第160話 中が、空かない
九月の最終土曜、体育館の駐車場は朝から埋まり始めていた。
開幕だった。
屋台の炭に火が入るのが、いつもより一時間早い。鍬形が七軒に声をかけて、通路の外まで煙が並んだ。札の壁の前では蔵本が新しい二枚を掛けている。掛ける場所は出した順。四年目もそこは変わらなかった。
開場すると席が下から埋まっていった。
札の壁の前で立ち止まる客がいる。自分の店の札を連れに指差している。三年前この通路はただの通路だった。いまは立ち止まる場所になっていた。
要実は開場前から二階にいた。
去年の開幕は三千二百だった。今日の前売りはそれをもう超えている。四月の最終節に四千四百十二を見た町が、その続きを見に来る。
チェン・ウェイは通路の入口で足を止めていた。
「……開幕で、これですか」
「はい」
「三つ目のクラブの開幕、覚えてます。千百人でした。フロントの人が、タダ券を、駅で配ってました」
チェン・ウェイは埋まっていく席を見ていた。
「配ってないのに、埋まるの、初めて見ます」
試合が始まった。
先発はサントスとチェン・ウェイ。レイもコフィもベンチだった。
チェン・ウェイの最初の仕事は、守備だった。相手の速攻で二対一になりかけたとき、戻ったのはチェン・ウェイだった。走って追いついたのではない。最初から帰り道にいた。李濬浩が三年やっていたことを、新しいアジア枠は初日から知っている顔でやった。
二階席で小さい拍手が起きた。点の入らないプレーに拍手の出る体育館だった。
第二クォーター、レイが立った。サントスの隣に二百六センチが並ぶ。ここまでは去年もあった形だった。レイの膝は今年も十八分と決まっていて、宮里の管理表は一分も動いていない。
ハーフタイムには場内アナウンスが協賛社の名前を読み上げた。
冠のついた抽選会だった。当選番号が読まれるたび、客席のどこかで小さい歓声が上がる。景品は米と洗剤の詰め合わせだった。読み上げられる社名は、東京の会社だった。
十五分はそれで終わって、モップが引き上げ、選手が戻ってきた。
要は二階からそれを見ていた。見て、何も思わなかった。
コフィの名前がコールされたのは、第三クォーターの半ばだった。
客席が少しだけ静かになった。
四人目の外国籍。出せない駒。夏の板の言葉は客席にも届いている。二百一センチはその静けさの中を何も知らない顔でコートに入った。
そして第四クォーター、レイの十八分が尽きた。
去年ならここからだった。中が一枚になり、外が空き、東が二人ぶん走り始める時間だった。潮見の試合がいちばん重くなる五分だった。
今日はコフィが立った。
中は二枚のままだった。
相手のガードがドライブの入口で二度止まった。去年なら空いていた場所に、二百一センチが立っている。ガードは外へはたき、外は東の前で止まった。中を見て外を見て、また中を見て、時計だけが減った。
中が空かない。
ただそれだけのことだった。それだけのことを、このクラブは四年できなかった。
点差はその五分で四点開いた。潮見が攻めて開けたのではない。相手が攻めあぐねて、開いた。攻めない時間の長い相手は、シュートの前に時計を見る。時計を見るチームは、たいていそのまま沈む。
郷田はベンチの前に立たなかった。座ったまま手元の紙に短く何か書いた。立つ理由がまだ一度も来ていなかった。
七十七対六十四で勝った。
観客は四千百人だった。
事務室で浜口が定点の紙を出した。工程表の隅に今日の数字を書き込む。
「四千百です。開幕としては、過去最高です」
「はい」
「損益分岐は、四千三百です。……開幕でこれだけ入って、まだ二百、届きません」
浜口はそこで手を止めた。
「勝って、埋めて、届かない。この線は、そういう線です。夏に申し上げたとおりです」
「はい」
浜口は紙をもう一枚めくった。
「もう一つ、数えました。今日の売上を人数で割ると、去年と、ほとんど同じです」
「……単価が、動いていない」
「動きません。うちの席は、全部、同じパイプ椅子です。値段も、ほとんど変わりません。高いほうの席を作ろうにも、作る場所が無いんです」
浜口は言った。
「人を増やすか、単価を上げるか。線を越える道は、二本です。……単価のほうは、大きく上げられる商品が、もう作れません」
要はうなずいた。
「それと、もう一つあります」
浜口は電卓を引き寄せなかった。数えるまでもない数字だった。
「この建物は、五千で止まります。線は、四千三百です」
「……」
「満員にしても、七百人ぶんです」
浜口はその紙を伏せた。
「上げたのは、要さんです」
要はうなずいた。答えはまだ持っていなかった。持っていないことだけが、はっきりしていた。
ロッカーへ続く通路で、東悠真が一人立ち止まっていた。
汗が少なかった。
第四クォーターに東は自分の相手の前に立っていた。それだけで試合が終わった。走る場面を待って、走る場面が来ないままブザーが鳴った。
十年、そういう終わり方をしたことがなかった。
東は何かを持て余した顔のまま、ロッカーに入っていった。
持て余しの正体を、この男はまだ言葉にしていない。言葉になるのは、数字のほうが先だった。
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