第133話 東さんが、いるので
撤退を決めた週の終わりに、佐伯涼真が鞄からノートパソコンを出した。
「関係のない話を、一つ、していいですか」
画面に動画が一本、開いていた。
一分だった。
試合後のコートだった。
子どもが十人ほど並んでいる。一ノ瀬樹が、片手を上げて、下ろす。子どもが走り出す。いちばん後ろの小さい子が転ぶ。東悠真が、走るのをやめて、そこに戻る。
その子が立ち上がって、また走り出す。東は、その子の半歩後ろを、ゆっくり走っている。
ゴールの下で、番場剛が両手を広げて待っている。
音は入っていない。字幕も無い。
「一月の頭に上げました。有料のほうじゃありません。無料の、短いやつです」
「……再生は」
「四万を、超えました」
要は画面を見ていた。
有料会員は二百十四人だった。その隣で、音の無い一分が、四万回見られていた。千五百万かけた試合の配信が、二百十四人。佐伯が、たぶん一人で撮った一分が、四万回。
「問い合わせも来てます。三十件くらい」
「取材ですか」
「いえ」
佐伯は画面のほうを見た。
「どこで習えますか、って」
画面の中で、いちばん小さい子が、まだ走っていた。
「佐伯さん」
要は聞いた。
「なぜ、これは見られるんですか」
佐伯は少し考えてから答えた。
「……僕が撮ってるのは、試合じゃないんです」
「はい」
「行きたくなるものを、撮ってます」
佐伯は、三十件の一覧を出した。ほとんどが、この町か隣の市の親からだった。
いちばん下に一件だけ、違うものがあった。
沖縄の高校の、三年生だった。
「どこで習えますか、じゃないんです」
佐伯は言った。
「戻った選手のところで、守備を教わりたい、と」
名前を、佐伯は読み上げた。
比嘉尚。一月のドラフトで、名前を呼ばれなかった選手だった。
沖縄の強豪校で、三年間、得点を取り続けた選手だった。三年の平均が二十一点。それでも、二巡目までに名前が呼ばれなかった。二十一点取る選手が呼ばれなかった。その翌日に、この一通が来ていた。
理由ははっきりしていた。
「守備です」
和久井蒼が資料を出した。名前を渡してから二日だった。
「この選手が出ている時間帯、相手の得点が、平均で八点上がります。取る点より、取られる点のほうが多い試合が、去年、七つあります」
「……取れるのに、勝てないということですか」
「そうです。上のクラブほど、そこを見ます」
取れる選手は目立つ。目立つから、上のクラブが先に見る。そして、守備で消える。二十一点は、上のクラブの資料の中で、八点に打ち消されていた。
「一ノ瀬さんのときと、型が違います」
和久井は言った。
「一ノ瀬さんは、誰も教えなかった選手でした。部員七人の高校で、三年間、四十分出続けた。比嘉さんは、逆です」
「逆」
「強豪校です。毎日、教わってます。ただ、守備だけ、教わっていません」
和久井は資料をめくった。
「点を取る係として、三年間、大事に使われた選手です」
大事に使われた、という言い方を和久井はした。大事に使うことと、一つのことしかさせないことは、この人の資料の中で、同じ形をしていた。幸田と少し似ていた。
去年までなら、この名前は要の紙に載らなかった。要が見ていたのは、誰も見ない選手だった。二十一点取る選手を、要は見ない。見ないところへ、向こうから一通が来ていた。
要はその資料を郷田に渡した。
郷田は、映像を三十分見て、こう言った。
「守れねえな」
「はい」
「だが、守り方を知らねえだけだ。怠けてるわけじゃねえ。足は動いてる。行き先が、分かってねえだけだ」
郷田は映像を止めた。止めた場面で、比嘉の足は、動いていた。動いて、間違った方向へ行こうとしていた。
「東に、見せろ」
東悠真はその映像を二回見た。
二回目のあとに一言だけ言った。
「……この子、誰も、何も言ってないんですね」
誰も、何も言っていない。足が動いているのに、行き先を、誰も教えていない。東は、それを二回見て、言い当てた。十年、点を取れと言われ続けた男には、教わらなかったものが、映像越しにも見えた。
面談は二月の初めだった。
比嘉は、要の顔より先に、体育館の中を見ていた。古い体育館だった。半分だけ新しい床。壁の札。
「なんで、うちなんですか」
要が聞くと、比嘉は少し迷ってから答えた。
「東さんが、いるので」
「……」
「守備で入る場所が分からないって、去年、監督に言ったら、そんなもんは慣れだって言われました。それで、動画を探してて、あれを見ました」
比嘉は言った。
「転んだ子のところに、戻った人です。……試合の映像も、探して見ました。この人、誰にも褒められてないのに、ずっと同じことしてます」
誰にも褒められない場所で、同じことをし続ける。比嘉はそれを、音の無い一分の中に見つけていた。二十一点取る選手が、探して見つけたのが、点を取らない選手だった。
その日の夕方、和久井が数字を持ってきた。
「今年、うちに問い合わせをしてきた高校生の数です」
紙には四つの年が並んでいた。
去年の四倍だった。
「一ノ瀬さんの二年目です」
和久井は言った。
「金は、一円も動いてません」
要はその紙を見ていた。
千五百万は、町の外に客を作らなかった。町の外から来たのは、金を払う客ではなく、金を払わない一分を見た十八の選手だった。
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