第51話 離脱しないクラブ
要実はその数字を何度も見直していた。
ある中位のクラブだけ、この三年、主力の離脱が異様に少なかった。
怪我での長期離脱の延べ日数。どのクラブも毎年それなりに出る。連戦で膝を痛める。疲労で足を折る。シーズンのどこかで、必ず誰かが欠ける。
だがそのクラブだけ、三年間、それがほとんど無かった。リーグ平均の三分の一だ。
そして、その三年の前と後では、元に戻っていた。
(……三年だけだ)
「浜口さん」
要は隣の机の浜口を呼んだ。
「このクラブ、この五年で何が変わったか分かりますか」
浜口は表を覗き込んだ。数字を、上から下まで目で追う。
「……監督は同じですね。GMも、主力も、大きくは動いてない」
「ええ」
「なのに、真ん中の三年だけ、離脱が消えてる」
浜口はしばらく黙った。
「……気持ち悪いですね、これ」
「気持ち悪いです」
要は言った。
「気持ち悪いところに、たいてい、誰かがいます」
要は自分のクラブの数字も並べてみた。
去年、潮見は若手を二人、故障で失っていた。一人は疲労骨折。もう一人は膝。どちらも伸び盛りだった。
去年の暮れ、郷田は言った。「東は、あと半年ももたねえ。壊れる」と。
守る駒は揃えた。サントスが来た。だが、守る駒自身が壊れたら、意味がない。
潮見にいちばん足りないのは、点でも守備でもなかった。
選手を、壊さない仕組みだった。
要はその中位クラブのスタッフ表を五年ぶん取り寄せた。
選手の名前は大きく載っている。だがその下のトレーナーやマネージャーの欄は小さい。誰も、そこを見ない。
その小さい欄に、三年だけ載っていた名前があった。
宮里澪。
アシスタント・トレーナー。チーフではない。二番手だ。
そして去年、その名前は消えていた。
要は少し調べた。
そのクラブのチーフ・トレーナーの椅子が、去年、空いた。
宮里はその椅子に座らなかった。外から、別の人間が来た。派手なリハビリの実績で名を上げた男だ。故障した主力を、予定より早く復帰させた――そういう、分かりやすい手柄を持っている。
宮里の手柄は分かりやすくなかった。三年間、主力が誰も大きく離脱しなかった。それは"何も起きなかった"という手柄だ。
「東と、同じですね」
浜口がぽつりと言った。
要は浜口を見た。
「オンオフのときと。……あのときも、東の欄には何も無かった。得点も、アシストも。価値は、隣の欄に出てた。相手の失点に」
浜口はスタッフ表を指で叩いた。
「この人の価値も、本人の欄には無いんですね。選手の、離脱日数のほうに出てる」
要はその表を浜口のほうへ滑らせた。
浜口が去年、東を疑った男だったことを、要は覚えていた。その浜口が今は自分から気づいている。
「でも、オーナー」
浜口が言った。
「トレーナー一人に金をかける余裕、ありますかね。うち、点取れる選手も、まだ足りてないのに」
「足りてません」
要は認めた。
「だが、獲った選手が壊れたら、その金も消えます。……守る駒を守るのは、いちばん安い補強です」
浜口はまだ納得しきらない顔だった。だが、反対も、しなかった。
数字は出ている。だが、宮里本人の欄には、何も書かれていない。
出場時間も、得点も、勝利も、トレーナーには無い。あるのは"起きなかったこと"だけだ。
起きなかったことに、値段をつける人間はいない。だから宮里は弾かれた。宙に浮いている。
要は上着を取った。
去年、東を探しに行ったときと、同じことをする。数字はそこにあった。あとは、本人に会いに行くだけだ。
要は、駅で切符を買った。宮里が今いる町までは、電車で二時間あった。
その二時間を、要は離脱日数の表を見て過ごした。三年間、誰も折れなかったクラブの静かな数字を。
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