土地です。駅からも近い。……新しいアリーナを建てるなら、あそこ以外に無いでしょう」
財前は微笑んだ。
「あなたが、いつか箱を建てたくなったとき。……その土地の値段を決めるのは、うちです」
「うちに、箱を建てる金はありません」
要は言った。
「建てるとしたら、市です。土地の話をする相手は、僕じゃない」
「ええ。おっしゃるとおりです」
財前はあっさりうなずいた。
「ですが市は、誰かが言い出さないと動きません。……一度だけ、話が出たことはあります。もう、白紙になりましたが」
財前は、机の上の紙を、指の先で軽く押さえた。
「言い出すのは、あなたです。市に頭を下げて、図面を描かせて、議会を通るまで走る。市はそのあとから、うちに買いに来る」
要は答えなかった。
「だから、値段の話は、あなたにしています」
財前は言った。
「その土地を高くするのは、市ではなく、あなたなので」
要はようやく財前が呼んだ理由を理解した。
一年前、財前は潮見を道楽だと切り捨てた。畳むのが町のためだ、と。あのときクラブに値は無かった。土地にも無かった。造船所の跡地など、誰も欲しがらなかった。
だが、潮見が回り始めた。客が増え、町が動き、いつか"アリーナ"という話が現実味を帯び始めた。
そうなるとあの更地に値がつく。
「あなたは、面白い人だ」
財前は言った。
「誰も値付けしないものを、拾って値をつける。……そのおかげで、うちの負動産だった土地にまで、値がつきそうだ」
財前は茶を一口飲んだ。
「皮肉なものですね。あなたが町を温めるほどうちの土地が、高く売れる」
要はその言葉の冷たさを聞いていた。
要が町を温める。その熱でこの男が切り捨てた土地の値が上がる。要が積み上げたもののいちばん上の実りを、この男が待っている。
「一つ、伺っていいですか」
要は言った。
「どうぞ」
「大洋さんは、あの土地を売りたいんですか。それとも、売りたくないんですか」
財前の微笑みがわずかに止まった。
要は続けた。
「売りたいなら、今すぐ買い手を探せばいい。でもあなたは、そうしていない。……値が上がるのを、待っている。潮見がもっと育つのを」
「……商売です」
「ええ。商売です」
要は言った。
「だから、僕は、急ぎません」
財前が要を見た。
「あの土地が要るのは、たぶん何年も先です。今、値段の話をしても意味が無い。……その日まで僕は、ただ町を温め続けます」
要は立ち上がった。
「値が上がって、困るのは、そちらかもしれない。高くなりすぎたら、僕は別の土地を探すだけなので」
それははったりだった。あの跡地以外に、適した土地はたぶん無い。だが、要はそれを顔に出さなかった。
財前はしばらく要を見ていた。値踏みをする目だった。一年前と同じ目だった。だが、あのときと一つだけ違った。
あのときその目は、要の中に何も見つけられなかった。
今日は少し長く要を見ていた。
「……宝くじの、道楽が」
財前は小さく言った。
微笑みは消えていた。
要は応接室を出た。磨かれた石の床を歩いた。壁の大きな船の写真の前を通り過ぎた。海に浮かんだ、過去の船。
要はその船をもう見なかった。
潮見に帰った。
駅を出ると海の匂いがした。東京の川の匂いとは違った。ひび割れた駐車場の脇を通ると、子どもが二人リングの無い壁に、ボールを投げていた。跳ね返りを捕っていた。
要はその音をしばらく聞いていた。
財前の言うことは正しかった。アリーナは桁が違う。町を温めるほどあの男の土地の値が上がる。いつかあの男ともう一度、向き合うことになる。それも分かっていた。
だが、今日ではない。
事務室に戻ると浜口がいた。
「東京、どうでした」
「土地の話をされました」
要は言った。
「造船所の跡地です。アリーナを建てるなら、あそこしか無い。そして、あそこは大洋のものだ、と」
浜口の顔がこわばった。
「……握られてる、ってことですか」
「まだ、握られてません」
要は言った。
「向こうもまだ、売りたくないんです。値が上がるのを待ってる。……待ってるあいだは、こっちの時間です」
要は窓の外を見た。海のほうに造船所の跡地が、暗く広がっているはずだった。
「あの土地に、僕らが払える値がつく前に。……町を、そこまで育てる。それだけです」
浜口は指を折った。
「……うちは、あの体育館の借り手です。市の持ち物で、管理は市の外郭団体。うちは一日いくらで借りてる。去年、試合以外で押さえられたのは、二十一日でした」
「基準は」
「年に八十九日です。四分の一にも、届いてません。しかもこれは、金を積めば増える数字じゃない。市民の予約が、先ですから」
浜口はそこで一度切った。
「箱ごとこっちの持ち物にしないかぎり、この行は動かない。……だから、跡地なんですね」
浜口はしばらく要の横顔を見ていた。
それから、ぽつりと言った。
「……財前さん一年前は、畳めって言ったんですよね。それが今度は土地を高く売りたがってる」
「ええ」
「現金なもんですね」
「商売です」
要は言った。だが、その声は、少しだけ硬かった。
町を切り捨てた男が、町の熱で儲けようとしている。要はそれを止められない。ただその熱を、あの男の土地の値より早く大きくするしかなかった。
【B.ONE】潮見ブルーホエールズ 応援スレ Part76
288 名無しの潮見サポ
二日目に勝てるチームになってるの、じわじわ効いてくるな
289 名無しの潮見サポ
去年の日曜、ひどかったもんな
足が止まってから、ただ見てるだけの二十分
290 名無しの潮見サポ
なんか変えたのかね
補強はしてないよな
291 名無しの解説役
移動と飯を変えたらしい
夜行やめて、前の日に入るようにしたって
金かかるぞ、それ
292 名無しの潮見サポ
>>291 うちに、そんな金あんの?
293 名無しの潮見サポ
宝くじの残りだろ
七億当たったんだから、まだ余裕でしょw
294 名無しの潮見サポ
>>293 それな
うらやましい人生だわ
295 名無しの古参
まあ、金持ちの道楽で町が明るくなるなら、それでいいよ
造船所の跡地なんか、いまだに更地のままだしな
あっちも、なんとかしてほしいわ
296 名無しの潮見サポ
>>295 あそこ広いよなー
なんも建たんのかね
297 名無しの潮見サポ
とりあえず土曜、勝とうぜ
町は、まだ何も知らない。要が今日、東京で何を言われたかも。自分たちの明るさが、誰の懐から出ているかも。あの更地に、もう値がつき始めていることも。
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