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7億円で、潰れかけのクラブを買いました ~数字しか見えない俺は、誰も数えない選手を集める~  作者: 猫の飼い主
第一章 屋台 ―― 客単価から、数え直す

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第8話 勝つための駒じゃない

三日後。その日は朝からみぞれ混じりの雨だった。


要実は約束どおり、番場 剛の前に立っていた。場所はあの練習場。窓を叩く雨の音が、がらんとしたコートに低く満ちている。


番場は腕を組んで警戒するように要を見ている。この三日、この男が何を考えていたのか――その顔からは読めなかった。ただ目の下の隈だけが、あまり眠れていないことを告げていた。


「話ってのは、なんだ」


番場が先に口を開いた。


「切る話か、残す話か。……どっちだ」


「契約は続けます」



番場の眉がぴくりと動いた。そしてすぐに苦い顔になった。


「……情けはいらねえと言ったはずだ」


「情けじゃありません」


「じゃあ、なんだ」


番場の声が低くなる。


「動けねえベテランを恵んで、置いといてやる。……そういう話なら、いらねえ」


番場は床のボールを拾い上げた。乱暴に壁へ叩きつける。跳ね返った球が、がらんとしたコートに大きく響いた。


「俺はな、選手だ。コートで点を取って、勝つ。それが俺だ」


その声が震えていた。


「若いのの子守をするために……この膝をここまで痛めつけてきたわけじゃねえんだよ!」



番場の視線が一瞬、天井のあたりを彷徨った。


――満員の、あの日。五千の声が自分の名前を呼んでいた。ブザーと同時にねじ込んだ一本で、体育館がひとつになった、あの夜。


その記憶と、いま手の中にある、冷えたボール。その落差がこの男をいちばん苦しめているのだと、要には分かった。


それは怒りだった。自分をまだ諦めきれない男の。


要はその怒りを正面から受け止めた。逃げもせず。反論もせず。



そして静かに言った。


「さっき来る前に、あの子の記録を見せてもらいました」


「……記録?」


「志水です。番場さんが居残りで教えてる、線の細いビッグマン」


要は続けた。


「番場さんがフォームを直し始める前と、後。……あの子の、練習後のシュート成功率です」


要はそれ以上、価値がどうとか役割がどうとか言わなかった。


ただ、一枚の紙を番場のそばのベンチに置いた。


汗で端の反った、手書きの記録用紙。番場が毎日若手に付き合っている、その隣で、要がこっそり数えていたものだった。


「上がってるんですよ。はっきりと」



番場が黙った。叩きつけようとした二球目を、手の中で止めたまま。


「……そんなもん」


番場が絞り出すように言う。


「点にはならねえ」


「今はなりません」


要は認めた。


「でも三年後には、なるかもしれない。あの子が点を取る選手に育ったとき」


一拍置いて。


「それを作ったのは、番場さんです。……その仕事に値段をつけてないのは、世間のほうだ」



練習場が静まりかえった。


番場の手の中で、ボールがゆっくりと床に落ちた。こつん、と乾いた音を立てて。


番場は長いあいだ動かなかった。うつむいて、自分のテーピングだらけの膝を見ていた。


サポーターの端から覗く、幾筋もの手術痕。それを大きな手が無意識になぞっている。


この膝は、もう、あの夜のようには跳べない。それは番場自身が誰よりも知っていることだった。



やがて、そっぽを向いたまま言った。


「……俺は、まだコートに立てる」


「知ってます」


「点も取る。子守だけの選手には、ならねえからな」


「どうぞ。……取ってください」


番場はそれきり何も言わなかった。


「受け入れた」とは言わなかった。だが「切ってくれ」とも――もう、言わなかった。


番場は、ベンチに置かれたままの、あの手書きの記録用紙にちらりと目をやった。


それから、ぶっきらぼうな手つきでそれを拾い上げる。乱暴に折りたたんで、ジャージのポケットに押し込んだ。捨てはしなかった。


それでいい。要はそう思った。


三十四年分の意地が、たった一度の会話で片づくものか。


――ほどくのに、これから五年かけよう。



そのとき。練習場の入口から低い声が飛んできた。


「――ずいぶん、あったけえ話じゃねえか」


要が振り返る。そこに日に焼けた厳つい顔の男が立っていた。太い腕を組んでいる。


ヘッドコーチ、郷田(ごうだ) 学(まなぶ)。


番場がはっと背筋を伸ばしたのが横目に見えた。この男の前では、腐りかけたベテランでさえ選手の顔に戻る。それだけの重みが郷田にはあった。


その目は、笑っていなかった。

――最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

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