第149話 箱を、建てる
シーズンは二十七勝三十三敗で終わった。
二十五クラブ中、十七位。プレーオフには二つ足りなかった。
平均観客、三千四百人。売上、九億五千万円。
去年が七億五千万だった。一年で二億。
十二億まであと二億五千万。この伸び方なら一年と少しだった。
二年前、同じ計算をしたときは十一年だった。
浜口が最後の紙を出したのは、五月の第一週だった。
「今季の決算です」
赤字だった。三月からのホーム七試合ぶんが、そのまま残っていた。
「来季の運転資金から、引きます。……ぎりぎり、回ります」
「はい」
「三月からは、要さんの持ち出しが、ゼロです」
浜口は言った。
「二月で、尽きたので」
要からクラブへの借りは、三年ぶん別の帳簿に積み上がっていた。返す当てはどこにも書いていなかった。
要はその紙を見ていた。
「浜口さん。九十四万は」
「一日だけの黒字です」
浜口は言った。
「あの計算は、試合の日のぶんだけです。試合をしない日も、費用は出ていきます」
「……はい」
「年間では、四千万の赤字」
浜口はそこで紙を一枚めくった。
「一つ、言っておきます。事業は三年、赤字です。ですが、決算の紙は少し違います」
「……」
「一年目は、大洋がクラブに貸していた金を、売るときに放棄しました。あれが、帳簿の上では利益に立ちます。一年目の決算は、黒字です」
浜口は言った。
「二年目と今年が、赤字です。……二期、続けてです」
要はその言い方を聞いていた。二期、続けて。浜口がわざわざ数えた数だった。
「三期続けると、上の紙が通りません。来年、もう一度赤字だと、三つ目です」
浜口はそれだけ言ってもう一枚の紙を出した。銀行の名前が入っていた。
「先週、向こうから、話を聞きたいと言ってきました」
「……」
「三年間、断られ続けたところです」
浜口は言った。
「一度も線を超えていないクラブと、一度でも超えたクラブは、違うそうです。……要さんが二年前に言ったことと、同じことを言われました」
「もう一つ、言われました」
浜口は言った。
「上に行くための数字は、平均で四千人と、税抜きで十二億。一年だけ出しても、審査の紙にはならないそうです。……二年、横に並べてください、と」
二年。要はその言葉を聞いていた。三千四百と九億五千万。並べる一年目にまだ届いていない。
三田村亮が事務室に来たのは、その翌週だった。
「要さん。すいません」
三田村は頭を下げた。
「話が、来てます」
「どこですか」
三田村が言った名前は、B.ONEの中位のクラブだった。潮見より上のところだった。
「あっちは、十五分くれるって言ってます」
「……そうですか」
「二分でいいって言われたのは、ここだけです」
三田村は言った。
「でも、俺、三十一になります。十五分は、たぶん、最後です」
要はしばらく黙っていた。
去年の夏、東欧の二部リーグで要が値をつけた選手を、金のあるクラブが倍で攫っていった。
要はあのときこう思った。目利きは金を持っている人間に上から真似される。
今、同じことが逆向きに起きていた。
うちが値をつけたから、値がついた。
「行ってください」
要は言った。
「一つだけ、いいですか」
三田村は鞄から紙を出した。和久井が渡した二百四十一回ぶんの記録だった。
「これ、もらっていいですか」
「どうぞ」
「向こうで、たぶん、また『守れねえ』って言われるんで」
三田村は少し笑った。
「そのときに、出します」
五月の終わりに要は湊川へ行った。
蒲生京介に呼ばれたのではなかった。要から頼んだ。
アリーナのコンコースを、平日の昼に歩いた。試合の無い日だった。
その日は企業の展示会が入っていた。人がいた。
「試合の無い日に、人がいますね」
「百三十日ぶんの、一日です」
蒲生は言った。
「あなたのところは、三十日です。残りの日にあの建物で金が動いても、あなたのクラブの売上にはならない」
帰りの電車で要は佐伯の記事を読み返した。
十四年前の写真の記事だった。
五千百二人。
四千四百十二人。
その差が六百九十人だった。今の体育館の座席で言えば、あと少しだった。だがその少しの先に、席は無い。
五千で止まる。
事務室に戻ったのは夜だった。
壁の高いところに、あの写真が掛かっている。浜口が入口の上に掛けさせた。
要は机に紙を置いた。
三年前の秋、この机で要は一行目に「客単価」と書いた。
二年前の春、「観客を、増やす」と書いた。
去年の春、「売上を、増やす」と書いた。
今年、要が書いたのは五文字だった。
箱を、建てる
金は無い。宝くじの残りは二月に尽きている。銀行は話を聞くと言ってきただけだ。
土地は大洋重工が持っている。造船所の跡だった。財前が値上がりを待っている。
行政の判こも住民の同意も図面も、何も無い。
要はその紙を引き出しに入れなかった。
机の上に置いたままにした。
窓の外で五月の海が、暗かった。三年前と同じ海だった。
痩せた鯨の看板が、その手前に立っている。
去年より、青が少しだけ多かった。
(シーズン3 売上編・完)
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