第110話 そのうち、町が、勝手に揉める
蔵本が選んだ一軒は焼き鳥屋だった。
要もついていった。今度は、店の外ではなく、中に入った。カウンターのいちばん端に座った。この前と同じ席だった。
鍬形は仕込みの最中だった。串を打つ手を止めずに話を聞いた。手は一本も休まなかった。
蔵本が三段の紙を出した。三千円、五千円、一万円。
鍬形は、串を打ち終えてから、その紙を見た。打ちかけの串を、中途半端にはしなかった。
「これ、何が違うんだ」
「札の、大きさです」
蔵本が言った。
「三千円は今と同じ。五千円は、縦が一・五倍。一万円は二倍で、掛ける場所が入口の正面になります」
鍬形は鼻から息を出した。
「五千だ」
即答だった。串を見たままの即答だった。
要が顔を上げた。
「鍬形さん。今のままでも――」
「兄ちゃん」
鍬形が要を遮った。
「うちの札、今、米屋の隣なんだよ」
「……はい」
「米屋は五百円だろ。同じ大きさなんだ、あれ」
鍬形はまた串を打ち始めた。手が動きを取り戻した。
「あそこの親父とは、四十年、隣同士だ。あいつが五百なのは、あいつの筋だ。それは、いい。……だが、うちの札があそこと同じ大きさってのは、俺の筋が立たねえ」
要は何も言えなかった。
五百円と三千円が、同じ大きさの札で並んでいる。要はそれを公平だと思っていた。額が違っても、札は同じ。そのほうが誰も傷つかない。そう思って、去年、同じ大きさで作った。
だが、鍬形の筋は、そこにはなかった。
「兄ちゃん、一つ聞くが」
鍬形が串を打ちながら言った。
「五千にしたら、うちの札、どこに掛かる」
「……縦が一・五倍になるので、少し、目立つ場所に」
「米屋の隣は、外すのか」
要は答えられなかった。大きさが変われば、掛ける場所も変わる。四十年、隣同士だった二軒の札が、離れることになる。
鍬形は少し手を止めた。
「まあいい。それは、あんたらが決めることじゃねえ。……そのうち、町が、勝手に揉める」
鍬形はまた串を打ち始めた。何気ない言い方だった。だが、その一言は、あとで本当になった。要はそのときは聞き流していた。
蔵本は、笑わずに、手帳に書き込んでいた。日付と、屋号と、五千円、と。
店を出て、アーケードを歩いた。
「要さん」
蔵本が言った。
「あの人は、クラブのために出してるんじゃありません。半分は、そうです。でも、もう半分は、四十年の隣のためです」
「……」
「人は、自分より大きい理由では、金を出しません。自分の目の高さにある理由でしか、出さない。三千円の札一種類だと、その理由が、一個も置けないんです」
要はしばらく黙って歩いた。
去年、要はこの通りを何度も歩いた。歩いて、三百二十七枚を集めた。そのとき、この話は一度も見えていなかった。要が見ていたのは額の大きさだった。人の目の高さではなかった。
その週の終わりまでに、蔵本は四十一軒を回り直した。
五千円に上げたのが十九軒。一万円が二軒。
下げた店は一軒も無かった。
その週末、要は壁の前に立った。
札の大きさが揃わなくなっていた。三千円の隣に、一・五倍の五千円が挟まる。壁は去年より賑やかに見えた。
賑やかになったぶん、揃わなくなっていた。
去年、要が同じ大きさで作った壁は、金額を見えなくしていた。五百円も三千円も、同じ札だった。今は、大きさが金額を語り始めていた。
要は、それがいいことなのか、まだ分からなかった。
分からないまま、四千二百までの差は、その月、少しだけ縮んでいた。
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