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7億円で、潰れかけのクラブを買いました ~数字しか見えない俺は、誰も数えない選手を集める~  作者: 猫の飼い主
第十二章 更地 ―― 夢の話でしょう

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第151話 俺の次は、誰ですか

体育館の裏に自動販売機が一台ある。


三年前、要が買ったときにはもう壊れていた。去年、業者を呼んで直した。ボタンが二つ光らないままだが、缶は出る。


李濬浩はその前に立っていた。


「要さん」


李濬浩は缶を一本買った。それからもう一本買った。二本目を要に渡した。


「話。あるでしょう」


要は受け取った。冷たかった。



三年前の二月だった。


要は映像を何百時間も見てこの選手を見つけた。得点は少ない。アシストも多くない。ただ外へ回されたあと、戻っていた。毎回、戻っていた。


戻る奴なら使う。要はそう言って獲った。


三年、李濬浩は戻り続けた。掲示板はこの選手のことをほとんど書かなかった。書かれるのは点を取った日だけだった。李濬浩が点を取った日は、三年でそう多くない。


「更新、しない。そうでしょう」


李濬浩が言った。


要はうなずいた。


「はい」


「理由。聞いて、いいですか」


「アジア枠を、若くします」


要は言った。


「それと、外国籍をもう一枚、登録します。その金が、いま無いので」


李濬浩は缶を開けた。


「俺の、金ですか」


「はい」


要は言った。言い換えなかった。



李濬浩はしばらく黙っていた。


それから笑った。怒った顔ではなかった。


「あなた、ちゃんと言います」


「はい」


「前のクラブ、言わない。紙、来ました。……漢字、いっぱい」


李濬浩は缶を一口飲んだ。


「読みました。分からない。誰の金か、書いてない」


要は何も言わなかった。


「自分、いくらか。分からないで、出る」


李濬浩はそこで言葉を探した。


「……あれ、きついです」


その一言のためにこの選手が何秒か黙ったことを、要は見ていた。


「俺の次は、誰ですか」


要は答えた。


「まだ、決まっていません。台湾の選手を、一人見ています」


「守れますか」


「守れます」


「戻りますか」


要はそこで少し間を置いた。


「三年、見ないと分かりません」


李濬浩がまた笑った。


「正直な人。……いいです」


「すみません」


「謝る、だめです」


李濬浩は缶の縁を指で拭いた。


「三年前。俺、日本語、読めない。契約書も、読めない」


「はい」


「でも、判、押しました」


李濬浩は言った。


「あなた、先に、数字を出した。点、じゃない。走った、距離」


李濬浩は缶を持ち替えた。


「……あれ、初めてでした」


李濬浩は体育館の壁のほうを見た。


「一年目の開幕。覚えてますか」


「はい」


「千五百人。二階、閉まってた」


「はい」


「去年の、最後。四千四百。二階、開いてた」


李濬浩は言った。


「俺、その、間に、いました」


そこでまた言葉を探した。今度は見つからなかったようだった。


「……三年。よかったです」


要はうなずいた。この選手が言おうとしたことは、その日本語の中には無かった。だが要には分かった。千五百と四千四百のあいだを走ったのは、この男だった。



二人はしばらく黙っていた。


夕方の風が駐車場の砂を少し動かしていた。


「ひとつ、頼んでいいですか」


李濬浩は言った。


「席の話です」


要は顔を上げた。


去年この選手は月五百円の札を一枚出していた。いちばん小さい札だった。屋号の無い名前だけの札だった。店を持たない人の札は浜口が断ってきたが、選手に頼まれたこの一枚だけは掛けた。掛かっている場所は二階の通路に近い二枚目の板の端だった。札は出した順に掛ける。それが鍬形の決めたルールで、要は一度も動かしていない。


李濬浩の札の隣が、三年あの子の席だった。


陸という名前だった。


「あの子。俺の名前、消えたら。……来なく、なりますか」


「……」


「俺、あの子と、喋ってない。一回も」


李濬浩は言った。


「日本語、下手だから。……試合の前。手、上げる。それだけ」


李濬浩は片手を少しだけ上げてみせた。肩より低い、小さな上げ方だった。


「三年、それだけです」


要は缶を持ったまま何も言わなかった。


「札、残せませんか」


李濬浩は言った。


「金、俺が払います。一年、六千円。……次のクラブでも、払えます」


(……切った男に金を出させるのか)


要の側から更新しないと決めたのは、この選手が初めてだった。


「協賛は、続けられます。札も残します」


李濬浩は缶を持った手を下ろした。


「ただ、あなたがここで走ったことを、札とは別に残したいんです」


要はそこで一度止めた。


「そちらは、考えさせてください」


李濬浩は缶を飲み干してゴミ箱に入れた。ボタンが二つ光らない自動販売機の横に、まだ新しいゴミ箱が置いてある。去年、要が買ったものだった。


「三年、ありがとうございました」


李濬浩は言った。三年でいちばん、つかえなかった日本語だった。


要は頭を下げた。


顔を上げたとき李濬浩はもう歩き出していた。背中はコートのときと同じだった。走って戻る男の、戻り方の背中だった。

――最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

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