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7億円で、潰れかけのクラブを買いました ~数字しか見えない俺は、誰も数えない選手を集める~  作者: 猫の飼い主
第十二章 更地 ―― 夢の話でしょう

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第163話 全部、生きてますか

十月の商店街は夕方が早い。


アーケードの明かりが点くころ、チェン・ウェイは蔵本と並んで歩いていた。


言い出したのはチェン・ウェイのほうだった。札を出している店を見ておきたい。練習の休みの日に通訳もつけずに、蔵本の集金に一日ついて回った。


総菜屋では婆さんに塩むすびを持たされた。


「あんた、瘦せてるよ」


「……瘦せて、ないです」


「瘦せてる。食べな」


チェン・ウェイは店先で立ったまま食べた。婆さんは食べ終わるまで見ていた。それが会話の全部だった。


鉄工所では山根が機械を止めずに出てきた。チェン・ウェイは工場の中を見せてもらった。油の匂いの中で若いのが二人、部品を箱に詰めていた。


「ここ、何を作ってますか」


「農機の部品だ」


「……前は」


「船だ」


山根はそれだけ言った。チェン・ウェイもそれ以上は聞かなかった。箱詰めの若いのが二人、手を止めずに、こっちを見て小さく頭を下げた。開幕から全部観てますと片方が言った。


米屋の前では蔵本の歩幅が変わらなかった。変わらないまま通り過ぎた。チェン・ウェイは看板を一度見て何も聞かなかった。通り過ぎ方で聞いてはいけないことだと分かったようだった。


閉めた写真屋の前では、チェン・ウェイのほうが足を止めた。


シャッターに色の抜けた七五三の見本写真が貼ったままになっている。


「ここは」


「去年、閉めた。ここの札は、壁に残ってる」


「……閉めた店の札、残すんですか」


「外す理由が、無いんでな」


チェン・ウェイは少し考えてから言った。


「それだと、継続率が、分からなくなります」


蔵本は歩き出しかけて、止まった。


「継続率は、浜口さんが持ってる」


蔵本は言った。


「これは、帳簿じゃない」


チェン・ウェイは何も言わなかった。見本写真をもう一度見てからついていった。



夕方、二人は体育館の通路に戻ってきた。


札の壁の前でチェン・ウェイは足を止めた。


六百十二枚が掛かっている。木の札。プラスチックの札。子どもの字の札。大きさは三段。掛かっている順は出した順。


チェン・ウェイは端から読み始めた。読めない字の札の前では、蔵本が屋号を読み上げた。焼き鳥屋。写真屋。酒屋。読み上げる声に番地までついてくる屋号がいくつもあった。二十九年、回った側の声だった。


子どもの字の札の前で、チェン・ウェイの指が止まった。


「これ、子どもの字です」


「孫が書いたんだと。婆さんが、書き直さないでくれと言ってな。そのまま掛けてある」


一万円の段の前では、少し長く止まった。


「これ、大きいです」


「山根鉄工。十一人の工場だ」


蔵本は言った。


「大きさは、店が決める。うちが決めるのは、場所だけだ」


「……これ、全部、生きてますか」


チェン・ウェイが聞いた。


「生きてるのと、残してあるのがある」


蔵本は言った。


「今年、閉めたのが二軒だ。去年までを入れれば、もう何軒かある。閉めた店の札は、全部そのままだ」


チェン・ウェイは壁の端から端までをもう一度見た。


「消えるクラブは、先に、壁が死にます」


チェン・ウェイは言った。


「スポンサーのボード、一枚ずつ、白くなります。更新の季節に剥がれて、次が入らない。白いところが増えて、それから、クラブが消えます。……三回、見ました」


「ここは」


「ここは」


チェン・ウェイはそこで一度、言い直した。


「ここは、剥がれません。だから、減ったかどうかは、分かりません」


「……」


「増えたかどうかだけ、分かります」


チェン・ウェイは言った。


「増えてます」


チェン・ウェイは二枚目の板の端の札の前で止まった。


五百円の名前だけの札だった。


「これは」


「李濬浩」


蔵本は言った。


「お前さんの前の男だ。三年いて、今年、出てった」


「……出た人の札、剥がさないんですか」


「本人が、寄ってきた。金は自分で払うから残せないか、と」


蔵本は言った。


「札は残すと、要さんが返事をした。あいつがここで何をしたかも、別に残したいそうだ。……そっちは、まだ決まってない」


チェン・ウェイはその札を長いあいだ見ていた。


出ていった選手の札が、まだ壁に生きていた。三度、消える側にいた男にとって、それは初めて見るものだった。消えたものから剥がされていく壁なら、三枚見てきた。残る壁は初めてだった。


「蔵本さん」


「なんだ」


「私の札、出せますか」


チェン・ウェイは言った。


「五百円の。……この隣に」


「理由は」


チェン・ウェイは少し考えた。


「増えるか、見たいです」


蔵本は手帳を出した。日付と名前と額を書いた。それから天気の欄に「晴れ」と書いた。


「順番があるんでな」


蔵本は言った。


「あいつの隣にはならん。いまの端の、次だ。それでいいか」


「それで、いいです」


蔵本は壁の右の端を見た。板は三枚だった。三枚目の下の段に、あと十枚ぶんの隙間が残っている。


「もっとも、その端も、そろそろだ」


「そろそろ?」


「掛ける場所が、無くなる」


蔵本は言った。


「三年で、三枚だ。四枚目を掛ける壁が、この通路には無い」


チェン・ウェイは通路を端から端まで見た。壁はそこで終わっていた。


「……増えて、困るんですか」


「困る」


蔵本は壁を見たまま言った。


「三年前は、剥がす場所を数えてた」


蔵本は手帳を閉じて、少しだけ笑った。


「選手に頼まれたのは、二人目だ」


帰り際、チェン・ウェイはもう一度だけ、壁の端から端までを見た。


「決算より、いいもの見ました」


「決算より、当てになるか」


チェン・ウェイは少し考えた。


「……同じくらい」


蔵本は笑って電気を消した。

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