第122話 八年、なにやってたんだろうな
和久井が来て、四日目だった。
コーチ室に郷田学がいた。机に、いつもの紙が広げてある。手書きの表だった。
要が扉を開けると、和久井がその隣に立っていた。二人とも要のほうをすぐには見なかった。
「……何をしてる」
要が聞いたのではない。郷田が和久井に聞いていた。
「郷田さんの表を、見せていただいてました」
和久井は言った。
「六十試合ぶんの、相手の外国籍の枚数です。これ、手で数えられたんですよね」
「他にやり方がねえだろ」
「ありました」
和久井は言った。言いにくそうにはしていなかった。事実を、事実として言う言い方だった。
「公開されている出場記録から、十五分で出ます」
郷田の手が止まった。
要は扉のところで動けなかった。この場に、入っていいのか、分からなかった。
「……十五分か」
郷田は言った。
「はい」
「おれは、あれ、二年かかってる」
郷田は紙を見た。日付が六十行と、左右の数字。二年ぶんだから、百二十行あった。爪で引いた線がそこかしこにあった。
「その前もだ。八年、こういうもんを、ずっと書いてた」
郷田は椅子の背に体を預けた。
「……八年、なにやってたんだろうな、おれは」
和久井はすぐには答えなかった。
紙を一枚、手に取って、しばらく見ていた。字を読んでいるのではなかった。書き方を見ていた。
「郷田さん。私は、十五分で出せます。でも、何を数えればいいかは、出せません」
「……」
「枚数を数えようと思った人が、先にいたから、私はそこを計算するんです。二十五クラブのフロントで、これを二年、手で数えてた人は、たぶん、一人です」
和久井は紙を机に戻した。丁寧に元の位置に戻した。
「八年ぶん、何を数えるべきかを知ってる人が、ここにいます。私は、それを速くするだけです」
郷田は何も言わなかった。
しばらくして、机の引き出しを開けた。
中から、束を出した。ゴムで留めてある。厚さが五センチほどあった。ゴムが古くて、伸びていた。
「……全部、そこにある」
郷田は言った。
「持ってけ」
夕方、狭い部屋の電気が、遅くまで点いていた。
要が覗くと、和久井は、郷田の紙の束を一枚ずつ広げて、写真を撮っていた。一枚ずつ、皺を伸ばして、撮っていた。
「読めますか」
「読めます」
和久井は言った。
「字は綺麗じゃないですけど、書き方が、毎年同じです。同じ人が、同じ順番で、同じことを気にしてます。……こういうデータが、いちばん、使えるんです」
八年、同じ順番で、同じことを気にする。それは、和久井にとって、いちばん価値のある種類の記録だった。揃った字よりも、揃った気にし方のほうを、この人は信じていた。
要は事務室に戻った。
自分の机の紙を開いた。要が二年半、手で書いてきたものだった。
同じことを、この人は公開データから十五分で出す。
そのことを、要は誰にも言わなかった。言葉にすると、何かが確定してしまう気がした。要のやり方が、遅い、ということが。
九時前に、和久井が事務室に来た。
「要さん。一つ、いいですか」
「はい」
「郷田さんの八年分を入れて、走らせました。まだ粗いですが」
和久井は紙を一枚、置いた。
「うちの選手で、一人、変な数字が出ます。幸田蓮さんです」
要は、その名前を見た。
去年も今年も、要の紙に一度も出てきていない名前だった。二年半、拾い続けて、要が一度も線を引かなかった名前だった。
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