第124話 なんでもできるから
幸田蓮は二十六歳だった。
在籍四年目。今季の出場は一試合およそ十六分。得点六・一、リバウンド三・〇、アシスト一・四。
シュートの成功率は三割八分。三点は三割ちょうど。
在/不在の失点差はほぼゼロだった。
どの数字を見ても、何も出てこない選手だった。良くもなく、悪くもない。要の紙が二年、素通りしてきた種類の数字だった。
「これが、幸田さんの今季の全シュートです」
和久井がコートの図を出した。
黒い点が散らばっている。ゴール下。ペイントの中。四十五度。トップ。コーナー。図のどこにも点があった。
「散ってますね」
「はい。散りすぎです」
和久井はその図を五つに割った。線を五本引いた。
「幸田さんは、一試合で平均五種類の仕事をしてます。ゴール下の当たり、外の合わせ、ドライブ、ポスト、コーナー。日によって、順番も、比率も違います」
「穴埋めですね」
「そうです。器用なので、そこが空いたら、そこに入れられます」
和久井は、五つのうちのいちばん右下を残して、他を消した。
コーナーだった。
「ここだけ、四割四分です」
要はその数字を見た。
「……三点で、ですか」
「三点で、です。リーグの上から十番以内に入ります」
「本数は」
「一試合、一・二本」
和久井は言った。
「年間で、七十本ちょっとです。だから、誰も気づきません」
七十本。一年で七十本。その中に、四割四分が埋まっていた。少なすぎて、平均に埋もれていた。
要はコートの図をしばらく見ていた。
「三割八分と、四割四分の差が、埋もれてるということですか」
「違います」
和久井ははっきりと否定した。
「埋もれてるのは、本数です。四割四分を、一・二本しか打ってない。残りの四本を、それより確率の低い場所で打ってます」
「……」
「幸田さんは、下手なんじゃありません。上手いから、全部やらされてるんです」
和久井は資料をもう一枚めくった。幸田の経歴だった。
高校ではセンター。大学の一年でフォワード。三年でガード。プロに入ってからも、毎年、空いたところに入れられている。
「どこかで一つ、決めてもらえていたら、この人は違ったかもしれません」
和久井は言った。
「でも、そのたびに、"お前はなんでもできるから"と言われたはずです」
なんでもできるから。それは、褒め言葉の形をした、指示だった。どこでもいい、と言われ続けた選手は、どこにも自分の場所を持てなかった。
要は自分の紙を思い出した。
二年、要も幸田の数字を見ていた。良くもなく、悪くもない。要はその数字に線を引かなかった。引く理由が無かったからだ。
だが、線を引かなかったのは、要もまた、"なんでもできる"で、片付けていたからだった。器用な選手は、器用、の一言で、要の紙の上を素通りしていく。和久井は、その一言を五つに割って、いちばん右下だけを残した。
要はその言葉を聞いていた。
この二年半、要が拾ってきた選手は、みんな手段を取り上げられていた。番場も、東も、黒木も、李濬浩も、一ノ瀬も。一つのことしか、させてもらえなかった。
幸田は逆だった。
取り上げられたのではなく、増やされすぎていた。
一つを取り上げられた選手と、全部を渡された選手。行き着く先は同じだった。自分の場所が無い。
「郷田さんに、渡します」
要は言った。
「幸田さんには、私から言いますか」
和久井が聞いた。
要は、少し考えて、首を振った。
「郷田さんです。見つけたのは和久井さんですが、使い方を決めるのは、郷田さんなので」
要は資料を揃えた。
「一つだけ、僕が持ちます。外れたら、来年の幸田さんの契約は、僕の判断です」
郷田学は、その資料を二日持っていた。
すぐには動かなかった。二日、机に広げて、映像と並べて見ていた。三日目の練習のあと、廊下で幸田蓮を呼び止めた。和久井が、コートの図を持ってその横に立っていた。
五つに割った図と、コーナーだけを残した図を、郷田は順番に見せた。
「数えたのは、こいつだ」
郷田は和久井を顎で指した。
「コーナーだ」
郷田は言った。
「そこから出るな。他は、打つな」
幸田は最後まで黙って見ていた。汗を拭く手も止めていた。
「……つまり、コーナーで待ってろ、ってことですよね」
「そうだ」
幸田はタオルで首を拭いた。手が途中で止まった。
「俺、それやると」
幸田は言った。
「それしかできない選手になります」
廊下の窓の外はもう暗かった。ガラスに、幸田の顔が薄く映っていた。
「二十六です、俺」
幸田は言った。
「あと何年やれるか、分かりません。今、いろいろやれるから、拾ってもらえてるんです。ゴール下が足りない日は、ゴール下に入る。ガードが足りない日は、外に出る。だから、名簿に残ってるんだと思ってました」
「……」
「一個に絞って、それが効かなくなったら。……俺、そこで終わりです」
なんでもできることが、この選手の生き延びる手段だった。それを一つに絞れと言われている。手段を減らせ、と言われている。幸田にはそれが崖に見えていた。
郷田はすぐには答えなかった。和久井も答えなかった。数字を出した人間と、使い方を決めた人間が、その崖の前で、二人とも黙っていた。
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