第152話 四つ目のクラブ
チェン・ウェイは六月の最初の月曜に来た。
二十五歳。台湾。身長は百九十一。写真より少し細く見えた。空港から二時間、電車を乗り継いで、一人で来た。案内をつけますと言ったのを断ってきた。
事務室ではなく、要は先に体育館へ連れて行った。
「床が、半分ですね」
チェン・ウェイは日本語で言った。訛りはあったが詰まらなかった。
「はい。半分です」
「もう半分は」
「金が、無かったので」
チェン・ウェイはうなずいた。驚いた顔ではなかった。
この選手の値段は安かった。
理由ははっきりしている。二十五歳でもう三つのクラブを渡っている。腰が据わらないと書かれていた。どこの記事も同じ言葉を使っていた。
要はその三つを一つずつ調べた。
一つ目は二年目の冬に運営会社が破産した。二つ目は親会社が撤退して、そのシーズンの途中で消えた。三つ目はリーグの審査に落ちて、来季が無くなった。
三回ともこの選手が出ていったのではない。クラブのほうが消えていた。
腰が据わらないと書いた記者は、たぶんそこまで調べていない。調べる理由が無い。二十五歳の三度目の移籍は、それだけで説明がついてしまう。
要はその説明を疑うところから始める男だった。三年、そればかりやってきた。
和久井がその三つを裏から確かめた。破産の官報。親会社の適時開示。リーグの審査結果。三つとも日付まで合っていた。
「この選手のせいで消えたクラブは、一つもありません」
和久井はそれだけ言って紙を置いた。
練習場を一周して、事務室に戻った。
浜口が挨拶をして、佐伯が写真を撮って、和久井が資料を出した。この一年で事務室にいる人間が四人に増えていた。三年前、ここには要一人しかいなかった。
契約の話は三十分で終わった。年数も金額も揉めなかった。
「一つ、こちらから伺っていいですか」
要が言うとチェン・ウェイは背筋を伸ばした。
「なぜ、うちを選んだんですか。B.ONEなら、上のクラブから話があったはずです」
「ありました。二つ」
チェン・ウェイは言った。
「両方、断りました。……決算を見たので」
要は少し目を上げた。
「うちの決算も、見ましたか」
「見ました。九億五千万。赤字です」
チェン・ウェイは言った。
「それでも、三年、増えてます。増え方が、途中で一度も止まっていない。……止まらないクラブは、まだ潰れません」
要はうなずいた。この選手は自分が三度潰されたぶんだけ、決算を読む目を持っていた。誰も教えていない。三度、痛い目に遭って自分で覚えたものだった。
最後にチェン・ウェイが一つだけ聞いた。
「一つ、いいですか」
「はい」
「この町は、あと何年ありますか」
要は答えなかった。
質問の意味は分かった。
この選手が聞いているのは、クラブの経営状態ではない。それなら数字で答えられる。売上が九億五千万で、損益分岐が四千百人で、去年の平均が三千四百人だと言えばいい。数字は要の得意なところだった。
だが聞かれたのは町のほうだった。
造船所が閉じた町にあと何年あるか。要はその数字を持っていない。人口は六万八千で、毎年少しずつ減っている。減り方の線を引けばいつ何人になるかは出る。出るがそれは答えではない。
三回消える側にいた男が聞いているのは、そういうことではなかった。
三年、要が数えてきたのはクラブの数字だった。客と売上と勝ち星。町のほうは数えていない。数えれば減っていることしか出ないと分かっていたからだった。
要はしばらく黙っていた。それから立ち上がった。
「一つ、見てもらっていいですか」
事務室の入口の上に、写真が一枚掛かっている。
去年、倉庫から出てきたものだった。額に入れてそこに掛けた。誰も下ろしていない。
十四年前の写真だった。
体育館が埋まっている。二階の通路まで人が立っている。写っている顔は粗い。誰が誰かは分からない。コートの真ん中に背番号七が立っている。顔はつぶれて見えない。
写真の下に数字が一つだけ書いてある。
五,一〇二。
「これは」
「十四年前です」
要は言った。
「この町に、五千百二人が入った日があります」
「今は」
「三千四百です」
要は言った。それ以上は言わなかった。
チェン・ウェイは、しばらくその写真を見ていた。
それから日付のところに顔を近づけた。小さく印刷された十四年前の日付だった。
「……この人たちは」
チェン・ウェイは言った。
「まだ、この町にいますか」
要は写真を見上げたまま、何も言えなかった。
窓の外で商店街のほうから荷を下ろす音がしていた。
――最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
続きが気になったら、ブックマークしていただけると嬉しいです。
ページ下の★評価も、続きを書く力になります。




