第58話 二百枚、余った
佐伯が来る、少し前のことだった。
要は一つ手を打っていた。
売上を、伸ばさなければならない。観客は増えた。だが、事業の基準には、まだ遠い。客一人が落とす金を、もう一段、増やしたい。
要が考えたのはグッズだった。
Tシャツ。タオル。キーホルダー。クラブのロゴを入れて、売る。どのクラブもやっている。物販は売上の柱だ。
要は発注した。それなりの数を。
理屈は、通っていた、と要は思っていた。
勝っている。観客も増えている。口コミも動いている。クラブへの関心は、去年より、明らかに高い。関心があるなら、グッズも売れる。
要は、いつもの手つきで、それを計算した。観客の何割が買えば、いくらになる。強気の数字ではない。堅い数字のはずだった。
売れなかった。
会場にグッズの棚を出した。だが、客は屋台には並ぶのに、その棚の前は素通りしていく。
Tシャツにはクラブのロゴが入っている。痩せた鯨のあのロゴだ。色は新しくした。だが、絵は、同じだった。
一日、数枚しか売れない。
一度、要は子ども連れの母親に聞いてみた。
「Tシャツ、いかがですか」
母親は少し困った顔をして言った。
「……うーん。ロゴ、ちょっと、地味で」
そして、屋台で焼き鳥を二本、買っていった。
倉庫に、在庫が積まれていった。
要は、その棚の前に立って、客を見ていた。
子どもが、屋台の焼き鳥を持って、通り過ぎる。親が、昨日の試合の話をしながら、通り過ぎる。
誰も、Tシャツを手に取らない。
(……なぜだ)
要は数字なら読める。客単価も、観客数も。だが、この棚の前で、要は分からなくなった。
人が、何を、買いたくなるのか。
それが要には見えなかった。
浜口が在庫の伝票を持ってきた。
「オーナー。グッズ、赤字です」
「……ですね」
「発注ぶん、半分もはけてません。倉庫代も、かかってます」
浜口の声は責めてはいなかった。だが、事実だった。
「去年、中堅を切ったぶんの金が、Tシャツの在庫に化けてます」
浜口は続けた。
「その赤字も、けっきょくは、要さんの持ち出しに乗ります」
要は答えられなかった。数字はいつも要の味方だった。その数字が初めて要自身の財布を指していた。
去年、要は弁当と刺身で外した。人が寒い会場で何を食べたいかを読み違えた。
今年も同じだった。人が痩せた鯨のロゴを着たいかどうか。要はそれを読み違えた。
その棚を佐伯が見ていた。入ったばかりの広報だ。
「これ、売れないですよ」
佐伯はあっさり言った。
「……分かってます」
「なんで売れないか、分かります?」
要は答えなかった。分からなかったからだ。
「誰も、"クラブ"を買いたいわけじゃないんです」
佐伯はTシャツを一枚手に取った。痩せた鯨のロゴを指で叩く。
「これ、最下位の、負けてるクラブのロゴでしょう。これを着て歩きたい人が、どれだけいます? 人が買いたいのは、ロゴじゃない。物語です」
佐伯は言った。
「このクラブの物語を、まだ、誰も知らない。だから、ロゴにも、値段がつかない」
要はそのTシャツを見ていた。
去年、要はリー・ジュノについて、同じことを思った。
――評判の無い場所には、値段も無い。
選手のときはそれが見えた。だが、自分が売る側になった途端、要はそれを忘れていた。
「佐伯さん」
「はい」
「物語を、書いてください」
「どこから」
要は、少し考えた。それから、言った。
「焼き鳥屋から」
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