↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7億円で、潰れかけのクラブを買いました ~数字しか見えない俺は、誰も数えない選手を集める~  作者: 猫の飼い主
第九章 赦し ―― 五年ぶりの名刺

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
112/166

第112話 木曜を、覚えてた

その鉄工所は港のいちばん端にあった。


大洋重工の下請けだった。船体の部品を作っていた工場が、今は農業機械の部品を打っている。作るものが変わっても、機械の音は同じだった。金属を打つ音が、事務所まで届いていた。


社員は十一人だった。


社長は七十近い男だった。名前を山根といった。


蔵本が入っていくと、山根は事務所の椅子から立ち上がった。立ち上がって、しばらく黙っていた。


「……生きとったか」


蔵本の返事が遅れた。


「はい」


「切られたんだろ」


「はい」


「うちもだ」


山根は椅子を勧めた。


要は少し離れて座っていた。この部屋では要は客ですらなかった。蔵本の連れ、というだけだった。それでよかった。この部屋の話に、要の出る幕は無かった。


話はなかなか協賛にならなかった。五年前に、どこが潰れて、どこが残ったか。誰が市外へ出て、誰が残ったか。そういう話ばかりだった。


蔵本は一つずつ覚えていた。名前も、屋号も、順番も。山根がある名前を出すと、蔵本がその家の廃業した年を言った。山根が別の名前を出すと、蔵本がその家の息子が継いだことを言った。二人の話は二十九年ぶんの答え合わせのようだった。


一時間、そういう話をしてから、山根が言った。


「で、いくら出せばいい」


蔵本は三段の紙を出した。


山根はいちばん上を指した。


「これだ」


一万円だった。


蔵本が口を開きかけた。無理はしないでください、と言おうとしたのが、要にも分かった。十一人の工場に、月一万円は軽い額ではなかった。


山根が先に言った。


「蔵本さん。あんた、うちの休みの日を、覚えとったろう」


「……」


「二十年前だ。うちは、木曜が休みだった。工場の都合でな。よそから来る営業は、そんなもん覚えちゃいねえ。木曜でも平気で来て、閉まった戸を叩いて帰った」


山根は、机の引き出しを開けて、湯呑みを二つ出した。三つではなかった。要のぶんは無かった。この話は二人のものだった。


「あんただけ、木曜には一度も来なかった」


「……はい」


「そんだけだ。クラブのためじゃねえ。あんたが二十九年、うちの木曜を覚えてたからだ」


帰りの車で、蔵本は運転しなかった。要が運転した。


助手席で、蔵本は手帳を開いていた。開いたまま、書いていなかった。膝の上で、手帳が開いたままだった。


港を出るあたりで蔵本が言った。


「要さん。私は、あの手帳を五年、開かなかったんです」


「……」


「意味が無いと思ってました。会社が無くなったら、あんなもの、ただの紙です。日付と、天気しか書いてない」


要は前を見たまま運転していた。


「でも、木曜が残ってたんですね」


要が言うと蔵本は答えなかった。


「木曜を覚えてたのは、営業のためだったんです」


蔵本は言った。手帳を両手で持っていた。


「休みの日に行っても、契約は取れません。取れないと分かってて、木曜以外に行った。……最初は、そういう計算でした」


「今は」


「今は、分かりません」


蔵本は言った。


「計算だったものが、二十九年経つと、何だったのか、分からなくなります。山根さんは、覚えててくれた。……計算じゃ、あんな顔は、してもらえません」


要は、その言葉を運転しながら聞いていた。


値付けも、同じかもしれなかった。最初は、安く見つけるための計算だった。それが何年か経つと、計算だったのか、そうでなかったのか、要にも分からなくなる。李濬浩の隣に座る子どもの顔を思い出すとき、要は、それが計算だったとはもう思えなかった。


蔵本は、それきり黙った。信号で止まったとき、要が横を見ると、手帳に日付が書き込まれていた。天気の欄に、何と書いてあるかまでは、見えなかった。

――最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

続きが気になったら、ブックマークしていただけると嬉しいです。

ページ下の★評価も、続きを書く力になります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。