第38話 協賛金
鍬形は串を返す手を止めなかった。
「屋台は、やる」
炭の上で、脂が落ちて、白い煙が上がった。
「試合の日、店を閉めて、あそこに立つ。それは、やる。もう決めたことだ」
「ありがとうございます」
「だがな」
鍬形は初めて要のほうを見た。
「金は、出さねえ」
カウンターには、要のほかに客はいなかった。二月の、まだ早い時間だった。
「協賛、っつったな。看板だの、そういうやつだろう」
「はい」
「うちの店の名前を、あの体育館に出す。そのかわり、いくら払う。そういう話だ」
「そうです」
「やらねえ」
鍬形はまた串に戻った。
「悪いが、それは、やらねえ」
要は待った。
この親父は、屋台のときも、すぐには首を縦に振らなかった。理由を言うまでに時間がかかる男だ。
炭が、ぱち、と鳴った。
「昔な」
鍬形が言った。
「まだ、大洋さんがクラブを持ってた頃だ。ここに、若いのが来た」
「……若いの」
「スーツの、真面目そうなやつだ。頭を下げて、協賛金を集めて回ってた。この商店街を、一軒ずつだ」
鍬形の手が少しだけ遅くなった。
「みんな、出したよ。うちも出した。クラブのためだ、町のためだって言われりゃ、そりゃ出す」
「うちは、月に一万だ。安いと思うか。三年で、三十六万だぞ。焼き鳥、何本焼けば三十六万になると思う」
鍬形は串を裏返した。
「隣の乾物屋は、見栄っ張りだから、もっと出した。……あそこは、去年、畳んだよ。協賛のせいだとは、言わねえ。言わねえが、あの金が手元に在れば、もう半年は保ったろうさ」
炭が鳴った。
「何年か経って、大洋は撤退した。造船を畳んで、クラブも畳もうとして、この町から出てった」
「……集めた金は」
「どこ行ったんだろうな」
鍬形は笑わなかった。
「あの若いのは、悪いやつじゃなかったよ。最後まで、頭を下げてた。……だが、頭を下げるやつと、金を決めるやつは、別なんだ。おれはそれを、あのとき覚えた」
要は、そのスーツの若いのの顔を、知らない。
だが、その男が、いつか自分の前に現れる気がした。頭を下げて回った側の人間は、たぶん、いちばん深く焼かれている。
暖簾が揺れた。
向かいの金物屋の親父が、顔だけ入れてきた。
「鍬形さん、明日の屋台、氷はうちで持つわ」
それから、要に気づいて、少し止まった。
「……オーナーさんか。屋台は、行くよ。うちの孫が、東の守備が好きでな」
金物屋はそれだけ言った。
「けど、金の話なら、おれもやらねえぞ。一回、焼かれてるからな」
暖簾がまた下りた。
鍬形は焼き上がった串を三本、皿に載せて要の前に置いた。
「食え。金は取らねえ」
「……いいんですか」
「屋台の練習だ。塩の塩梅を、見てる」
要は一本を取った。熱かった。
「聞いたろ」
鍬形は言った。
「屋台はやる。あれは、おれが立って、おれが焼いて、おれの手に金が入る。誰にも預けねえ。……協賛ってのは、預ける金だ。もう、二度と預けねえ」
「……分かりました」
要は言った。無理に食い下がらなかった。
すると、鍬形のほうが、串を置いた。
「お前、かなめさんとこの倅だよな」
要は顔を上げた。
「アーケードの真ん中の、あの店だ。畳んだろう」
「……はい」
「お前の親父はな。最後まで、店を開けてた。客が来なくても、開けてた」
鍬形は言った。責める口調ではなかった。ただ、事実を置いた。
「造船所のやつらが、朝、あそこで煙草を買っていく。それが続くうちはって、開けてた。……造船所が消えて、客も消えて、それでも何年か、開けてた。で、畳んだ」
炭が鳴った。
「倅は、その頃にはもう、東京だったな」
要は答えなかった。
「悪いとは言ってねえ」
鍬形は言った。
「出てくのが、正しいときもある。残ったって、店は開かねえ。おれだって、自分の倅には出てけと言った」
炭がまた鳴った。
「ただな。出てったやつが、急に金を持って帰ってきて、『もう一回、町でクラブを応援しよう』って言うのはよ」
鍬形は要を見た。
「――お前、どうせまた、出てくんだろ」
要はその串の煙の向こうの顔を見返した。
言い返す言葉を、要は持っていなかった。
(……そうだ)
要は、残らなかった側だ。
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