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7億円で、潰れかけのクラブを買いました ~数字しか見えない俺は、誰も数えない選手を集める~  作者: 猫の飼い主
第五章 招待 ―― 客が、帰らない

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第62話 見せない、走らせる

その子は、リングの無い駐車場で、ずっとボールをついていた。


壁に向かって投げて、跳ね返りを捕る。それだけを、飽きずに繰り返している。ゴールが無いから、シュートは無い。ただ、ボールが手に吸いつく感触だけを確かめているようだった。


要実はしばらくそれを見ていた。


翌朝、事務室で、要は浜口に言った。


「子どもを、招待したい」


浜口の手が電卓の上で止まった。


「招待、というと」


「試合の券を、配る。近くの子どもに」


浜口は少し間を置いた。それから、電卓を横に置いた。


「要さん。タダ券は、諸刃です」


浜口の声は責める調子ではなかった。ただ、事務の人間として、言わねばならないことを言う声だった。


「席を、タダで埋めると、単価が下がります。子ども一人が座った席は、一円も生みません。うちは今、二千五百人で、やっと回してる。その席を、無料で配ると──」


「客単価が、落ちる」


「はい」


浜口は続けた。


「それに、子どもは試合を最後まで見ません。飽きます。前半で、ぐずり出す。すると、親が連れて帰る。二時間の試合を、三十分で出ていく」


「屋台で、使う前に、ですね」


「そうです」


浜口の指摘は正しかった。要はそれを否定しなかった。子どもを入れれば、席は埋まる。だが埋まった席は、金を生まないどころか、隣の親まで早く帰らせる。数字の上では来場者が増えて、売上は減る。最悪の形だ。


要はひと月前の自分を思い出していた。


痩せた鯨のロゴを刷った、Tシャツとタオル。立派なグッズを作れば、売れると思った。売れなかった。段ボールの箱が、今も倉庫に積んである。人が、金を出して、欲しくなるもの。それを要は読み違えた。


数字は読める。選手も読める。だが、人が何を欲しがるか。そこだけが要にはいつも見えなかった。


だから、今度は慎重だった。


「浜口さん。子どもが、欲しいものは、なんだと思いますか」


「……お菓子、とか」


「違うと思うんです」


要は窓の外を見た。


駐車場の子はまだボールをついていた。


「浜口さん。あの子は、なんであそこでボールをついてると思いますか」


浜口が窓を見た。


「……好き、なんでしょう。ボールが」


「試合を、見たいわけじゃない」


要は言った。


「あの子は、二時間座って人のプレーを見たいわけじゃない。自分で、触りたいんです。走りたいんです。それだけだ」


浜口は黙った。


「見せようとするから、無理が出る」


要は続けた。


「子どもに、二時間座って見ろというのが、そもそも間違ってる。あの子たちは、観客には向いてない」


「では──」


「見せない」


要は言った。


「走らせます。試合が、終わった後に」


浜口が顔を上げた。


「試合が終わったら、あのコートはただ空くだけです。五千人が帰った後、誰も使わない。掃除して、鍵を閉めて、終わり」


「あの、空いたコートを、子どもに開ける。三十分だけ」


要は指を机の上のコートの図に置いた。試合が終わって、選手が引き上げた、その後の床。


「子どもに言うんです。『最後まで、我慢して見られたら、あのコートを、走れる』と」


浜口の目が少し動いた。


「……ごほうびを、後ろに置く」


「そうです。前半で、ぐずっても、親が言える。『もう少し我慢したら、走れるよ』と」


要はそこで一度言葉を切った。


「……粘るかどうかは、読めません。子どものことは、僕には、読めない」


浜口はしばらくその図を見ていた。


それから、ゆっくりと言った。


「一つ、抜けてます」


「なんですか」


「小さい子を連れた親は、そもそも来られません」


浜口は言った。


「試合の間じゅう、子どもを追いかけることになる。走り回るのを、追いかけて、外に連れ出して。それじゃ、試合なんて、見られない。だから、あの層は──来ないんじゃない。来られないんです」


要は浜口を見た。


浜口の言葉は、要がまだ絵に描けていなかった、一番奥の壁だった。子どもが見ないのではない。子どもを連れた家族がまるごと、この体育館から締め出されている。


要は、少しの間、黙った。


そして、言った。


「その壁も、たぶん、こじ開けられます」


「どうやって」


「考えます」


要はコートの図を鞄にしまった。


駐車場の子は、いつのまにか、いなくなっていた。ボールの跳ねる音も消えていた。


要はその音の消えた駐車場をもう一度だけ見た。


去年はこの景色を見ても何も思わなかった。壁の前に絵が無かった。


今は少しだけ見えていた。


あそこに、四千人の半分がいる。まだ誰も値をつけていない、席が。


要は、鞄からコートの図を出して、もう一度開いた。試合の後の、空いた床。誰も使わない、三十分。


そこに初めて、細い線を一本、引いた。

――最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

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