↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7億円で、潰れかけのクラブを買いました ~数字しか見えない俺は、誰も数えない選手を集める~  作者: 猫の飼い主
第二章 名簿 ―― ゼロでは、割れない

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/165

第14話 無口な男

十二月の練習場は、息が白くなるほど冷えていた。相変わらず照明は半分が切れている。生きている蛍光灯の下だけ、床がぼんやりと光っていた。


全体練習が終わって、選手たちは引き上げていく。ボールを撞く音がまばらになり、やがて消えた。


だが東悠真はコートに残っていた。


志水のようにシュートを打つわけではない。ただ黙って、床に転がったボールを一つずつ拾い、ラックに戻している。


要実は入口の暗がりから、その背中を見ていた。


(……あの男、まだ、チームの誰とも喋っていない)



移籍してひと月半。試合では相手のエースを潰し、町では名前が飛び交っている。


なのに、この男のロッカーの周りだけ、いつも静かだった。


背は高くない。肩は薄い。並んで立てば、番場の胸のあたりに頭が来る。コートの外にいると、プロには見えない男だ。


要はこの男の映像を、何十試合ぶんも見た。


見ながら、ずっと不思議だったことが一つある。


――東は、あれだけ走って、あれだけ床に身を投げるのに。一度も、味方に何かを要求しない。


パスを呼ばない。手を挙げない。怒らない。


ただ、黙って、埋めている。



「東」


黒木隼人がボールを一つ、東に放った。


「シュート、入ってねえだろ。何本か打ってから帰れ」


東は受け取った。少し迷って、ゴールへ向き直る。


放った。外れた。リングに当たった硬い音が、がらんとした空間に響いた。


黒木がリバウンドを拾って、また返す。東はもう一度打つ。また外れる。


三本目。


東はボールを持ったまま、動かなくなった。


それから、黒木へ戻した。


「……もう、いいです」


黒木の眉が寄った。


「なんでだよ」


「入らないので」


「入らねえから打つんだろうが」


東は答えなかった。ただ、また床のボールを拾いに行った。



(……ああ)


要は暗がりで静かに理解した。


この男は外すことを許されてこなかったのだ。


得点が一桁の選手がシュートを外す。それは前のチームで、たぶん、ベンチに戻される理由になった。一本外せば、次の日に出番が減る。二本外せば、名簿から消える。


だから打たなくなった。打たなければ、外さない。外さなければ、コートに残れる。


何年か。そうやって生き延びてきた男の体に染みついた癖だ。


(守備しかしなくなったんじゃない)


要は思った。


(……守備しか、させてもらえなかったのか)


要は手帳を開いた。だが、書く手が止まった。


書くべき数字がこれには無い。



体育館の床が低く軋んだ。


番場剛が、テーピングだらけの膝を引きずるようにして入ってくる。一歩ごとに右足だけ音が違う。


東が振り返った。ボールを抱えたまま、少し身構えた。


番場は東の前に立った。近くで見ると東より頭一つ大きい。その影が東を丸ごと覆っている。


「お前、うまいな」


東が瞬きした。


「……は」


「十を止めてただろ。あれ、俺には無理だ。もう脚がねえからな」


番場はそう言って、東の手からボールを取った。


そして、ろくに構えもせず、無造作にゴールへ放った。


入った。ネットが、ぱす、と鳴った。


「打て」


「……でも」


「外していい」


番場はもう一度ボールを拾って、東の腹に押しつけた。


「ここじゃ、外しても誰も怒らねえよ」



東はしばらくボールを見ていた。


自分の手のなかにある、その一つを。


それから、ゆっくりとゴールへ向き直った。


打った。外れた。


誰も、何も言わなかった。


東はリバウンドを自分で拾って、また打った。また外れた。


それでも誰も何も言わなかった。番場は腕を組んで、黒木は壁にもたれて、ただ見ている。


三本目。外れた。


四本目が入った。


「よし」


黒木がぼそりと言った。それだけだった。


東はうつむいて、小さくうなずいた。その耳が寒さのせいではなく赤くなっていた。


番場が体の向きを変えた。もう帰るつもりらしい。膝をかばって、ゆっくりと歩き出す。


その背中に。


「……あの」


番場が止まった。黒木も振り返った。


東がボールを抱えたまま立っていた。


移籍してひと月半で、この男が自分から口を開いたのを、要は初めて見た。


「もう一本、いいですか」


番場は振り返らなかった。片手だけ、軽く上げた。


「好きにしろ」



要は暗がりから、それを見ていた。


自分がこの男に払ったのは、端金だった。誰も値付けしなかったからだ。


数字はたしかに嘘をつかなかった。この男がいる時間だけ、失点は減る。それを見抜いたことを、要は間違いだとは思っていない。


だが。


この男に本当に足りなかったのは、金でも、物差しでもなかったらしい。


(……俺が数えられるのは、数字だけだ)


そこから先は、あの練習場にいる男たちの仕事だ。


要は手帳を閉じて、静かに出ていった。


誰にも気づかれずに。

――最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

続きが気になったら、ブックマークしていただけると嬉しいです。

ページ下の★評価も、続きを書く力になります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。