↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7億円で、潰れかけのクラブを買いました ~数字しか見えない俺は、誰も数えない選手を集める~  作者: 猫の飼い主
第二章 名簿 ―― ゼロでは、割れない

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/165

第13話 アシストにならなかったパス

十二月に入って、体育館の底冷えはいっそう厳しくなった。その日の練習が終わったあと、要実は事務室で一人、電卓を叩いていた。


窓の外はもう暗い。暖房の効きの悪い部屋で、指先だけが冷えていく。


ノックの音がした。


「……いいですか」


黒木隼人だった。まだ練習着のまま、首にタオルをかけている。


(二十九歳。このチームの司令塔で――たぶん、いちばん報われていない男だ)


「どうぞ」


黒木はドアのところに立ったまま、中に入ってこなかった。何か言いかけて、やめる。それを二度繰り返した。


やがて、意を決したように口を開いた。


「……次は、誰ですか」


「次?」


「切る選手です」



要は電卓から顔を上げた。


黒木は続けた。淡々と。だがその声は少し硬かった。


「あんた、番場さんに会いに行きましたよね。あの練習場に、二度」


「……ええ」


「あの人、そのあと、しばらく誰とも口をきかなかった」


黒木の目は動かない。


「何を話したかは、聞いてません。番場さんも言わない。……でも、みんな察しました。ああいうのは、隠せない」


要は黙っていた。


「そのあと、あんたは番場さんを残して、誰も知らない選手を獲った。……誰も、あんたが何を考えてるのか分からない。分からないから、みんな怖がってる」


黒木はまっすぐ要を見た。


「ロッカーをもたせてるのは、俺です。だから聞きに来ました」


「次は、誰を切るんですか」



要はしばらく黙っていた。それから手帳を開いた。だが、見せはしなかった。


「黒木さん。去年のアシスト、リーグ平均以下ですよね」


黒木の眉がわずかに動いた。


「……それが、答えですか」


「いえ」


「知ってますよ、そんなことは」


その声に、乾いたものが混じった。


八年、言われ続けてきた言葉があるのだろう。堅実だが物足りない。手堅いが地味だ。


誰も文句は言わない。誰も、名前を呼ばない。


「もう一つ、数えたものがあります」


要は言った。


「黒木さんがパスを出したあと、味方がシュートを打った回数です」


黒木が黙った。


「アシストは、味方が決めないとつきません。打っただけじゃ、何も残らない」


要は続けた。


「七百本を超えてました。去年、黒木さんのパスから、味方が放ったシュートの数です。……リーグで、三番目だ」


事務室が静かになった。


「パスは、通ってるんですよ。決まってないだけだ」


要は言った。


「……黒木さんの数字は、味方の決定率に人質に取られてる」


黒木は動かなかった。タオルを握った手に力が入っているのが、離れていても分かった。


「だから、決める選手を連れてきます。何年かかるか分かりませんが、必ず」


要は続けた。


「そのとき、黒木さんの数字は勝手に上がります。……黒木さんは、何も変えなくていい」



長い沈黙があった。


やがて黒木は、ふ、と息を吐いた。笑ったのかもしれない。


「……あんた」


「はい」


「番場さんにも、そういう話をしたんですか」


要は答えなかった。黒木はその沈黙で、十分だという顔をした。


「……なるほどな」


ドアの枠から、体を起こす。それから、思い出したように言った。


「一つ、訂正します」


「はい」


「みんなが怖がってる、って言いましたが」


黒木は少しだけ、口の端を上げた。


「……怖がってたのは、俺だけでした」


そして、最後に聞いた。


「俺は、いつまでここにいられますか」


要は少し考えてから答えた。


「黒木さんが、パスを出し続けるかぎり」


黒木はしばらく、その言葉を噛んでいるようだった。それから、何も言わずに出ていった。



ドアが閉まる。


要は電卓に戻った。だがその手はしばらく動かなかった。


――誰も、あんたが何を考えてるのか分からない。


(……そのとおりだ)


そして、それでいいと要は思っていた。分かってもらう必要はない。数字が出れば、勝手に分かる。


……ただ。


要は手帳を開き、黒木の名前の横に、小さく数字を書き足した。アシストにならなかった、パスの数を。



その夜。黒木隼人は誰もいなくなった体育館で、壁に向かってパスを放っていた。


一人で。何百回も。壁は何も返さない。


八年、誰にも数えられなかった一投を。今日から、数えている人間がいる。


それだけのことだった。それだけのことが、この男には、初めてだった。



――翌日の練習から、黒木は変わった。


と言っても、誰にも分からない変わり方だ。ただ一つ。


それまで誰も回さなかった男に、黒木がボールを預け始めた。


東悠真。まだ、チームの誰とも、まともに口をきいていない男に。

――最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

続きが気になったら、ブックマークしていただけると嬉しいです。

ページ下の★評価も、続きを書く力になります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。