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7億円で、潰れかけのクラブを買いました ~数字しか見えない俺は、誰も数えない選手を集める~  作者: 猫の飼い主
第七章 線 ―― 埋める金のほうが、先に尽きる

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第83話 東京から、来た

大洋重工の本社は、東京の川沿いに建っていた。


古いビルだった。だが、潮見の体育館とは、古さの質が違った。磨かれた石の床。天井の高いロビー。壁には、造船で栄えたころの大きな船の写真が、何枚も飾られていた。斜陽になっても、過去の大きさだけは、まだ壁に貼ってある。


要実はその一枚をしばらく見ていた。写真の船は海に浮かんでいた。今の大洋には、もう造る船が、あまり無い。


(……うちと、同じだ)


痩せた鯨と、動かなくなった造船所。見捨てた側も、見捨てられた側も、同じように痩せていた。



通されたのは上の階の応接室だった。


財前は時間どおりに来た。一年ぶりだった。


「わざわざ、東京まで。恐縮です」


財前は微笑んだ。悪意のない顔だった。あのときと同じ顔だった。潮見のひび割れた駐車場に、黒い車で来たときと。


要は腰を下ろした。ソファはスプリングが、一つも抜けていなかった。



要がこの呼び出しに、わざわざ東京まで来たのには、理由があった。断ることもできた。要は大洋の子会社ではない。クラブは要が自分の金で買ったものだ。財前に、要を呼びつける権利は本当は無い。


それでも、来た。この男が何を考えているのかを、知っておきたかった。いつか、もう一度向き合うことになる相手だと、分かっていたからだ。敵の顔は早いうちに見ておくに限る。


机の上に、一枚の紙が置いてあった。


要には、それが何か、すぐに分かった。潮見の、後半戦の数字だった。観客動員。勝ち星。売上の伸び。誰かがきれいにまとめたものだった。大洋の誰かが潮見をまた数字で見始めている。その事実だけで要には十分だった。


「見せていただきました」


財前は言った。


「正直、驚きましたよ。二千百だった観客が、三千に近い。連戦の二日目にも、勝つようになった。……去年のあの体育館とは、別のクラブのようだ」


「同じ体育館です」


要は言った。


「ええ。同じ、あのボロですよ。だからこそ、驚いている」


財前はその紙をもう一度見た。


「箱は、変わっていない。選手もたいして変わっていない。番場は、まだ膝を引きずっている。外国籍も無名のままだ。……なのに、客が増えて、勝ちが増えた。理屈が、合わない」


「理屈は、あります」


要は言った。


「あなたが、値をつけなかったものに、値がついただけです」


財前は少しのあいだ要を見た。それから、また微笑んだ。その言葉の意味を面白がる顔だった。だが、腑に落ちた顔では、なかった。



財前はその紙を指で軽く叩いた。


「一年前、私はこう言いました。地方の道楽だ、と。一年、保つかどうか、と」


「憶えています」


「保ちましたね」


財前は言った。


だが、その声に負けを認める色は無かった。ただ、事実を確かめる声だった。


要は何も言わなかった。ここで、勝ち誇る気は無かった。一年保ったことは、財前に言われるまでもなく、要がいちばんよく知っていた。



「ですが」


財前は続けた。


「要さん。これは、いつまで続くと思いますか」


「……」


「屋台。子ども。物語。……面白い。よく、やっている。ですが、それはぜんぶ、小さい金です。積み上げても、三千人。売上も、まだ、基準の半分でしょう」


財前は、紙を要のほうへ、滑らせた。


「小さい金をいくら束ねても、大きな箱は、建たない。……新しいアリーナ。あなた、それが要ると、分かっているはずだ」


要はその言葉に初めて目を上げた。



財前は微笑んでいた。


「昇格には、五千の新しい箱が要る。何十億の話です。宝くじの残りでは、届かない。小口の協賛でも届かない。……そこは、あなたの得意な『誰も値付けしないもの』では、どうにもならない」


財前はそこで少し身を乗り出した。


「それにです。その、宝くじの残り。……今も、減り続けているのでは?」


要は答えなかった。


「客が三千でも、基準の売上には、まだ、遠い。ということは、今の潮見は、赤字だ。……その赤字を、浜口さんはどう埋めている。あの人の帳簿は、きれいすぎる」


財前は要を見た。


「自分の懐から、埋めているでしょう。あなたが」


要は否定しなかった。帳簿を読む目だった。ごまかしたところで、いずれ、数字が答える。


「しかも、たちが悪い」


財前は言った。


「あなたが手を打つほど、月々の出費は、増える。人を雇い、遠征に金をかけるほど、埋める額も、増える。……善い手を打つほど、あなたの残りは、速く減る」


財前は茶に手を伸ばした。


「私が何もせずとも、あなたは勝手に痩せていく。アリーナの話をするころ、あなたの手元に、いくら残っているか。……私は、それを待てばいい」


要は黙って聞いていた。


財前の言うことは正しかった。アリーナは、これまでのどの一手とも、桁が違う。屋台の思想では建たない。東を拾ったやり方でも、小口を束ねたやり方でもあの箱は、建たなかった。そこだけは要にもまだ絵が無い場所だった。


そして財前は、要のいちばん弱いところを、正確に突いてきていた。この男は無能ではない。切り捨てるのも、近づくのも、いつも数字を見てからだった。潮見を切ったのも数字を見てだ。そして今、また数字を見て戻ってきた。


「そのとき」


財前は言った。


「あなたは、誰かに、頭を下げることになる。……大きな金を、持っている、誰かに」


財前は、川の見える窓の外へ、目をやった。


その視線の先に、要は何があるのかを悟った。

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