第161話 仕事が、減りました
コート脇の三脚に宮里のカメラが立っている。
練習の朝、宮里澪はいつもの位置にいた。選手の足が床に着く瞬間だけを、横から撮り続ける。三年同じ画角だった。
開幕から四試合が終わっていた。三勝一敗。
宮里はその四試合ぶんの紙を持って要実のところへ来た。
「東さんの数字です」
紙には走行距離が並んでいた。試合ごとの合計とクォーターごとの内訳。
「合計は、少し減っただけです。守備の運動量そのものは、変わっていないので」
宮里はいちばん下の行を指した。
「第四クォーターの、残り五分です。……去年の、半分です」
要はその数字を見た。
一年前、宮里は同じ形の紙を持ってきた。合計は減っているのに、第四クォーターの後半だけが増えている。去年ぶんが全部そこに寄っている。そう言った。
今年の紙はその逆だった。寄っていたものが消えていた。
宮里のカメラは四年目に入っていた。最初の年、この数字を見る人間は宮里しかいなかった。二年目に要が見るようになり、三年目に和久井の画面に載った。四年目のいま、編成がその数字で動いた。誰も見なかった数字が、四年かけて金の使い道を決める数字になっていた。
「コフィ選手が、あの五分に立っています。東さんは、自分の相手の前にいるだけです。二人ぶんの仕事が、無くなりました」
宮里は言った。
「私の紙で言えることは、以上です」
練習後の体育館で東が要のところへ来た。
珍しいことだった。この選手は四年、自分から要に話しかけたことがほとんどない。
「要さん」
「はい」
「……仕事が、減りました」
東は言った。文句の言い方ではなかった。かといって礼の言い方でもなかった。報告の言い方だった。
「四クォーターの後半、やることがないんです。相手の前に立ってると、終わる。十年、あそこは埋める時間でした。埋める穴が無いのは、初めてで」
「落ち着きませんか」
「落ち着きません」
東は正直に言った。
「癖で、走り出しそうになります。空いてない場所へ」
要は少し考えてから聞いた。
「郷田さんは、何と」
「浮いた足は貯金しとけ、と」
東は言った。
「使いどころは春だと言われました。……プレーオフのことだと思います」
東はそれだけ言ってコートへ戻っていった。
戻った先に比嘉がいた。
「比嘉。さっきの三本目、抜かれた理由を言え」
「……足が、遅れました」
「違う。足より先に、目が遅れた。相手の胸を見ろ。ボールと目は嘘をつく。胸は、行くほうにしか向かない」
比嘉がやり直す。東は抜かれる側を三回やって、三回とも同じ場所で止めてみせた。
東の空いた時間はそこに流れ込んでいた。去年まで自分の脚で埋めていた五分ぶんを、次の守備職人を作る時間に替えていた。誰に言われたのでもなかった。職人は手が空くと、道具を手入れするか弟子を見る。
列の少し外で名嘉が同じ足の運びを一人で繰り返していた。
東だけが一度、そちらを見た。
昼過ぎに要はコーチ室に呼ばれた。
郷田は来季のではなく、春の紙を広げていた。三月から五月の日程表だった。
「東の脚が、春まで残る」
郷田は言った。
「そういうシーズンを、俺は初めて組んでる」
「……はい」
「二年前は、十二月に組み替えが始まった。駒が減るからだ。誰かが壊れて、誰かが二人ぶん走って、その誰かがまた壊れる。組むってのは、減っていく前提で削ることだった」
郷田は日程表を指で叩いた。
「今年は、減らない前提で組める。三月に、全員いる前提で」
郷田はそこで一度言葉を切った。
「……編成ってのは、こういうことか」
要は何も言わなかった。八年、駒を選ばせてもらえなかった男が、四年目に春の紙を先に広げている。その画のほうがどんな返事より正しかった。
夕方、宮里がもう一度事務室に来た。
「一つ、言い忘れました」
宮里は立ったまま言った。
「去年の五月、要さんに申し上げました。代わりを連れてくれば五年、連れてこなければ二年と」
「はい」
「訂正します」
宮里は言った。
「東さんの膝は、二年の使い方じゃ、なくなりました」
宮里は頭を下げて出ていった。ドアの音はしなかった。
要はしばらく動かなかった。
一年前の問いに一年かけた答えだった。四人目の外国籍。同時に出せない駒。誰にも説明のつかなかった金が、膝の使い方に変わっていた。
二年が、二年でなくなった。何年になったかを、宮里は言わなかった。この人は数え終わっていないものを数字にしない。
その使い方はどこの順位表にも載らない。
要は翌日、和久井に頼んで画面に欄を一つ足してもらった。膝の残り年数という欄を持つクラブは、リーグのどこにもたぶん無かった。
――最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
続きが気になったら、ブックマークしていただけると嬉しいです。
ページ下の★評価も、続きを書く力になります。




