第125話 そこにいてくれ
崖の前で三人が黙っていた廊下に、黒木隼人が通りかかった。
「幸田」
黒木は、荷物を肩にかけたまま、立ち止まっていた。
「お前、去年、俺が何本、お前に出したか知ってるか」
「……いえ」
「十四本だ」
黒木は言った。
「一年で、十四本しか出してねえ。お前がどこにいるか、分かんねえからだ」
幸田が黒木のほうを向いた。
「俺は、走ってる途中で、味方の場所を全部見てる。見てるけど、お前だけは毎回、違うところにいる。ゴール下にいる日と、トップにいる日がある。だから、探してから出すことになる」
黒木は荷物を持ち直した。
「探してから出したパスは、遅い。遅いパスは、通らねえ」
黒木は幸田の顔を見た。
「そこにいてくれ。いてくれたら、俺は見ないで出せる」
幸田は何も言わなかった。
黒木は、それだけ言って、行った。振り返らなかった。黒木は長く喋る男ではなかった。十四本、という数字を、この男は覚えていた。出せなかった本数を覚えていた。
その夜、幸田はコーチ室ではなく窓の無い部屋のドアを叩いた。
和久井は画面から顔を上げた。
「……あの図、もう一回、見せてもらえますか」
和久井は何も言わずに、コートの図を出した。五つに割ったものと、右下だけを残したもの。それから、聞かれていない紙を一枚足した。四年ぶんの、コーナーからの本数だった。七十本。七十二本。六十八本。七十一本。
「四年、同じ本数です」
和久井は言った。それだけだった。多いとも少ないとも言わなかった。
幸田はその四つの数字をしばらく見ていた。四年、誰にも数えられなかった本数だった。自分でも数えていなかった。
「……ありがとうございます」
幸田は図を返して、出ていった。
そのまま、幸田は体育館に残った。
宮里が管理表に書き込んだ本数は、コーナーからの三点が、二百十本だった。
二百十本のうち、何本入ったかは、宮里の表には無かった。宮里は、入った数ではなく、打った数を書いた。打った数は幸田が決められることだった。入った数は幸田が決められることではなかった。決められることだけを、宮里は数えていた。
幸田は、コーナーの同じ場所から打ち続けた。走り込みたくなる足を、その一点に、縫い止めるようにして。
翌日も、同じくらい残った。
四日目に、幸田は郷田のところへ行って、「やります」と言った。
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