第99話 徽章を持つ者の裏書き
グラナのギルドに、新しい机が二つ増えた。
一つは、白髪まじりの岩のような男の机だ。元バルロ商会の主任。商会が止まったあと、メルダートを離れてグラナへ来た。もう一つは、若い男の机だった。元商会で検め蔵を任されていた青年。銀の徽章を持っている。二人とも、商会の抜き取り検めの限界を誰よりも知っていた。だからこそ、全部視る目利きのもとへ来た。
「ここなら、隠さずに済む」
主任は机に古びた帳面を置いた。弾き帳だった。商会で六年、外れの品をすべて書き留めた帳面。会頭は一度も開かなかった帳面。今はグラナの机の上にあった。
「商会では、こいつを奥へ仕舞うしかなかった。数字に出ない外れを書いても、誰も見やしねえ。──ここでは表に出していいんだな」
「もちろんです」
俺がそう言うと、主任は少し笑った。
「あんたの名を、最初に書いたのは俺なんだ。──六年前、新しく入った検品係の名簿に。レイ、と。まさかその名が、商会を傾けることになるとはな」
◇
二人が来て、相談所の回り方が変わった。
朝、軒先に並んだ品を、まず俺が一通り視る。鍋。革。薬。穀物。外れと本物をより分ける。それを主任が帳面に書き留めていく。どこの誰が、何を持ち込み、どこが外れだったか。弾き帳の続きだった。商会で六年積んだやり方が、そのままグラナで生き返った。岩のような男の太い指が、細かい字で品の来し方を綴っていく。
今までは、俺が品を視て、視たままを口で言うだけだった。銭は取れない。証も立てられない。困った人を助けることはできても、商いの取り決めには使えなかった。組合の触れが、それを縛っていた。
その縛りを、青年の銀の徽章がほどいた。
「こういう仕組みは、どうでしょう」
青年が、おずおずと切り出した。
「触れが禁じているのは、徽章なき者が銭を取って品を見定め、それを商いの証にすること。──なら、見定めるのはレイさん。証を立てるのは、徽章を持つ私。役割を分ければ、触れには引っかからない」
「裏書き、ってことか」
「はい。レイさんが視て、外れか本物かを言う。私がそれを徽章でもう一度確かめて、確かなら証文に名を書く。徽章持ちの保証なら、組合も文句は言えません。──私一人では、全部は視きれない。レイさんが入り口で全部視てくれるなら、私はその裏づけに回れます」
俺はそれはいい考えだと思った。
俺の目は組合の証にはならない。徽章がないからだ。前にセレネが査察に来たときも、同じだった。徽章を持つセレネが見定め役を引き受けて切り抜けた。今度はそれを、毎日の仕事の形にする。俺が入り口で全部視て、徽章持ちが裏づける。役割を分ける。
「でも」
俺は一つ気になった。
「俺が視て『外れ』と言った品を、君が徽章で『最上等』と読んだら、どうします。徽章は等級を読む。俺は芯の巣を視る。食い違ったら」
「そのときは、ガロさんに割ってもらいます」
青年ははっきり答えた。
「商会にいたころ、私は何度も徽章で最上等と読んだ品が、使ってみたら外れだった経験があります。──徽章は嘘をつきません。でも徽章に視えるものには限りがある。レイさんが『芯に巣がある』と言うなら、私はもう、迷いません。割ってみれば、分かることだ」
◇
仕組みは、すぐに役に立った。
数日して、キランの商人がグラナへ来た。ミレイユが顔で結んだ約束の相手だった。グラナの毛皮を大量に引き取りたい。けれど組合の触れがある。徽章なき目利きの品では、市に上げたとき睨まれる。証が要る、と言う。
俺は毛皮を一枚ずつ視た。
五十枚のうち、四十六枚は良い品だった。残りの四枚は、鞣しが甘く、夏を越せば毛が抜ける。
「この四枚は外れです。あとの四十六枚は、確かな品です」
青年が、その四十六枚に銀の徽章をかざした。一枚ずつ確かめていく。それから証文を広げ、自分の名を記した。銀の徽章を持つ鑑定士の、正式な保証だった。
「この四十六枚、確かに検め申した。──キランの市で、堂々と売られるがいい」
キランの商人は、目を丸くした。
「徽章持ちの保証つきか。──これなら、組合も手は出せん。グラナの品が、表の市に出せる」
「視たのはレイさんです。私はそれを裏づけただけで」
青年はそう付け加えるのを忘れなかった。商会にいたころは、検め蔵で一人、大量の荷を抱えて潰れかけていた。全部は視きれない。抜き取りで済ませるしかない。それが苦しかった、と前に言っていた。今は違う。全部を視る目がとなりにある。だから青年は裏づけるべきものだけを、まっすぐ裏づければよかった。
外れの四枚は、村の革職人が引き取っていった。鞣し直せば、まだ使えるという。外れも、本物も、どちらも捨てずに行き先が決まる。商会のころは、外れは黙って混ぜて売っていた。ここでは外れは外れと言われ、それでも誰かの役に立つ場所へ回っていく。同じ品でも扱う者が変われば、行く先が変わった。
◇
その夜、二つの机を眺めながら、セレネが言った。
「これで、わたし一人じゃなくなったわね。徽章持ちの裏書きが、二人に増えた」
「セレネさんと、青年さんと。二人いれば、ずいぶん回せます」
「ええ。──でも本当に効いているのは、人数じゃないの」
セレネは弾き帳に目をやった。
「商会は徽章持ちを何人も抱えていた。なのに外れを止められなかった。なぜか分かる? 徽章持ちが、全部を視ていなかったから。抜き取りで済ませていたから。──ここは違う。レイが全部視る。そのうえで徽章持ちが裏づける。順番が逆なのよ。だから漏れない」
俺は商会の検め蔵を思い出した。
あそこには徽章持ちが何人もいた。立派な徽章を持っていた。それでも外れは止まらなかった。誰も全部は視ていなかったからだ。徽章は視た品にしか効かない。視ない品には、何の意味もない。
主任が、ぽつりと言った。
「徽章ってのはな、本当は、こういうふうに使うもんだったんだ。──全部視た目利きの裏に、徽章が回る。徽章が先に立って、見もしないで証を出すから、外れが通っちまう。順番を、ずっと間違えてたんだよ。商会も、組合も」
俺はその言葉を覚えておこうと思った。
徽章が先か、目が先か。たったそれだけのことで、外れが止まるか、通るかが決まる。組合は、その順番を間違えたまま、俺の目を締め出している。
けれどこちらにはもう、徽章持ちの裏書きがあった。組合の触れの内側を、堂々と通る道ができていた。
その道が太くなるほど、本部は、苦い顔をするはずだった。
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