↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7億円で、潰れかけのクラブを買いました ~数字しか見えない俺は、誰も数えない選手を集める~  作者: 猫の飼い主
第一章 屋台 ―― 客単価から、数え直す

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/164

第7話 「切ってくれ」

練習場は古い体育館のさらに奥にあった。選手用の小さなサブコート。ここも照明の半分は切れている。


ボールを撞く乾いた音だけが、がらんとした空間に規則正しく響いていた。


全体練習はとうに終わっていた。だがコートには、まだ二つの人影が残っていた。


一人は若い選手。志水(しみず) 玲央(れお)。二十三歳、線の細いビッグマン。まだ体はできていないが、リバウンドの勘だけはいいと噂に聞いていた。


もう一人が――番場 剛だった。



「肘を締めろ。ボールは額の前だ」


番場の低い声。


「力で押すな。それじゃ四十分もたねえぞ」


志水がこくりとうなずいて、また放つ。外れる。番場がこぼれた球を拾って、また手渡す。


汗だくの志水と違って、番場はほとんど動かない。動けないぶん、言葉と、手渡す球の一つ一つに教えを込めているようだった。


その繰り返しを、もう何十本も続けているらしかった。



要実は入口の暗がりで、その光景をしばらく見ていた。


全体練習の後に居残る若手。それに番場はずっとこうして付き合っている。


――誰にも頼まれていないだろうに。


その事実を、あの年俸一覧は一行も記していなかった。


やがて志水が深々と頭を下げた。


「ありがとうございました、番場さん。……明日も、お願いします」


その声には世辞ではない、本物の敬意がこもっていた。番場は片手を軽く上げて応えただけだった。


コートに番場が一人残される。汗を拭くその背中は広い。だがその広い背中が、どこか疲れて見えた。



要が歩み寄る。その足音で、番場は振り返らずに気づいた。


「……新しいオーナーさんか」


番場はタオルで顔を拭きながら、ようやくこちらを見た。


近くで見ると、その体はテレビで見るよりずっと大きく――そしてずっと、傷んでいた。両膝にテーピングが幾重にも巻かれている。サポーターの下から覗く肌には、古い手術の痕が白く走っていた。


「わざわざここまで来た。……用件は一つだろ」


番場が口の端で笑った。自嘲の笑みだった。


「切るんだろ、俺を」


要は答えなかった。ただ静かに、番場の前に立っていた。



番場は構わず続けた。まるで言い訳を先回りするみたいに。


「分かってるさ。数字を見りゃ、誰だってそうする。俺の年俸で、若いのが二人は雇える」


タオルを首にかける。


「動けねえ。点も取れねえ。膝はもう限界だ。それで、この給料だ」


言葉がだんだん重く沈んでいく。


「……恥ずかしいんだよ、俺だって。勝てなくなったこのチームに、高い金だけもらってしがみついてる自分がな」


コートに静寂が落ちた。どこか遠くで、ボールを撞く音が一つ聞こえた。



「だから、いい」


番場はまっすぐ要を見た。その目は赤くなかった。ただ乾いて、覚悟だけがあった。


「情けはいらねえ。中途半端に残されるほうが、きつい。……ばっさり切ってくれ。そのほうが、俺も楽だ」


それは覚悟の言葉だった。三十四年のその半分をこのクラブに捧げてきた男の。最後の意地のような言葉。



要はしばらく黙っていた。


それからコートのさっきまで若手が立っていたあたりに目をやった。


「さっきの子」


「……あ?」


「番場さんが教えてた子です。あれ、指示ですか。誰かに頼まれて?」


番場が怪訝な顔をした。


「頼まれちゃいねえよ。……勝手にやってるだけだ」


「なぜ」


「なぜって……」


番場は少し言葉を探した。それからぶっきらぼうに言った。


「……ほっとけねえだろ。あんな下手なままじゃ、あいつが損をする」


一拍おいて、番場は低く付け足した。


「……昔の俺も、あんなだった。誰かが拾ってくれなけりゃ、コートにも立てなかった」



要はそれ以上、何も聞かなかった。ただ、小さくうなずいた。その一言で十分だった。


「番場さんを切るかどうか、今日は決めに来ていません」


「……はあ?」


「もう一度来ます。その時に、一つだけ話をさせてください」


番場は意味が分からないという顔で、汗を拭くのも忘れて突っ立っていた。


「……変なオーナーだな」


その吐き捨てるような声に。諦めとは違う別の色が――ほんのかすかに、混じっていた。


番場自身は、まだそれに気づいていなかった。

――最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

続きが気になったら、ブックマークしていただけると嬉しいです。

ページ下の★評価も、続きを書く力になります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。