↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7億円で、潰れかけのクラブを買いました ~数字しか見えない俺は、誰も数えない選手を集める~  作者: 猫の飼い主
第六章 順番 ―― 早すぎた

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
69/165

第69話 痛くないのに

「なんで、ですか」


志水玲央の声は震えていた。


宮里澪は志水の左足の脛の内側を指で押していた。


「ここ、痛くないですか」


「痛くないです」


「じゃあ、ここ」


「痛くないです」


宮里は押すのをやめた。


「それが、まずいんです」


志水は意味が分からないという顔をした。



「俺、どこも痛くないんですよ」


志水は言った。


「走れます。跳べます。今、いちばん調子いいんです。……なんで、あの試合、外すんですか」


宮里はノートパソコンを開いた。


志水の着地の映像を並べて見せた。左と右。ひと月前と、今。


「分かりますか」


「……分かんないです」


「左が、逃げてます。着いた瞬間に、内側へ」


宮里は静かに言った。


「あなたの脛は、今、限界の一歩手前です。ここであの試合を四十分やったら、たぶん、折れます。折れたら、三ヶ月、コートに立てません」


「……たぶん、でしょ」


志水は言った。


宮里は志水を見た。


「たぶんです」


宮里は否定しなかった。


「折れないかもしれない。あの試合、四十分やって、活躍して、何ともないかもしれない。……でも、折れたら、取り返せないんです。私は、その取り返せないほうに賭けられない」



志水はうつむいた。


「俺、去年、あいつに二十点取られたんです」


志水の声が低くなった。


「あのセンターに。何もできなくて。……ずっと、悔しかった。この一年、そのために居残って練習してきたんです」


宮里は黙って聞いていた。


「番場さんが、教えてくれたんですよ。居残りで、フォームから、全部。……やっと、いけると思ったんです。今なら、あいつと、やれるって」


志水は顔を上げた。


「その試合を、外すんですか。痛くもないのに」


宮里は、少しの間、答えなかった。



「志水さん。あなたが居残りで走った距離、私、全部、記録してます」


宮里は言った。


「番場さんに教わって、あなたは、変わった。……いちばん、練習するようになった。それは、すごいことです」


「じゃあ──」


「その練習が、あなたの脛を、削ってます」


志水の顔が止まった。


「頑張ったから、こうなったんです。サボったからじゃない。……だから、余計に、止めにくい。頑張ってる人を、止めるんですから」


宮里はパソコンを閉じた。


「でも、止めます。頑張った脚を、折らせないのが、私の仕事なので」



志水はしばらく何も言わなかった。


拳を握っていた。この一年がその拳の中にあった。番場に一から教わり直したフォーム。誰もいない体育館で、独りで打ち続けた、何千本ものシュート。全部、あのセンターに、もう一度ぶつかるためだった。去年、何もできずに二十点を許した、あの相手に。


その試合を、痛くもない脛のせいで、見送る。志水には、それがどうしても、飲み込めなかった。跳べる。走れる。体はいつでも行けると言っている。なのに、数字だけが、行くなと言う。自分の体より、他人のノートの線を、信じろというのか。


「一年、待ったんです」


志水は言った。


「この試合のために、一年、やってきたんです。……それを、数字で、外すんですか」


「数字で、外します」


宮里は静かに答えた。


「あなたの一年を、私は、知りません。番場さんとの練習も、見てません。……でも、あなたの脛の数字は、毎日、見てました。私が信じられるのは、そっちだけです」


志水はそれから絞り出すように言った。


「……宮里さんが、間違ってたら、どうするんですか」


「私が間違ってたら」


宮里は言った。


「あなたは、あの試合を無駄に一つ、休むだけです」


宮里は志水の目を見た。


「私が正しくて、あなたが出たら。……三ヶ月、コートを失う。どっちの間違いが、重いか。それだけの話です」


志水は答えられなかった。


宮里は、道具をまとめて、立ち上がった。ドアのところで一度だけ振り返った。


「痛くないうちに止めるから、誰にも、感謝されないんです」


宮里は言った。


「あなたにも、たぶん。……それでいいんです。折れないのが、いちばんなので」



志水は、一人、残された。


自分の左足を見た。何ともない。痛くない。跳べる。


なのに、あの人は、折れると言う。


志水は、脛の内側を自分で押してみた。強く、押した。


痛くなかった。


それが、いちばん、怖かった。痛ければ、休む理由になる。痛くないのに休むのは、ただ、逃げているようで。だが宮里は、その「痛くない」こそが、危ないと言った。志水にはまだ、自分の体よりあの人のノートを信じる勇気が、無かった。

――最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

続きが気になったら、ブックマークしていただけると嬉しいです。

ページ下の★評価も、続きを書く力になります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。