第117話 そろそろ、限界です
町が沸いた、その翌週だった。
札が大きくなり、入口の正面に一万円の段が並び、山根鉄工の名前が入った。町は機嫌がよかった。壁の話は鍬形の一言で収まっていた。出した順に掛ける。それで町は収まっていた。
その週のホームで潮見は負けた。
三点差だった。
十九試合で八勝十一敗。
負け方は去年とは違った。最後まで競った。残り一分で二点差まで詰めた。詰めてから、届かなかった。去年なら、二十点離されて終わっていた試合だった。
要実は最前列でそれを見ていた。
見ていたのは点差ではなかった。
東悠真が二人ぶん走っていた。
第四クォーターの残り五分から。マーカス・レイが、十八分に達して、ベンチに下がってからだった。
ゴール下に、ダリオ・サントスが一人になる。相手は外国籍の二枚をそこにぶつける。外が空く。
その外へ東が出る。中が抜かれれば、東が戻る。
去年のあの形だった。
要が二年かけて解消したはずの形が、レイが下がった瞬間に、戻ってきていた。レイの十八分の外側に、去年がまだ残っていた。
試合後、宮里澪が事務室に来た。
紙は一枚だった。
「東さんの走行距離です」
去年の同じ時期と並べてあった。
「合計は、去年より減ってます。レイが入ったぶん、確かに減りました」
宮里はそこで一度止めた。
「でも、第四クォーターの後半だけ、去年より、増えてます」
要はその数字を見た。
「レイが下がったあとの五分です。そこに、去年ぶんが、全部寄ってます」
「……」
「私は、レイの膝を守っています。その結果、東さんの膝に、寄っています」
宮里は言った。
「そろそろ、限界です」
膝を一つ守れば、別の膝に寄る。宮里の管理は、コートの上で、そういう形になっていた。守る対象を一つ増やすたびに、寄せる先が一つ要る。その先がもう東しかいなかった。
宮里は、トレーナーの資格のほかに、理学療法士の免許を持っている。治す側の免許を、治さないで済むために使っていた。医師は、市民病院の整形外科医が一人、専属という形で引き受けていた。ホームの試合の日に、ベンチの後ろに座る。遠征には来ない。壊れる前に止める人間は、この会社に一人しかいなかった。
「私が言えるのは、止めるところまでです」
宮里は言った。
「治すのと、戻すのを決めるのは、先生です。使うのを決めるのは、郷田さんです。……私は、数字を出して、止めると言うだけです」
要はその紙をしばらく見ていた。
「三枚目の外国籍は、獲れません」
要は言った。
「登録は、あと一枚空いています。金が、ありません」
「はい」
「東を休ませると、その五分を誰かが埋めることになります。……誰が埋めますか」
宮里は答えなかった。それは宮里の仕事ではなかった。誰かを見つけるのは要の仕事だった。
その夜、要は一人で選手の記録を見ていた。
十四人ぶんの数字が、机の上に並んでいた。
要が二年半、一人でやってきたやり方だった。映像を見て、記録用紙を手で数えて、一人ずつ拾う。
だが、その机の上には、二年半で拾った選手がもう全部載っていた。
番場。東。黒木。李濬浩。一ノ瀬。サントス。レイ。宇野。
拾い終わっていた。
次の一枚が要には見えなかった。
映像はまだ何百時間もあった。記録用紙も積んであった。だが、そこから出てくる名前は、もう全部机の上にいた。要のやり方の底が見えていた。
二年半前、要はたった一人だった。映像と、記録用紙と、宝くじの金。それだけで、番場を拾い、東を拾った。一人でできることのいちばん遠くまで、要は来ていた。
そして、いちばん遠くで、底に着いた。
次の一枚は、要の目の届く場所には、もういなかった。要が見ていない場所に、いるのかもしれなかった。だが要には、見ていない場所を見る方法が、無かった。自分のやり方の外側は、自分のやり方では、見えない。
浜口が帰り際に事務室を覗いた。
「まだいらしたんですか」
「はい」
「協賛、六百十で、止まりました」
浜口は言った。嬉しそうだった。
「三百二十七からです。……いい週でした」
要はうなずいた。
「浜口さん」
「はい」
「今週、負けました」
「……はい」
「壁が大きくなって、線が下がって、負けました」
要は言った。
「事業のほうだけ、進みます」
浜口は、何も言わなかった。事業と勝ち星は、別のところで動いていた。片方が進んで、片方が止まる。その週は、そういう週だった。
週が明けて、事務室に、差出人に会社名の無い封筒が届いた。
――最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
続きが気になったら、ブックマークしていただけると嬉しいです。
ページ下の★評価も、続きを書く力になります。




