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7億円で、潰れかけのクラブを買いました ~数字しか見えない俺は、誰も数えない選手を集める~  作者: 猫の飼い主
第一章 屋台 ―― 客単価から、数え直す

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第9話 得点しない選手

郷田 学は練習場にゆっくりと入ってきた。一歩ごとに床が軋むような重い足取り。長年現場に立ってきた男の体の厚みがあった。


「番場。上がっていいぞ。膝、冷やしとけ」


番場が要実を一度だけ見た。それから郷田に小さく頭を下げて出ていく。


その一声で選手が動くあたりに、郷田への信頼の厚さがにじんでいた。



二人きりになった。がらんとしたコートに郷田の低い声だけが残る。


「オーナーさんよ」


郷田は腕を組んだ。


「番場を残すのはいい。あいつはうちの心臓だ。切ったら、ロッカーが死ぬ。……そこはあんたの判断でいい」


一歩、要に近づく。その分だけ圧が増した。


「だが、育成だのなんだの。……それで試合に勝てんのか」


要は答えなかった。ただ郷田の目を見返していた。



「勝てなきゃ意味がねえんだ」


郷田の声は怒っているというより――どこか切迫していた。拳を握りしめている。


「……お前は見てねえだろ。前のオーナーの、最後を」


それきり、郷田は詳しくは語らなかった。語らなかったが――その一言の重さで、要には十分だった。


負けが込んで。スポンサーが去って。選手が一人、また一人とロッカーの荷物をまとめていく。


その現場に郷田はいた。選手を送り出す側に立って。


――勝てなければ、全員が終わる。それを肌で知っている男だ。


(この人は、正しい)


要はそう思った。


郷田の勝利至上は頑固さでも我欲でもない。恐怖と誠実さから来ている。誰よりもこのクラブを守ろうとしている。ただその手段が要とは違うだけだ。



「郷田さん。一人、獲りたい選手がいます」


「ほう」


郷田の眉が上がる。


「点の取れる外国籍か。それなら話は――」


「東(あずま) 悠真(ゆうま)。二十五歳。……得点は一桁の選手です」


沈黙。それから郷田の顔がみるみる赤くなった。


「……ふざけてんのか」


声が低く唸る。


「うちは点が足りねえんだ。勝てねえんだ。なのに点を取れねえ選手を、金を出して獲るだと? どこにそんな余裕がある!」



まっとうな怒りだった。


スコアシートだけ見れば、東は平凡な選手だ。得点もアシストも地味。誰も欲しがらない。だから、安く獲れる。


番場の契約で補強予算はほとんど残っていない。――だが、誰も値付けしない選手なら。そのわずかな端金でも手が届く。


要は鞄から一枚の紙を出した。東が旧チームにいた頃の記録。ただしスコアシートではなかった。


「これ、見てください」


郷田がしぶしぶ目を落とす。


「東がコートにいた時間と、いなかった時間で。……相手の得点を分けたものです」


紙の上で数字がはっきりと二つに割れていた。東がいる時間帯。相手の得点だけが、すとんと落ち込んでいる。


郷田の目がその一点で止まった。



「……偶然だろ」


「かもしれません」


要は否定しなかった。


「だから確かめたい。郷田さん、東を一ヶ月だけ使ってみてくれませんか」


「なぜ俺が、そんな素人の博打に付き合わなきゃならん」


「もし失点が減らなかったら」


要はまっすぐ郷田を見た。


「そのときは、あなたの言う通りにします。点の取れる編成を最優先する。獲得にも二度と口を出さない。……それで、どうですか」



郷田は要を睨みつけた。


この、宝くじが当たっただけの素人が。いったい何を根拠に――そう思いかけて。


郷田はふと、手元の紙にもう一度目を落とした。東がいた時間だけへこんだ、相手の得点。


こんな数字を。誰も見ない、こんな数字をわざわざ拾ってくるやつを。郷田はこの長い現場人生で一度も見たことがなかった。


――勝てなきゃ、終わる。


その一点だけは、この二人まったく同じだった。ただ、そこへ至る道が正反対だった。それだけだ。



郷田は紙を要に突き返した。


「……一ヶ月だ」


低く、絞り出すように言う。


「一ヶ月で失点が減らなけりゃ、二度と選手のことで口を出すな。……いいな」


「はい」


窓の外で鉛色の海がうねっている。


潮見ブルーホエールズの、最初の補強。誰も値付けしなかった男――東悠真をめぐる攻防が、いま静かに始まった。

――最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

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