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7億円で、潰れかけのクラブを買いました ~数字しか見えない俺は、誰も数えない選手を集める~  作者: 猫の飼い主
第十二章 更地 ―― 夢の話でしょう

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第159話 夢の話でしょう

隣の市の展示場は駅から歩いて二十分の場所にあった。


夏の産業フェアの撤収の日だった。ブースの骨組みが外され、パネルが台車で運ばれていく。要実は入口の脇からそれを見ていた。


台車の列が詰まらずに流れていた。


搬出口は二つ。重いものは左、長いものは右。通路の交差には人が一人立っていて、台車が来るたびに、先を譲らせる順番を手で示している。誰も走っていないのに、フロアのものが目に見えて減っていく。動線を先に決めてある減り方だった。


その真ん中で指示を出している男がいた。


茂木健吾。四十四歳。


佐伯が調べてきた名前だった。県内の興行畑でハコを回せる人間を挙げてもらうと、複数の筋から同じ名前が出た。いまはイベント会社の契約社員で、展示会と成人式と物産展を回している。


「潮見の、バスケの」


茂木は要の名刺を見て言った。


「うちに何の用ですか。展示会でも打ちますか」


「箱の話を、聞いてほしくて来ました」


茂木は台車を一台通してから、要に向き直った。


「箱。……新しく建てる話ですか」


「はい」


「図面は」


「ありません」


「金は」


「ありません」


「市の判こは」


「ありません」


茂木は首にかけたタオルで手を拭いた。


「それ、夢の話でしょう」


突き放す言い方ではなかった。事実を数えただけの言い方だった。無い、無い、無いと三つ数えて合計を言った。それだけだった。



「五分だけ、いいですか」


要は言った。茂木は腕時計を見て撤収の列を見た。それから五分と言った。


要は三十日の話をした。


試合は三十日。残りの日、箱は何もしない。それを埋められる人間を探している。展示会でも成人式でも物産展でも。ハコを稼がせられる人間を。


茂木は聞き終わってから、少しだけ黙った。


「……潮見の市民ホール、ご存じですか」


「はい」


要は言った。町の人に公民館でダンスを習う子たちの話を聞いたことがある。習う場所はある。見せる場所が無い。市民ホールが閉まってからずっと。


「私が、最後に鍵を閉めました」


茂木は言った。


「八年いました。歌謡ショーもピアノの発表会も成人式も、あそこで回した。稼働率は、県内の同じ規模で、上から三番目まで上げました。……それでも、閉まった」


「なぜですか」


「建てた金の話しか、しなかったからです」


茂木は言った。


「建てるときは、みんな夢の話をするんです。文化の殿堂。町の誇り。で、建ったあとの金の話は、誰もしていなかった。維持費は年に八千万。稼働で返せたのは、半分まででした。市の財政が傾いたとき、真っ先に切られた。……ハコは、建った日がいちばん新しくて、あとは古くなるだけです」


茂木は撤収の続くフロアを見た。


「鍵を閉める日、ロビーの照明を一列ずつ落としました。最後の催しが何だったか、ご存じですか」


「……いえ」


「保育園の、お遊戯会です」


茂木は言った。


「取り壊しの決まった箱の最後の枠でした。金にならないんで、空いてたんです。……あの子ら、いまどこでやってるんですかね」


要は答えなかった。


答えを知っていた。公民館で習っている。見せる場所は無い。ハーフタイムの十五分がその代わりだった季節が、二年あった。その十五分にいまは会社の名前が乗っている。乗せたのは要だった。


知っていることのどれ一つも、この場で言える形をしていなかった。


「だから、夢の話には乗りません」


茂木は言った。


「私は、箱が死ぬところを、中から見た人間です。あれは、二度とやりたくない」


要はうなずいた。


反論はしなかった。この人の言っていることは、浜口とも緒方とも同じだった。順番が違う。夢が先で金があとの箱は、死ぬ。この人はそれを知識ではなく、鍵の重さで知っていた。


「一つだけ、伺っていいですか」


要は言った。


「建てたあとの金の話が、先にあったら。……乗りますか」


茂木は初めて要の顔をまっすぐ見た。


しばらく何も言わなかった。台車の音が二度、あいだを通った。


「土が掘れたら、呼んでください」


茂木は言った。


「図面と、金と、判こ。三つ揃って、土が掘れる。そこまで行く話なら、聞きます。……行かない話が、九十九です」


茂木はタオルを首にかけ直して、撤収の列に戻っていった。交差点に立っていた若いのに何か言って、台車の順番がまた一つ入れ替わった。


帰りの電車で要は手帳を開いた。


市が先ですと浜口が言った。市が先ですと緒方も言った。土が先ですと茂木は言った。


要はそのページに「順番」とだけ書いた。


窓の外を、暗くなり始めた海が流れていった。



翌日、要は市役所へ行った。


三階の企画財政課だった。番号札を引いて二十分待った。呼ばれて座ったのは応接室ではなく、課の中の打ち合わせ卓だった。周りで電話が鳴っている。


川俣という課長だった。五十を少し過ぎて痩せている。名刺を一枚出して、それきり手元の書類を伏せなかった。


「市長に、お会いしたいんですが」


要は言った。


「会えません」


「……なぜです」


「市長案件では、ないからです」


川俣は要の持ってきた資料を順番にめくった。三年ぶんの入場者。売上。協賛六百十軒。造船所跡の面積。めくる速さは読んでいる速さだった。


「よく作られています」


川俣は言った。


「ただ、これは市の書類ではありません」


「……」


「いま、新しい体育館の整備は予算にも実施計画にも載っていません。載っていないものには、担当も、決裁もありません」


「載せるには」


「順番があります」


川俣はそこで初めて手を止めた。


「来年度に市の金を入れるなら、三月の定例会です。そこに議案を出すには、それまでに、これが市の案件になっている必要があります」


「いま、これは」


「クラブさんの構想です」


川俣は資料を揃えて要の側へ戻した。突き返したのではなかった。持って帰る人の手元に置くという置き方だった。


「悪い数字ではないと思います」


川俣は言った。


「ただ、市は、良い数字では動きません。案件で動きます」


要は頭を下げて出た。


廊下の窓から海が見えた。市役所は高台にあって、造船所の跡がここからだと一枚の平らな色に見えた。金網もレールの跡も、ここからは見えない。ただ平らだった。


要は手帳を開いた。


昨日書いた一語の下に、もう一行足した。


三月。


そのページの二つ上の行に、和久井の紙から写した日付があった。


三月三十一日。


二つとも三月だった。



【地域スレ】潮見ブルーホエールズ Part105


88 名無しの潮見サポ

ネタ無いな

補強も終わったし


89 名無しの潮見サポ

どうでもいい目撃情報

朝、造船所跡のフェンス沿いを歩いてるGMを見た


90 名無しの潮見サポ

>>89 何してたんだ


91 名無しの潮見サポ

知らん

ぐるっと一周して帰ってった


92 名無しの潮見サポ

箱の話、あれから続報無しか


93 名無しの古参

無い


94 名無しの潮見サポ

まあ、噂だけだろ

何十億の話だぞ


95 名無しの古参

分からんと言っただろ

分からんまま、開幕が来る

それでいいんだよ、今年は

――最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

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