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7億円で、潰れかけのクラブを買いました ~数字しか見えない俺は、誰も数えない選手を集める~  作者: 猫の飼い主
第三章 値段 ―― 安いからです

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第29話 点は嘘だ

朝の六時に、事務室のドアが開いた。


要実はそこにいた。前の晩から帰っていない。


郷田学が立っていた。ジャージのままだ。目が赤い。


「オーナーさんよ」


「はい」


郷田は机の上にパソコンを置いた。


そして、その隣に、折り畳んだ紙を置いた。



「点は嘘だ」


郷田は言った。


「あのリーグの二十点なんか、当てになるか。守備が無えんだ。あんなもん、俺でも十点は取る」


「……はい」


「KBLで切られたのも、当たり前だ。あいつは、点を取る選手じゃねえ」



要は待った。


郷田は少し黙ってから、言った。


「……だが、あいつ、戻ってる」



要は紙を開いた。


正の字が並んでいた。太い鉛筆で、力を入れて書いてある。途中で線が薄くなり、また濃くなっていた。


「八試合、全部見た」


郷田は言った。


「相手にボールが渡った回数と、あいつが戻った回数だ。数えろ」


要は数えた。


同じだった。


「一本も、サボってねえ」



「二十点差ついた第四クォーターもだ」


郷田は言った。


「誰も見てねえ。数えてもねえ。給料も上がらねえ。……三年、やってやがる」


郷田はそこで口を閉じた。



「郷田さん」


要は言った。


「なぜ、それが、うちに要るんですか」


要は答えを知っていた。


だが、要が言ってはいけなかった。



郷田は長いこと答えなかった。


やがて、低い声で言った。


「うちは、一人に二人ぶん走らせてる」



事務室が静かになった。


「ベイカーが戻らねえ」


郷田は言った。


「その後ろを、東が埋めてる。毎試合、四十分だ」


郷田の目は机の上を見ていた。要の顔ではなかった。


「俺の右手はな。何度も上がりかけてる」


「……」


「そのたびに、下ろしてる」



要は何も言わなかった。


十二月に、要はその画を関係者席から見ていた。上がりかけて、止まる右手を。そして、ヘッドコーチの名前の横に、初めて何かを書きつけた。


その中身を、いま、この人が自分の口で言っている。


「あれは、あと半年ももたねえ」


郷田は言った。


「東だ。壊れる」



「もう一人、戻る奴がいりゃあ」


郷田はそこで言葉を切った。


そして、要を見た。


「……これは、俺の意見じゃねえ」


「郷田さん」


「見たままだ」


郷田は言った。


「獲るか獲らねえかは、あんたが決めろ。俺は数えただけだ」


要はうなずいた。


そして、一つだけ聞いた。


「郷田さん。獲ったら、使いますか」



先週、同じ質問で、この人は固まった。


十二月にも固まった。


今度は固まらなかった。


「戻る奴なら、使う」


郷田はそう言って、出ていった。


ドアは乱暴に閉まらなかった。



昼に浜口が来た。


要が話し終えると、浜口はしばらく黙っていた。


「本社に、説明でき――」


言いかけて、浜口は止まった。


「……無いんでしたね。本社」


「無いです」


「八年、言われる側だったもんで。口が、勝手に出ます」


浜口はファイルの角を指で撫でた。


「上がいないってのは、速くていい。……止める人も、いないんですけどね」


「掲示板には、説明できますか」


「できません」


浜口は天井を見た。


「……また、それですか」



「苅田さんの九百万も、まだ出所が無いんですよ」


浜口は言った。


「そこに、もう一人ですか」


「はい」


「いくらですか」


要は金額を言った。


浜口の目が少し動いた。安かったからだ。安すぎたからだ。


「……本当に、それで来るんですか」


「来ます」


要は言った。


「誰も、値段を知らないからです」



浜口はファイルを開いた。閉じた。もう一度開いた。


そして、聞いた。


「郷田さんが、見たんですか」


「ええ」


「……八試合、全部?」


「ええ」


浜口は黙った。


長い沈黙があった。


やがて浜口はファイルを脇に抱えた。


「……手続きを、始めます」


「浜口さん」


「言わないでください」


浜口は要を見なかった。


「俺が納得したわけじゃないです。……郷田さんが、鉛筆を折ったってだけです」


浜口は出ていった。



要は机の上の正の字の紙を見た。


(……手柄は、あの人のものだ)


それでいい、と要は思った。


要には数えられなかった。信じられる数字が、あそこには無かったからだ。


だから要は、数えられる人間のところへ、機械を置いてきただけだ。


要がやったのはそれだけだった。



二月の頭に李濬浩は来た。


背は高くない。細い。要が想像していたより、ずっと小さく見えた。


日本語は分からない。英語もほとんど話さない。


体育館の隅に荷物を置いて、立っていた。


誰も声をかけなかった。


主力はそれぞれの輪の中にいる。番場も、黒木も、志水も。東は一人で壁に向かっていた。ベイカーは水を飲んでいた。



赤いビブスが歩いていった。


苅田悟が何か言った。要のいる二階までは聞こえなかった。


李濬浩が顔を上げた。


そして、笑った。



要は手帳を開いた。


李濬浩の名前を書いた。


その横に数字を書いた。年俸。年齢。リーグ平均二十点。


(……この数字は、たぶん、嘘だ)


郷田はそう言った。要もそう思う。


その下に、要はもう一行だけ書き足した。


数字ではなかった。


――戻る。



手帳を閉じようとして、要の手が止まった。


机の隅に一枚の紙があった。浜口が置いていったものだ。


先月のドラフトの結果一覧だった。


潮見はB.ONEだ。指名権が無い。金の話ですらなかった。だから要はこの紙を今日まで開いていなかった。


要はそれを初めてめくった。


後ろのほうに、指名から漏れた選手の名前が並んでいる。


その中に、一つ。


県立潮見工業高校、という校名があった。

――最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

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