第40話 残らなかった側
要は、次の試合の日も、商店街に来た。
屋台の準備だ。鍬形の隣で、氷を運び、釣り銭を数える。オーナーのやることではない、と浜口は言った。要はやった。
紙コップを積む。割り箸を数える。指先がかじかんでいた。この作業をしていると、頭の中の数字が、少しだけ静かになる。
鍬形は何も言わなかった。金は出さねえ、と言ったきり、その話には戻らない。ただ、要が来ると串を三本焼いて、皿に載せた。金は取らなかった。
その帰りだった。
鍬形は、店を閉めて、駅のほうへ歩いた。忘れ物を取りに戻るつもりだった。
駅前のロータリーに、小さな明かりがある。宝くじ売り場だ。
シャッターの下りた店ばかりの町で、そこだけまだ灯りがついている。
その前に、男が一人、立っていた。
要だった。
買うわけでもない。窓口のポスターを、見ているわけでもない。
ただ、立っていた。
鍬形は声をかけそびれた。
窓口の中から、おばちゃんが顔を出した。
「あら。今年は、もう当たったんだろ。まだ来るのかい」
要は少し笑った。
「癖です」
「癖ねえ」
おばちゃんは、鍬形にも気づいて、そっちに笑いかけた。
「鍬形さん、この子、知ってるだろ。ちっちゃい頃から、暮れになると、ここに来るんだよ」
「東京に行ってからも、だよ。年末になると、必ず。一万円分、きっかり買ってく。……もう、何年になるかね」
「十年、来てます」
要が言った。
「就職してから、ずっとです。暮れに一回だけ帰ってきて、ここで買って、また東京に戻る」
「変わった子でね」
おばちゃんは言った。
「当たったら何に使うんだって聞いたら、この子、なんて言ったと思う?」
鍬形は聞いていた。
「『クジラを、買います』って」
おばちゃんは笑った。
「毎年、同じことを言うんだよ。クジラを買うって。……去年、ほんとに当てちまってさ。あたし、腰を抜かしたよ」
おばちゃんはそれからふいに声を落とした。
「あんたの父ちゃんも、ここで買っててね」
要の肩がわずかに動いた。
「年に一回だけ。当たったら何にするんだって聞いても、あの人は、言わなかった。……でも、いま思えば、あんたと同じ顔をしてたよ。窓口の、この汚いポスターを、じっと見てさ」
要はそのポスターを見た。
何も、言わなかった。
鍬形は要を見た。
この男は、金を持って、急に帰ってきたんじゃない。
十年、暮れになると、この町に帰ってきていた。シャッターの下りた駅前に、一年に一度、灯りを見に来ていた。
――そして、毎年、同じ願い事をしていた。
「鍬形さん」
要が言った。鍬形がそこにいることに、気づいていた。
「俺は、残らなかった側です」
それだけ、言った。
「親父が店を開けているあいだ、俺は東京にいました。畳んだときも、いませんでした」
少し、間があった。
「……クジラは、まだ残ってます」
要はそれ以上言わなかった。
言い訳のように聞こえるのが、嫌だった。
鍬形は何も言わなかった。
忘れ物のことはどうでもよくなった。店に引き返した。
その途中、鍬形も、かなめ商店のシャッターの前で足を止めた。
色の褪せた字をしばらく見ていた。それから、また歩き出した。
翌朝だ。
要が事務室に着くと、机の上に木の札が一枚、置いてあった。
古い、すすけた木札だった。焼き鳥屋の屋号が墨で書いてある。「炭火 くわがた」。
裏に走り書きがあった。
――これを、体育館に出せ。いくらだ。
浜口が、それを見て、言った。
「……鍬形さん、来たんですか」
「来てません」
要は言った。札は、朝、ドアの下に差し込んであった。
(金は、預けねえ、と言ったのに)
昼に電話が鳴った。鍬形だった。
「一軒だけじゃ、話にならんだろ」
それだけ言って、切れた。
要は、受話器を置いた。
木札を、手のひらに握っていた。すすけて、少し脂の匂いがした。
――最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
続きが気になったら、ブックマークしていただけると嬉しいです。
ページ下の★評価も、続きを書く力になります。




