第114話 線は、動かせます
十一月の半ばに、浜口が数字をまとめた。
「協賛です」
浜口は二枚の紙を並べた。去年と今年だった。
「件数、三百二十七から、六百十。平均の額が、月二千九百円から、四千円あまり」
要はその二つの数字を見た。件数は目標の六百五十に届いていない。それでも、件数の伸びだけでは、この額にならなかった。段を作った分だった。蔵本の三段の紙の分だった。
「増えたぶんの半分より多くは、蔵本さんが回った先ではありません。壁と、山根さんの札を見て、向こうから言ってきた店です」
「それと、店じゃない方からも、来てます」
浜口は言った。
「札を出したいが店が無い、と。個人の方です。今は、お断りしてます。……一人、こう言われました。店がない人間は、どこへ払えばいいんですか、と」
要はその言葉を聞いていた。答えは持っていなかった。札は店の名前を掛けるものだった。名前の無い金の置き場所を、要はまだ作っていなかった。
「年間で、およそ三千万です。去年が、千二百万でした」
「増えた千八百万は、全部残るんですか」
要が聞くと浜口は少し笑った。
「残ります。蔵本さんが、領収書と更新を、先に片付けたので。……去年の三百二十七件は、正直、事務で目減りしてました。今年は、目減りがありません」
浜口は電卓を叩いた。それから、三枚目の紙を出した。
「要さん。ここからが、本題です」
「はい」
「増えた千八百万を、ホームの三十試合で割ります。一試合、六十万円です」
浜口はその下にもう一つ数字を書いた。
「うちの客は、一人あたり、チケットと屋台で三千三百円ほど使います。……六十万円は、客百八十人ぶんです」
要はその数字を見ていた。
「協賛は、客が入らなくても、入る金です。だから」
浜口は言った。
「超えるべき線のほうが、百八十人、下がります」
四千二百が四千二十になった。
要はしばらくその紙を見ていた。線は動かないものだと思っていた。四千二百は、埋めるべき数で、こちらから近づくものだった。それが、向こうから、百八十、下がってきた。
「浜口さん」
「はい」
「今まで、僕は線に近づく話しかしてませんでした」
「そうです」
浜口は少し笑った。
「線は、動かせます。動かし方が、集客と違うだけです。……去年の俺なら、これ、説明できませんでした」
去年、浜口は宮里の費用を渋った男だった。書けない金を、書けないと言った男だった。その男が、書けない金が線を下げる、と、今、説明していた。
浜口は四枚目の紙を出した。要がいちばん見たくないやつだった。
「要さんの持ち出しです。差が千から、八百二十に。……尽きる月が、二月から、三月になりました」
「一ヶ月」
「一ヶ月です」
浜口は言った。
「蔵本さんが、半月で、要さんの寿命を一ヶ月延ばしました」
要はその言い方を聞いていた。寿命、と浜口は言った。要の私財の残りを、浜口はいつも、月で数えていた。その月が一つ増えた。
売上の見込みも書き換わっていた。
去年、七億五千万。今季の見込みが、この時点で、初めて八億を超えていた。
十二億にはまだ遠い。それでも、去年まで、この数字は動かないものだと思われていた。動かないと思われていた数字が、二つ、動いていた。線と売上だった。
要はその二つを机の上に並べた。
二年半前、要が動かせたのは、客単価だけだった。屋台で、一人あたりの金を少し増やした。去年は観客だった。子どもを呼んで親を呼んだ。今年、蔵本が動かしたのは、客のいない金だった。試合に来ない人の札だった。
動かせる数字が、一年に一つずつ増えていた。
二年半前、要は一人だった。一人で動かせるのは、屋台の一つだけだった。今は、机が五つに増えて、それぞれの机が、別の数字を動かしていた。宮里が膝を守り、佐伯が記事を書き、蔵本が札を動かしていた。
その日の夕方、蔵本は事務室にいなかった。
要が窓から見ると、駐車場に車が停まっていた。中で、蔵本が助手席の書類を整理している。エンジンはかかっていない。
一日、十七軒を回った日の終わりだった。蔵本は、明日の順番を車の中で組んでいた。
要は、降りていかなかった。
百八十人ぶんの線を下げたのが、あの車の中の男だということを、蔵本自身はまだ知らなかった。浜口が、それを紙で見せるのは、もう少し先だった。
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