第128話 五千で、止まる
年が明けて、要実は一枚の紙を机に広げていた。
書いてあるのは、三つの数字だけだった。
五千。四千百。三千三百。
ハコの席が五千。
損益分岐が四千百。和久井の給料と、あの人が読むデータの契約と、倉庫の分で、暮れに八十上がった。
今の実績が三千三百。
三つの数字は下から順に追いかけていた。三千三百が四千百を追う。追いついてもその先に五千がある。そして、五千で、止まる。
「席は、増えません」
要は浜口に言った。
「三千三百が四千百になっても、その先は、五千で止まります。……五千まで行っても、うちの売上は、十二億に届きません」
「はい」
浜口はそれは前から知っていた。知っていて、言わずにいた。天井の話は、まだ床にも届いていないうちは、する必要がなかった。
「昇格の基準は、この体育館では、どう頑張っても、出ない数字です」
要が次に出した紙には、別のことが書いてあった。
配信、と一行目にあった。
「席には、上限があります。画面には、ありません」
要は言った。
「潮見市の人口は、六万八千人です。この町の中で客を取り合っている限り、四千が天井です。……町の外に、客を作ります」
町の外。要が、その言葉を使ったのは、初めてだった。三年、要は町の中だけを見てきた。屋台も、子どもも、札も、全部、この町の中の話だった。
浜口は数字を見た。
「月千五百円で、二千人。年で三千六百万」
「はい」
「初期に、いくらかかりますか」
「千五百万です。カメラ三台と、回線と、実況の外注。……それと、リーグに払う許諾料が、年に三百万」
「許諾料」
「試合の映像は、リーグのものです。うちの試合でも、うちが勝手には流せません。うちの会員に、うちのカメラで流すぶんだけ、許諾を買います」
浜口は少し考えていた。
「リーグの配信と、何が違うんですか」
「実況が、この町の人間です。練習と、選手の話が付きます」
浜口はそれ以上聞かなかった。聞かなかったことを、要はそのときは気にしなかった。
浜口は電卓を叩いた。叩いてから、こう言った。
「一年目は、赤字ですね。二年目から、黒です」
「二年目から、黒です」
浜口はそれ以上言わなかった。二年目の話をこの人はしなかった。要の私財が二年目までもたないことを、浜口は知っていた。
和久井はこう言った。
「私は、判断できません。新規事業には、過去のデータがありません」
「見込みも、出せませんか」
「出せます。でも、それは私が作った数字です。……信用しないでください」
自分で作った数字を信用するな、と和久井は言った。作りたい結論を先に決めれば、どんな見込みも作れる。それを、この人はいちばん恐れていた。
蔵本は少し明るい顔で言った。
「売れると思いますよ。うちの試合、面白いですから」
要はその言葉をそのまま受け取った。この町をいちばん知っている男が、面白い、と言った。要はそれを数字の代わりに受け取った。
佐伯涼真だけが何も言わなかった。
会議の終わりに一度、口を開きかけた。開きかけて、閉じた。この町に、記事で人を呼んできた男が、その会議で一度だけ、何かを言いかけて、やめた。
要はそれに気づかなかった。
会議が終わって、人が出ていってから、要はもう一枚、紙を出した。
「ハーフタイムの十五分です。冠を、売ります」
浜口が手を止めた。
「……あそこは、町の枠ですよ」
「一試合十万で売れます。残りのホームで百万。来季から通年にすれば、三百万です」
「三百万。……蔵本さんが一年で積んだ協賛の十分の一です」
「はい。でも、席に関係なく入る金です」
浜口は電卓を叩かなかった。叩くまでもない数字だった。
「踊っている人たちは、どうしますか」
「冠の付かない日を、残します」
要は言った。
浜口はそれ以上聞かなかった。残すと言った日がいつなのかは、聞かなかった。
その夜、要は事務室に残っていた。
引き出しに、浜口の紙が入っている。私財が尽きる月が、書いてある紙だった。三月、とある。
暮れに、蔵本が一ヶ月延ばした。それでも、三月だった。
六十試合のうち、二十四が終わっていた。残りは、三十六だった。
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