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7億円で、潰れかけのクラブを買いました ~数字しか見えない俺は、誰も数えない選手を集める~  作者: 猫の飼い主
第三章 値段 ―― 安いからです

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第36話 一人ぶん

李濬浩の初戦はホームだった。


二月の第二週。今季三十二試合目。二勝二十九敗の最下位が、格上を迎えた。


要実は最前列にいた。



李濬浩は第一クォーターの途中で出た。


そして、何もしなかった。


シュートを打たない。打っても入らない。前半で二本打って、二本とも外した。


パスも凡庸だった。ドリブルも普通だった。日本語が分からないから、声も出さない。


客席がざわついた。


「……誰?」


要の後ろでそういう声がした。


(……郷田さんの言ったとおりだ)


点は嘘だった。あのリーグの二十点は、Bリーグでは何にもならない。



だが。


味方がシュートを外した。


その瞬間、李濬浩は自陣へ向かって走り出していた。


誰よりも早く。誰よりも真っすぐ。


要は膝の上で指を折った。


一。



前半が終わった。


要は二十三まで数えていた。


相手にボールが渡った回数、二十三。李濬浩が自陣へ戻った回数、二十三。


(……全部だ)


Bリーグでも全部だった。


郷田が折れた鉛筆で数えたものが、この体育館でもそのまま出ている。



要は客席を見た。


誰も、それを見ていなかった。


当たり前だ。ボールが無いほうを客は見ない。


ベイカーがゴール下で押し込んだ。子どもが「ベイカー!」と叫んだ。


李濬浩はその後ろを走っている。



第四クォーターに入って、要は別のものに気づいた。


東悠真だった。


東の走り方がいつもと違う。


上体が起きていない。戻るのが遅れていない。


(……脚が、残ってる)



要は一月の試合を思い出していた。


二点差で落とした、あの土曜日だ。


あの日、東は四十分、二人ぶん走った。ベイカーが捨てたゴール下まで戻り、また外へ出て、自分のマークにつく。それを四十分。


そして最後の一本を東が打った。


ボールはリングの奥に当たった。



――届いて、いなかったのだ。


(……疲れた脚は、届かないのか)


あの日、東は四十分ぶんの疲れを抱えて、あの一本を打たされた。


今日は違う。


李濬浩が戻っている。


だから東は一人ぶんしか走っていない。



残り六秒。一点ビハインド。


タイムアウトは無い。


黒木がボールを運んだ。


要は最前列から、その背中を見ていた。一月と同じ背中だった。


ベイカーが手を挙げていた。今日も二十四点取っている。


そして、動いていなかった。


手を挙げて、その場に立っているだけだった。


黒木は渡さなかった。



コートで動いていたのは、一人だった。


東だ。


得点一桁の男が、ゴール下から一歩出て、手を出した。


――同じだ。


要はそう思った。


パスが通った。


東が打った。



要はその放物線を見ていた。


一月のあの一本は、リングの奥に当たった。


今日は。


リングに当たらなかった。


ネットだけが、ぱす、と鳴った。



ブザーが鳴った。


体育館が一拍遅れて爆発した。



千五百人が立っていた。誰も帰っていなかった。


コートで志水が跳ねている。番場が東の首を抱えていた。黒木が両手を膝についたまま、笑っていた。


そして、その輪から少し離れたところに。


李濬浩が立っていた。



得点、ゼロ。


リバウンド、一。


アシスト、ゼロ。


誰も、彼の名前を呼ばなかった。


日本語が分からない。輪にも入れない。


初めて勝った日に、この男はコートの端に一人で立っていた。



そこへ一人が歩いていった。


苅田悟だった。


今日も一分も出ていない。


苅田が李濬浩の背中を、ばん、と叩いた。何か言った。ひどい発音の英語だった。


李濬浩が笑った。


要はそれを最前列から見ていた。



事務室へ戻ろうとしたとき、廊下で郷田に会った。


郷田はジャージの袖で顔を拭いていた。


「オーナーさんよ」


「はい」


「二十三だ」


要は足を止めた。


「前半、二十三。後半、十九」


郷田は言った。


「全部、戻ってる」


「……数えたんですね」


「当たり前だろ」


郷田はそう言って、行こうとした。


そして、止まった。



「あいつ、何点だった」


「ゼロです」


「……そうか」


郷田は少し黙った。


それから、ぶっきらぼうに言った。


「点は、嘘だったな」


「はい」


「……嘘で、助かった」


郷田は行ってしまった。



事務室で要は手帳を開いた。


李濬浩の欄。


二月の頭に書いた、数字ではない一行がある。


――戻る。


要はその横に初めて数字を書いた。


四十二。


そして、勝敗の欄を書き換えた。


三勝二十九敗。



要はしばらく、その手帳を見ていた。


四十二回走った男の名前は、明日の新聞に一度も出ない。


出るのは東悠真のブザービーターだ。


(……それでいい)



ドアが開いた。


浜口だった。


ファイルを抱えていない。手ぶらだった。


「勝ちましたね」


「ええ」


浜口は椅子を引いた。そして、座った。


要の、正面に。


この男が事務室で要の正面に座ったのは、初めてだった。


「オーナー」


「はい」


「……金の話を、しましょうか」

――最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

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