第44話 オフ
五月の頭だった。
シーズンが終わった。
十勝五十敗。二十五クラブ中、二十四位。最下位を一つだけ抜けた。
要は順位表を見た。いちばん下から、二番目。去年と同じ位置だった。数字だけ見れば、何も変わっていない。
だが、去年とは同じではなかった。
平均の観客が増えていた。千五百人が二千を超える日があった。屋台は毎試合、売り切れた。壁には三百枚を超える札が並んだ。
金は来季の開幕までつながった。
数字に出ないものが、ぜんぶ変わっていた。順位表のいちばん下だけが、変わっていなかった。
オフに入った。
GMの、いちばん重い仕事の季節だ。
浜口が来季の編成表を持ってきた。契約更改。放出。加入。
要は、一つの名前の上で、ペンを止めた。
中堅の選手だった。三十歳。そこそこ点を取る。そこそこ守る。可もなく、不可もない。年俸は割高だった。
「この人を、外します」
要が言った。
浜口は少し意外そうな顔をした。
「……その人、悪くないですよ。数字も、ふつうに出てます」
「出てます」
要は言った。
「ふつうに、出てます。だから、外します」
浜口は黙った。
苅田は残した。数字が無かったからだ。
この中堅は外す。数字がふつうにあるからだ。
矛盾して聞こえる。だが、要の中では、一本の線だった。
――代わりが、いるかどうか。
苅田の代わりはいない。あの赤ビブスを、あの練習を、代われる者がいない。この中堅の代わりは、来季もっと安くいる。
後日、要はその中堅に、自分の口で伝えた。
電話でも、書面でもなく、練習場の駐車場でだった。
選手は、少し黙ってから、言った。
「……潮見、来年、面白くなりそうっすね」
恨み言ではなかった。
「俺がいたころより、いいチームになってく気がします。……なんか、それが、いちばん悔しいな」
そう言って、車に乗った。
要は頭を下げた。相手が見えなくなるまで、下げていた。
「浜口さん」
「はい」
「残すのは、まだ、いいんです」
要は言った。
「外すのは、……何度やっても、慣れません」
それは、要が初めて浜口に見せた、弱音に近いものだった。
浜口は何も言わなかった。ただ、編成表を一枚めくった。
苅田悟の契約は更新した。
去年より、少しだけ下げた。本人が「下げてくれ」と言ってきたからだ。
この男は、自分が去年切られかけたことを、今も知らない。
知らないまま、来年も、赤いビブスを着る。それで、いい。
その週、要は練習場に行った。
冬のあの日、隅の照明が一つ、切れていた。暗い隅で、誰かがシュートを打っていた。
今日はそこが明るかった。協賛の残りで直した、一つの照明だ。
その下で、東が、居残りでシュートを打っていた。外れた。拾って、また打った。
番場がそれを黙って見ていた。
去年の今ごろ、この隅は暗かった。誰がそこで打っているかも、見えなかった。
今は見える。
「夏に、一ノ瀬が来ます」
浜口が後ろで言った。
「高校を出てからです。……あの子、まだ一分も出てないのに、もう背番号だけ決まってるんですよね」
「三十二番です」
要は言った。
まだ一分も出ていない子の背番号が、もう決まっている。
それだけが来季の確かなものだった。
要は事務室に戻った。
机の上に、来季の紙が置いてある。
運転資金はつながった。だが、それはただの延命だ。来季は別の砂時計が来る。
――事業の、基準。観客。売上。
金で買った猶予を、こんどは自分たちの力で、稼ぎに変えなければならない。
観客四千人。売上十二億。新しいアリーナ。
昇格の三つの壁だ。
観客は千五百が二千百になった。売上は六億が六億五千万になった。一年で五千万だ。
十二億まであと五億五千万。この伸び方なら、十一年かかる。
いまの潮見は、そのどれにも、届いていない。七億では一つも買えない壁だ。
買うのではない。稼ぐのだ。来季から。
要は窓の外を見た。
五月の潮見に風が吹いていた。造船所の消えた港から、まだ潮の匂いがした。
(……ここからだ)
一年、保つか、と財前は言った。
一年、保った。
要は、来季の紙の一行目に、こう書いた。
――観客を、増やす。
それは、秋に客単価を書いた、あの手帳の続きだった。
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