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7億円で、潰れかけのクラブを買いました ~数字しか見えない俺は、誰も数えない選手を集める~  作者: 猫の飼い主
第六章 順番 ―― 早すぎた

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第72話 もたせます

その試合の二日後だった。


志水玲央は練習場にいちばん早く来ていた。


だが、コートには、上がらなかった。宮里澪がまだ走ることを許していなかった。志水は、コートの端で、宮里の指示どおり脛を休める地味なメニューをやっていた。


跳ばない。踏み込まない。


去年の借りを返すはずだった試合をベンチで見た男には、それは罰のように退屈だった。



番場剛がその隣に腰を下ろした。


「玲央」


「……番場さん」


「あの試合、見てたよ。ベンチのお前を」


志水はうつむいた。


「俺が、居残りさせたせいだ」


番場はぽつりと言った。


志水が顔を上げた。


「俺が、お前に練習しろと言った。……その練習で、お前の脛が削れた。……皮肉なもんだな」


「番場さんの、せいじゃないです」


志水は慌てて言った。


「俺が、勝手に、やったんです。強くなりたくて」


「知ってる」


番場は言った。


「だから、余計に、言えねえんだ。頑張るな、とはな」



番場は自分の膝を見た。テーピングだらけの両膝を。


「俺はな、玲央。……止めてくれる人が、いなかった」


志水は番場を見た。


「若えころ、痛えのを、隠して跳んでた。休んだら、次の試合、出られねえと思ってた。……で、こうなった」


番場は膝を軽く叩いた。


「あと何年、跳べるか、分からねえ。……お前には、俺みたいになってほしくねえ」


志水は何も言えなかった。



そこへ、宮里が、来た。


道具を持って、番場の前にしゃがんだ。


「番場さん。膝、見せてください」


「……いつものか」


「はい。いつものです」


宮里は番場の膝を丁寧に触っていった。腫れの引き具合。可動域。番場が顔をしかめる、その一瞬を、見逃さない。


志水はその手つきを見ていた。



「番場さん」


宮里は、膝を触りながら、言った。


「あなたが、やめる日まで」


「あ?」


「この膝、私が、もたせます」


宮里は顔を上げなかった。ただ、膝を触り続けていた。


「跳べなくなる日は、いつか来ます。それは、止められない。……でも、その日が一日でも、後になるように。私が、もたせます。番場さんが、自分で終わりを決められるように」


番場はしばらく何も言わなかった。


それから、ふん、と鼻を鳴らした。


「……変な女だな」


「よく言われます」


宮里は初めて少し笑った。



志水はその二人を見ていた。


止めてくれる人がいなかった男と。止めてくれる人がいる自分と。


その違いがようやく志水の中で形になった。


「宮里さん」


志水は言った。


「俺、折れなくて、良かったんですかね」


宮里は、番場の膝を触ったまま、答えた。


「何ヶ月か、先に、分かりますよ」


宮里は言った。


「どこかのクラブの若い選手が、同じ症状で、長く離脱する日が、たぶん来ます。……そのとき、あなたが、コートに立ってたら。それが、答えです」


志水にはその意味がまだ半分しか分からなかった。だが、番場の膝を触る宮里の手を見ていると、なぜか、その言葉を信じてもいいような気がした。この人は、目に見えないものを毎日、手で確かめている。志水の脛も、番場の膝も。誰も数えないものを、この人だけが数えていた。そして、その数えたものを勝ち負けの前に、一度も譲らなかった。志水は初めて、自分が守られていることを少しだけ実感した。



要実は二階の通路からその三人を見ていた。


番場の膝を触る宮里。それを見ている志水。


誰も、勝ってはいない。首位との試合は負けた。外野は要に厳しい。数字には、何も、書けていない。


(……それでいい)


要はそう思った。


折れなかったことは、いつか折れた誰かが出るまで、証明されない。それまで、この判断はただの負けにしか見えない。外野は、しばらく要と宮里に厳しいままだろう。志水を出せ、勝てる試合を落とすな、と。


要は、その証明されない時間を抱えて歩くことに、もう慣れていた。東のときも、苅田のときも、そうだった。正しさは、いつもあとから来る。来ないこともある。それでも、宮里の手が触れているものを、要は信じることにした。


窓の外で、冬の海が鈍く光っていた。折り返しは過ぎた。ここから、後半戦が始まる。まだ見ぬどこかのクラブで、一人の若い選手の脛に、志水と同じ罅が静かに伸びているとも知らずに。証明は、いつも、待った者にだけ、遅れてやってくる。

――最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

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