第31話 言い訳ですよね
二月の平日の午後だった。
県立潮見工業高校の体育館は、天井が低かった。窓ガラスが一枚、ベニヤ板で塞がれている。
七人が練習していた。
要は入口に立った。
顧問だという先生が来た。四十代で、ジャージを着ていたが、体つきが完全に文化系だった。
「あ、どうも。……はい、僕、物理です」
「物理」
「バスケは、やったこと無いんですけどね。誰もいないので」
先生は悪びれずに笑った。
「三年前に前の顧問が辞めてから、ずっと僕です」
要は体育館を見た。七人しかいない。
「部員は」
「ああ」
先生はあっさり言った。
「三年前までは、十二人いたんですけどね」
「減ったんですか」
「減りますよ」
先生は当たり前のことのように言った。
「うち、工業なんで。造船所があった頃は、この辺に子供がたくさんいたんです。……いま、一学年が二クラスですよ」
先生は自分の頭をかいた。
「部活どころじゃない子も、多いです。バイトとか。……七人残ってるのが、けっこうすごいと思ってます、僕は」
要は体育館を見た。
七人しかいない。だから、五対五ができない。
三対四で、ずっと同じことをやっている。
その中に、一人だけ、大きさの違う子がいた。
残りの六人は普通の高校生だった。背は低い。手足も細い。一年生の一人などは中学生に見えた。
その六人が、一人の大きいのを止めようとして、止められずにいる。
止められるはずがない、と要は思った。
三年間、この体育館では、毎日それが起きていたことになる。
やがて一ノ瀬がゴール下でボールを落とした。誰も触っていない。自分で落とした。
一年生の一人がそれを拾った。
そして、一ノ瀬に渡した。
「一ノ瀬さん、もう一本」
一ノ瀬は何も言わずに受け取って、また抜いた。
要はそれを見ていた。
――怒鳴られた側が、まだ、ボールを渡している。
そして一ノ瀬は、たぶんそれに気づいていない。
一ノ瀬樹は要より背が高かった。
近くで見るとただの高校生だった。ニキビがあった。髪が跳ねている。首から下は完成しているのに、顔だけが子供だった。
要が名乗ると、一ノ瀬は目を丸くした。
「……ホエールズの?」
「ええ」
一ノ瀬は要の顔を見て、それから入口のほうを見た。
他に誰か来ているんじゃないか、という顔だった。
「俺、ですか」
「あなたです」
一ノ瀬は少し笑った。
愛想笑いではなかった。困っていた。
「……あの。俺、就職、決まってるんですけど」
「そうですか」
「県外です。自動車の工場で」
一ノ瀬は言った。
「工業なんで。就職、決まるんです」
「バスケは」
要が聞くと一ノ瀬は少し黙った。
「もう、いいです」
一ノ瀬は床を見た。
「全部のクラブに、見てもらいました」
「……」
「全部に、いらないって言われました」
一ノ瀬は顔を上げた。
「……それって、答えじゃないですか」
十八歳が言う言葉ではなかった。
だが、正しかった。
要にはそれを否定する材料が無かった。
要は質問をした。
「一ノ瀬さん。あの試合、何分出ましたか」
「え?」
「準々決勝です」
一ノ瀬は不思議そうな顔をした。
「……四十分ですけど」
「その前の試合は」
「四十分です」
「その前は」
一ノ瀬が少し黙った。
「……四十分です」
「三年間、全部ですか」
一ノ瀬は答えなかった。
要は言った。
「部員が、七人ですね」
一ノ瀬の顔が変わった。
要はそれを見ていた。
――誰も、そこを見なかった。
三年間、この子が何分走っていたかを、誰も数えなかった。全員があの十秒だけを見た。
そして。
「……それ」
一ノ瀬が言った。
声が低くなっていた。
「言い訳ですよね」
「え」
「部員が七人だから、負けた」
一ノ瀬は要を見ていた。
その目は笑っていなかった。
「そんなん、言いたくないです」
「俺が下手だから、負けたんです」
一ノ瀬は言った。
「それでいいです」
要は何も言えなかった。
この子は要が差し出したものを拒否した。
それは救いだった。要が用意した、いちばん良い形の救いだった。
十八歳はそれを床に置いて、踏まなかった。
(……なるほど)
要はそう思った。
スカウトはこの子を「メンタルに難がある」と書いた。
要には逆に見えた。
一ノ瀬は要から目を逸らした。
「……すいません。練習、あるんで」
そして、コートに戻っていった。
三対四の、五対五にならない練習に。
要は体育館を出た。
何も取れなかった。
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