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7億円で、潰れかけのクラブを買いました ~数字しか見えない俺は、誰も数えない選手を集める~  作者: 猫の飼い主
第九章 赦し ―― 五年ぶりの名刺

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第106話 五年、待ったぞ

水曜の夜、潮見銀座商店街のアーケードは、半分だけ明るかった。


シャッターの下りた店が、間に挟まっている。閉まった店と、開いた店が、一軒おきのように並んでいる。その並びのいちばん奥に、焼き鳥屋の赤い暖簾が出ていた。


要が着いたとき、蔵本は、すでに向かいの電柱のところに立っていた。


来ていた。だが、暖簾のほうを見ていなかった。アーケードの反対の端を見ていた。いつでも帰れる方向を見ていた。


要は何も言わずに先に暖簾をくぐった。


三分ほどして、蔵本が入ってきた。


鍬形は炭を返していた。


顔を上げて、要を見て、それから、その後ろを見た。


手が止まった。火箸を持ったまま、止まった。


店の中は狭い。カウンターが七席。この時間はまだ客がいない。炭の匂いだけが満ちていた。


長い時間だった。


鍬形は火箸を置かなかった。置かないまま、炭を一度ひっくり返した。火が赤くなった。赤くなった火を鍬形は見ていた。蔵本を見ないための火だった。


それから、鍬形は言った。


「……あんた、あんとき、うちに来たな」


蔵本は立ったままだった。


「はい」


「頭、下げてたな」


「はい」


鍬形はまだ炭を見ていた。


「会社が逃げたあとも、一人で謝りに来たのは、あんただけだった」


蔵本の膝が少し折れた。カウンターに手をついた。


「あの金は」


蔵本が言いかけた。


「金の話は、してねえ」


鍬形が遮った。


「あの日、あんた、封筒を出したろう。俺は突っ返した」


「……はい」


「なんで突っ返したか、分かるか」


蔵本は答えられなかった。


鍬形は火箸を置いた。ようやく、置いた。


「あんたが払う筋合いのもんじゃねえからだ。それを払わせたら、逃げたやつが、逃げ得になる」


鍬形は初めて蔵本の顔を見た。


「俺は、あんたに怒ってねえよ。あんたが最後まで来なくなったのが、腹立っただけだ」


蔵本は何も言えなかった。


要は、いちばん端の椅子に座って、黙っていた。この店で、要が喋る場面ではなかった。


「二度と暖簾をくぐるなって、言ったでしょう」


蔵本がやっと言った。


「言った」


鍬形はうなずいた。


「言ったな。あんときは、そう言うしかなかった。うちの店も、あの年、危なかったんだ」


鍬形は、串を一本、火にのせた。脂が落ちて、音がした。小さな煙が上がった。


「五年、待ったぞ」


蔵本の顔が崩れた。


鍬形はその顔を見なかった。串だけ見ていた。崩れた顔を見ないのが、この男の情けだった。


それから、要のほうを向いて、こう言った。


「兄ちゃん。この人、雇うのか」


「はい」


「そうか」


鍬形は焼き上がった串を蔵本の前の皿に置いた。皿はあらかじめそこに置いてあった。蔵本が来ることを、鍬形はどこかで分かっていたのかもしれなかった。


「なら、まず、食え。話は、それからだ」


蔵本は皿の串をしばらく見ていた。


手を伸ばせなかった。五年前、この店で、封筒を突っ返された手だった。その手で、この店の串を取っていいのか、蔵本には分からないようだった。


「食えねえのか」


鍬形が言った。


「……いえ」


「冷めるぞ」


蔵本は串を取った。一口、食べた。


食べてから、下を向いた。長いあいだ、下を向いていた。


要はそのあいだ店の壁を見ていた。古い品書きが貼ってある。値段が何度か書き直された跡があった。この店も五年、いろいろあったのだと要は思った。


鍬形は次の串を火にのせた。何も言わなかった。言わないことが、この店の話の続きだった。


要が勘定を払おうとすると、鍬形は手を振った。


「今日は、いい」


「……いえ」


「五年ぶりに来た客から、金は取らねえ」


鍬形は、あごで蔵本のほうを指した。要のことではなかった。


外に出ると、アーケードの明かりが、来たときより少し減っていた。閉める店が、一軒、シャッターを下ろしていた。その音を、蔵本は聞いていた。

――最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

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