第113話 勝ってんのか
十月の終わりから、四つ続けて負けた。
十四試合で六勝八敗。開幕の勢いは消えていた。三勝三敗から、六勝八敗へ。増えたのは負けのほうだった。
蔵本誠はその週も回っていた。
三段の紙を持って、一日十七軒。商店街を抜けて、今は工場のほうに入っている。負けが込んでいることは、蔵本も知っていた。知っていて、回っていた。
四軒目の、金属加工の会社だった。
社長は、話を最後まで聞いて、五千円の欄に丸をつけた。それから、判子を手に取って、こう言った。
「兄ちゃん」
「はい」
「金は、出すけどよ」
社長は判子を戻した。押しかけて、戻した。
「……勝ってんのか、あそこ」
蔵本は答えられなかった。
出す、と言われた金だった。判子ももう手にあった。それでも、この一言が出た。金を出す理由と、勝っているかどうかは、この社長の中でつながっていた。
「四つ、負けてます」
そう言うのが精一杯だった。嘘はつけなかった。蔵本は、三十年、集金の場で嘘をついたことがなかった。
「そうか」
社長はそれだけだった。責めてもいなかった。それから、判子を押した。丸は五千円のところに残っていた。
その夜、蔵本は事務室で手帳を開いた。
日付と、社名と、担当者と、その日の天気。二十九年、同じ書き方だった。
その日の欄に、蔵本は一行だけ余計なことを書いた。
勝てなかった
天気でも社名でもない一行だった。二十九年で、初めて書いた種類の一行だった。
練習場は、負けが込んでも、静かなだけだった。
去年までのように、崩れてはいなかった。東悠真は同じように走り、志水はゴール下で当たり続け、一ノ瀬樹は役割を守っていた。崩れないが勝てない。それは去年までの負けとは違う負けだった。
崩れないが勝てない。郷田学は、それをコーチ室で一人、紙に書いていた。
番場剛が、ロッカーを出たのは、その日、いちばん最後だった。
要が事務室から通路へ出たとき、まだ電気が点いていた。
覗くと、番場が一人で座っていた。両膝に氷が巻いてある。
去年、番場のアイシングは、二十分だった。要はそれを覚えている。
今は四十分だった。
要はその氷を数えなかった。数えれば、番場が何試合できるかを、要が数えることになる。
宮里の管理表を、要は翌日、見た。
番場の一試合あたりの出場時間の上限が、去年より二分、短くなっていた。
書き換えた日付は九月だった。開幕の前だった。開幕の前に、宮里は、もう二分削っていた。
番場はそれについて一度も何も言っていない。
要は、宮里にも、番場にも、そのことを聞かなかった。
聞けば、番場が数えてしまうと思った。
数え始めた選手が、あと何試合できるかを、要はまだ知らない。
要はその通路を足音を立てずに戻った。番場は、四十分の氷が溶けるのを、一人で待っていた。
見なかったことにした。
見たと知られれば、番場は、要が数えていると思う。数えられていると思えば、この人は、自分でも数え始める。十八年目の膝に、残りを数えさせてはいけない。宮里が九月に二分削ったことを、番場に気づかせてもいけない。それだけは要にも分かった。
四連敗の四つ目のあと、郷田が要のところへ来た。
「レイの十八分は、続けろ」
郷田は言った。
「……はい」
「あれをやめたら、十二月に膝が終わる。俺は、五年前に、それをやった」
「あんときは、腫れてるのを目で見て、行けると思った。今は、中まで映す機械がある時代だ。……機械が無くても、行かせちゃいけなかった」
郷田は椅子に座らなかった。立ったまま、言った。
「負けてるのは、俺の組み方が追いついてねえからだ。宮里のせいでも、あんたのせいでもねえ」
郷田は、それだけ言ってコーチ室へ戻った。
その週、壁の札は、六枚増えていた。
負けが込んだ週に、六枚。勝ち星と、札の数は、つながっていなかった。
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